ほんとに私って彼女なんだろうか。
なんて、そんなことはもう言い飽きてしまった。だから今更そんなこと口にしない。
代わりに、ぶすっとケーキにフォークを刺すと、ふわふわのスポンジは形を崩してこてんと横になった。
それすらも私の怒りを増長させるばかり。ケーキをこんな気持ちで食べる日がくるなんて。
「すっげー顔」
テーブルに肘をついて、呆れたように紅茶をすする彼は、私が求めている彼ではなかった。くるくると癖毛の黒髪を揺らし、私のことを哀れむような視線を投げかけてくるのは、黒羽快斗。
「女子って、もっと嬉しそうにケーキ食べるもんじゃねーの?」
「うるさい。黙って食べてよ」
「一人じゃホールケーキ食べきれないっつーから来てやったのに、なんだよそれ」
むすっとした快斗は、またケーキを口に運ぶ。テーブルの真ん中に置かれたホールケーキは、まだ半分以上残ってる。青子も呼べばよかったかなあ。
「てゆーかほんと、なんでホールケーキなんて買ったんだよ…白馬が帰ってこねーのわかってたんだろ?」
「………本人いなくても、かたちだけでもお祝いしたかったの」
帰ってこないなんて、そんなことわかってた。恋人になってすぐ、白馬くんはイギリスに戻ってしまったから。残された私は、ぽかーん、だ。ろくにデートもせず、恋人らしいことなんて一回だけ手を繋いだくらいで、私の家に来たことも白馬くんの家に行ったともない。
だけど好きなんだから、お祝いしたいじゃない。彼が生まれてきてくれた日を。
「じゃあもっと祝ってる顔しろよ。呪ってんぞ、それ」
「…………そうだね」
「まったく、白馬のヤローも、馬鹿だよなあ」
白馬くんが、イギリスでも元気で、たくさんの人にお祝いしてもらえていますように。
そして、できる事なら、私のことをちらっとでも思い出してくれますように。
そんな風に願って満足できればいいのに、なんて可愛げのない女なんだろ。
「かいとー!」
「あーはいはい、泣くなって…こんど白馬が帰ってきたら、またぎゃふんと言わせてやるから」
「ぎゃふん?どうやって?」
「あー…それはこっちの話」
頭を掻いて何故か視線を逸らす快斗に、席を立ってぎゅっと抱きつくと、彼は大きくため息をついて私の頭を撫でてくれる。
「白馬くん…なんで帰ってきてくれないんだろ」
「まあ、イギリスなんてそう簡単に帰ってこれるもんでもねーしなあ」
「うーわかってるよそんなこと!バ快斗!」
「オメー俺になんて言って欲しいんだよ…」
いつもだったら、ぽかっと拳が飛んでくるところなんだけど、ばしっと軽く背中を叩かれるだけに終わった。私が本気で落ち込んでることを察してくれてるらしい。優しいなあ快斗。
彼の胸に額を擦り付ける。心臓の音が心地いい。本当だったら、快斗じゃなくて、白馬くんにこうしてもらいたいなあ。
でも彼は遠い遠い海の向こう。
「………白馬くん、私のこと好きじゃないのかなあ…」
「誰がそんなこと言ったんだい?」
ぴくり、額を当てる彼の肩が大きく動いた。
なに、今の声。
私は顔をあげて、ゆっくりと後ろを振り返る。制服でも探偵でもない、ラフな格好をして、キャリーケースを持っている白馬くんが、そこにはいた。
「黒羽くん、そこ、離れてもらえるかな?」
「……帰ってきたのかよ」
「誕生日を、恋人と過ごしたいと思って帰ってきて何が悪いんだ?」
恋人、というところを強調した白馬くんは、ぽかんとしている私の手を引っ張って、快斗から引き剥がした。
「え、え………え!?」
「ゆいなも、どうして僕の誕生日に他の男といるの?」
「え、えええ、白馬くん…本物?快斗のイリュージョン?」
「ほんものだよ」
べーっと舌を出す快斗。どうやらほんとに本物らしい。と、理解したところで、自分のおかれている状況を把握して、ぼっと顔が熱くなった。白馬くんは、引っ張った手首をそのまま、私の腰に腕を回していた。ち、近い…!ただでさえ、久しぶりの白馬くんだし、こんなに近づいたことないし、頭がぱんくしそうだ。
