教団のだだっ広い廊下が苦手。途方もなくずっとずっと続いているようで、一度灯りを失ったら、きっともう戻ってこれないんじゃないかと恐ろしくなってしまう。呼吸と共に闇が体を埋め尽くすんじゃないかと、冷たい空気を吸い込むことすら恐ろしい。

「何突っ立ってんだ」
「わっ!?」

まるで暗闇に溶けていたのかと思うほど、ぬっと音もなく現れた人影に、私は思わず手に持っていたバインダーで頭を隠して身を硬くして、次に起こる恐怖に堪えようとした。しばらくの沈黙のあと、唯一の防御であるバインダーをこつんと叩かれる。

「いたっ」
「情けねえ」
「………神田くん?」

ようやっと顔を上げると、鬱陶しそうに眉を寄せながらため息をついている神田くん。団服の黒色に加えて髪の色も真っ黒で、本当に暗闇に溶け込んでいてわからなかった。透き通る白い肌だけ浮いているみたいで怖い。お化けでもおかしくないよ。

「やだ、神田くん、おどかさないでよ…!」
「普通に声かけただけだろ。勝手にびびったのはそっちだ」
「うっ…」

歳上の威厳なんてものは彼に対して生憎持ち合わせていない私は言葉に詰まりながら、彼の団服の裾を掴んだ。

「お前のその怖がりはいつ治るんだよ」
「だ、だって、この先ほんと暗いんだもん!教団の中で一番暗いよ!?室長にずっと言ってるのに、なかなか明るくしてくれないし…」
「まあ、あんま使わねえんだからわざわざ灯りつける必要もないだろ」
「私が必要だよ…!」

私がいま担当してる研究は過去の資料を参考にする必要があって、真夜中に一番下の地下室まで降りなければならないことも多い。光がないから朝だって怖いのに、こんな寝静まるような時間はもっと嫌だ。AKUMAなんてこの世の物ではなく怖いものと戦っているくせに、暗闇が怖いなんて本当に情けないのだけれど。
ぎゅう、と服を握る手を強めると、さっきよりも深いため息。神田くんは私の手からバインダーを奪い取ると、もう片方の手で私の手を乱暴に掴んで歩き出した。

「とっとと用事済ませろよ」
「…神田くん、明日朝イチでフランス出発でしょ?もう寝ないと、」
「言ってることとやってることが違うんじゃねーか?」

私はぎゅうと彼の手を握り返して、暗闇が滑り込んでくるのを恐れるように、ぴたりと彼にくっついた。それでも口からは強がってお姉さんぶりたい言葉が出てくるんだから、神田くんに鼻で笑われても仕方ない。自分でも呆れてしまう。
神田くんと繋いでいる手はびっくりするほど暖かくて、じんわりと恐怖が和らいでいく。幾分と身長の高い彼を見上げると、いつものように不機嫌を隠すことなく表したキツイ視線でじっと前を見ていた。と思えば、私の視線に気付いたのか、ぱちりと視線がかち合って、少し気まずそうに逸らされた瞳がとても愛おしい。

「神田くん、わざわざ追いかけてきてくれてありがとうね」
「んなわけあるか、たまたまだ」
「ふふ、たまたま、ね。そうだね」

神田くんはちゃんと人を見ている。見守っている。彼は小さい頃から、人一倍他人に厳しくて、人一倍他人に優しい。私がこの地下室に降りるとき、いつも「たまたま」居合わせてくれるのだから。

カビ臭い書庫なんて入りたくもないだろうに、神田くんは手をつないだままでいてくれて、高いところの物も取ってくれたし、躓きそうになったら抱えてくれた。どんくさい、といつも貶してくるくせに、同じようにいつも助けてくれていることに気付いたのは、彼と出会ってから何年目のことだっただろう。資料をめくりながらぼんやりと考える。この戦いを私の手で終わらせることは出来ないけれど、せめて、彼が幸せになる手伝いが出来たらいいなあ、と。彼が無事に帰ってこれるように、少しでも彼が笑えるようになるために。

「…余計なこと考えてるだろ。早く戻るぞ」
「え、あ、ごめん」
「ったく、ほんと目が離せねえな」
「ふふ、神田くん、いつも私のこと見守ってくれてるもんね」

神田くんが目を見開いて、動きを止める。何かおかしなことを言っただろうか、と会話をリピートし、自惚れたことを言ってしまったことに気付いたときには、神田くんはそっぽを向いてしまっていた。それでも私には好都合だ。今のうちに、言いたいことを言ってしまおう。一度恥をかいてしまえばもう怖いことはない。

「神田くん、いつもありがとう」
「………」
「いつも優しくしてくれて、ありがとう。神田くんが本当はみんなのこと大事にしてて、助けてくれてるの、みんなも分かってるよ。私も、なにか神田くんの役に立てることがあればいいんだけど、何かないかな…っ、わ!」

がしり、頭を上から強い力で押さえつけられて、私は自分のつま先しか見ることが叶わなくなった。首が痛い、と訴えるべく口を開こうとすると、その前に神田くんの柔らかい髪が頬に触れてびっくりして言葉を失う。こつん、と私の額に、神田くんの額がぶつかった。

「…………笑ってくれてれば、それでいい」

とても小さな声だったけれど、私たち以外誰もいない書庫の中で聞き逃すわけがなかった。びっくりして口をぱくぱくとさせている間に、神田くんはさっと身を離して、私の方を振り返らずに地上への階段を上り始めてしまった。ぽかん、頭がフリーズ。自分の額に手を当てると、暖かい熱が残っていた。神田くんが、あの神田くんが、なんと言った?

「…………お、置いていかないで!」

やっとのことで出てきた言葉はそれだった。他に言うことがあるだろう、と自分にまた呆れる。神田くんは振り返ると、呆れたように、少しだけ、笑った。

「置いてかねーよ」

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