08



"今夜、「ラ・ベルスーズの左(最初の模写)」を頂きに参ります"

タブレットに移されたキッドの予告状を、ゆいなはコナンとともに覗き込んだ。毛利探偵事務所に今朝届いたという予告状。絵画修復士である東幸二の説明によると、『ラ・ベルスーズの左(最初の模写)』というのが、この美術館に展示されている5枚目の向日葵にあたるらしい。
彼の説明に納得した館長の同意を得て、閉館時間を早め、金庫に向日葵を保管する運びとなった。急ぎ展示室に戻ろうと向かう毛利たちに続いて会議室を出た、その時だった。

「…ゆいな」

背後から聞こえた聞き慣れた声に、ゆいなははっとして呼吸を止めた。
反射的に振り向こうとするが、「そのまま、前向いて」と続いた声に制止される。ぐっと言葉を飲み込み、ゆいなは平然を装おうとした。

久しぶりに聞く、快斗の声だった。

囁くような静かな声で、後ろに立つ人物が続ける。

「…連絡できなくて悪かった」
「……大丈夫、なの?」

ゆいなは出来る限り唇を動かさないようにして、なんとかそれだけを小さな声で問う。聞きたいことは山程あったが、すべてひっくるめて一番知りたいことだった。
ああ、と短く答えた彼の声が柔らかくてほっとする。
斜め下に視線を下ろすと、後ろに立つ人物の服装がかろうじて視界に入る。警備員の服装のようだった。

「ゆいな、いいか。ここから先は、なるべくひまわりから離れて、オレの近くに居てくれ」
「……?」
「どう出てくるか、オレも分からねーんだ。頼む」

"どう出てくるか"
まるで、敵対する相手が居るような言い回しが引っ掛かったが、ゆいなは追求することはせずに黙って頷いた。快斗の声がいつになく真剣で、頷くしかなかった。

「…いいこだな」
「…っひゃ、」

背後から聞こえていたはずの声が、耳に唇が触れる近さでの低い囁き声に変わって、ゆいなは反射的に小さく短い悲鳴を上げた。ぱっと耳を塞いで振り返ると、そこにはもう誰の姿もない。もう一度前を向くと、離れたところでこちらに向かって、こっそりとピースサインをする警備員の姿が。

「(あ、遊ばれてる…)」
「ゆいな、どうした?」
「な、なんでもない、虫がいてびっくりしただけ…」

前を歩いていたコナンが慌てて戻ってきて声をかけるが、赤くなった顔を覆って取り繕うことで精一杯だった。
キッドは何をしようとしているのか。これから何が起こるのか。
聞くことはできなかったけれど、快斗が無事で、近くにいることが分かっただけで、ゆいなの中に渦巻いていた不安が少し和らいだ。



順調に向日葵の梱包が進み、あとは蓋を閉めるだけ、というところで、宮台なつみが何かに気付いたような声を上げた。ひまわりに駆け寄った彼女が、蓋の裏から、一枚の紙を取りあげる。

「カードです!これってまさか…!」
「間違いない、キッドカードだ」

"「ひまわり」は確かに受け取った"
そう書かれたカードに、一同が騒然となる。
もしかしてすでにここにあるひまわりは偽物なのではないか。全員がその疑問を抱き、すぐに警備室で鑑定が行われることとなった。

「まさか、キッドが予告時間を偽るとはな…」
「奴は所詮泥棒。盗むためならなんでもするさ。たとえ殺人でも、な」
「…っ」

チャーリーの嘲るような言葉に、ゆいなは思わず声を上げそうになったが、すぐ背後にいるキッドに服を引っ張られてはっとする。勝手に知ったようなことを言うな、と続けたかった言葉を飲み込んだ。ここで彼に噛み付くのは得策ではない。

「(キッドが予告時間を偽るはずがないよね…)」

ちらりと盗み見たキッドは、目深に被った帽子の下で、口元に笑みを浮かべて鑑定の様子を眺めている。彼の策略なのか、それとも言っていた"どう出るか分からない"ことに関係しているのだろうか。まだここに彼がいるということが、それが本物だという証拠だろう。

「……ここでは、これ以上の鑑定は難しいですね」

ルーペを覗いてた宮台なつみが、眉を寄せて顔を上げた。偽物だとしたらとても精巧なもの、というのが彼女の結論だった。工房に持ち帰って詳しく調べたい、という彼女の言葉に館長が頷く。

「その必要はありませんよ。それは間違いなく本物です」

突然声を上げた警備員に、全員の視線が集まった。距離を取るように肩を押され、狼狽える館長の前に差し出された白いカード。そのカードのマークに誰かが驚きの声を上げると同時に、警備員の姿が一瞬のうちに白いマントに包まれる。

「怪盗キッド!」

中森が叫んだ途端、キッドが放ったトランプ銃が監視カメラを映し出すパネルや照明を打ち抜き、部屋の中の明かりが一斉に消え、非常灯の心許ない薄明かりのみとなる。中森がその明かりを頼りにキッドに手を伸ばそうとするが、彼の身体からスモークが立ち込め、一瞬のうちに視界を奪う。中森が伸ばした手は、空を切った。

「ゆいな姉ちゃん、大丈夫!?」

キッドの一番近くにいたゆいなが、完全にスモークに包まれたのを見てコナンが声を上げたが、ゆいなはそれに応えられなかった。コナンの声は、聞こえていなかった。

「(また、快斗が行っちゃう…!)」

また、何も言わずに行ってしまう。
ゆいなの頭に、先程美術館で聞いた女性の言葉がフラッシュバックする。

"想いを届けられるうちに"

また、連絡がつかなくなったら。
もし、これが最後になってしまったら。
手の届かないところに、行ってしまったら。

咄嗟に伸ばしたゆいなの手が、真っ白い視界の中、何かの布を掴む。同時に出口のドアが開け放たれて、スモークが外に流れ出し廊下からの光がぼんやりと差し込んだ。

「……っ」

薄まっていく煙の中、キッドと目があった。
彼は驚いたように青い瞳を丸くして、真っ直ぐにゆいなの顔を見つめた。何かを言おうとしたのか、少し唇を開くが、そのまま停止する。長い時間そうしていたような感覚があったが、実際にはほんの2、3秒のことで、ゆいなはすぐにはっとして握っていた彼のスーツから手を離した。くるりとゆいなに背を向けたキッドが、ひまわりを抱えたまますぐに廊下へ走り出す。

「待て、キッド!」

動けずにいるゆいなの横を、コナンが走り抜ける。ゆいなはその場にぺたりと座り込んだ。大丈夫か、と中森が助け起こしてくれるが、自分の心臓の音ばかり耳について上手く返事を返せない。

最後に見えた、キッドの悲しそうな顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。



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