「しゃーねーな。俺は帰るぜ、よかったなゆいな」
「え、快斗…!」
「悪いね、黒羽くん」
「悪いと思ってないだろ…つーか、白馬、今度ゆいなのこと泣かせたら承知しねーからな」
君に言われるまでもない、と冷たくあしらった白馬くんの、私の腰に回る腕にぎゅっと力が入った。
ぱたん、とドアが閉まって、私たちはしん、となった。
「え……と、白馬くん?」
「うん」
「とりあえず……座る?」
「…………うん」
しばらく黙って、ゆっくりと頷いた白馬くんは、さっきまで快斗が座っていたところに腰をおろした。
「えっ、と、白馬くん…なんでいるの?」
「ゆいなに会いたかったからさ」
「だって、事件とか…白馬くんお金持ちだし、パーティー、とか」
「ガールフレンドに会いに行く、って言ったらみんな快く送り出してくれたよ」
「でも…だって………」
じわ、と視界が歪んだ。やばい。こんなの、泣く場面じゃない。とまれ、とまれ、そう思うのに、どんどん何かがこみ上げて。飲み込めない。
がたん、と椅子が動く音がして、私の目から涙がぽろりと落ちたとき、白馬くんは私の頭をぎゅっと抱えてくれていた。
「寂しかった…?ごめんよ」
「う、連絡とか、してくれれば、いいのに」
「びっくりさせたかったんだ。ごめん」
泣かないで、と優しく囁く白馬くん。ずるい、ずるいよ。白馬くんの、ばか。
でも何より、白馬くんが私のこと気にしてくれてないなんて、思い込んでやさぐれてた自分が馬鹿みたいだ。
「ケーキ、僕のだよね?」
「あ、でも、快斗と食べちゃった…」
「僕のお祝いで用意してくれたんだろ?嬉しいよ。黒羽くんと、ってのは少し気に入らないけどね」
顔をあげると、白馬くんは笑っていた。私もつられて笑う。目尻に溜まった涙は、彼が指ですくい上げてくれた。こんなに近くに白馬くんがいるなんて、信じられない。
「僕の誕生日、今からでもお祝いしてくれるかい?」
「…っ、もちろん!あ、でも……」
「ん?」
「来てくれると思ってなかったから、プレゼントない…」
ごめんね、て言うと、そんなものいいよ、て微笑んでくれる。でもやっぱりどうせなら、プレゼントもケーキもある、ちゃんとしたお祝いがしたかったなあ。
「あ、じゃあ……名前」
「え?」
「白馬くん、じゃなくて、名前で呼んでくれない、かな?」
ちょっとだけ遠慮がちに、白馬くんは首を傾げて私の顔を覗き込んだ。
かああ、とまた顔に熱が集まる。だって、白馬くんのこと名前でなんて、なんだか恋人みたいじゃない。
「みたい、じゃなくて恋人だろう。だめかい?」
「だめ、じゃないけど…えっと、」
「彼氏の僕は苗字で、黒羽くんは名前なんておかしいじゃないか」
ちら、と視線を向けると、ちょっとだけ拗ねた顔の白馬くん。じゃなくて、えっと、
「…….探くん」
「うん」
「……………恥ずかしい」
「はは、ゆいなはかわいいな」
ほんとにかわいい。
なんて耳元で囁かれたらどうしようもなくて、爆発しそうな顔を隠そうとしたら、それを阻止するみたいに手首を掴まれた。そのままバランスを崩して、それで、
「っ、白馬くん!?」
「あ、また」
「じゃなくて、探くん!な、なな、なにを」
「誕生日なんだ、キスくらいいいだろう?」
爽やかに笑った探くんは、今度はちゅって可愛らしい音を立てて、私の頬に唇を落とした。
今度こそ死んでしまいそうなほど顔が熱くて、自由になった両手で顔を隠す。くすくすと笑う探くん。
でも、指の隙間から見えた彼は、少し頬を染めてとっても嬉しそうな顔をしていて、私は胸がきゅうっとなって、どうしようもなくて、そのまま彼の胸に額を押し付けた。
「誕生日おめでとう、探くん」
ありがとう、と彼は抱きしめてくれた。
(20120829 探くんハッピーバースデー*)