「名探偵の工藤新一くん」

蘭は園子と買い物に行くといって帰っていて、放課後の教室にわざわざ残っているのは俺くらいだと思っていたから、活字を追う際にいつも切れない集中力は、突然かけられた声によっていとも簡単に切られた。驚いて本から顔をあげると、目の前にゆいなが立っていた。真っ直ぐに俺を見下ろす瞳に夕焼けの色が反射してきらきらと光る。
ごくり。
その美しさに俺が緊張しているだなんて知らないこいつは、愉快そうに目を細めた。

「あんたは何人の女の子を泣かせれば気が済むわけ?」
「は?」

これ。と差し出されたのは薄いピンクの可愛い封筒。
俺はそれですべて理解する。自然とため息が出ると、すぐにゆいなに頭を叩かれた。自然に出たんだから、しょーがねーだろ。

「毎度毎度オメーも律儀だな」
「頼まれたら、断れないもの」

いわゆるラブレターというものの運び屋と化しているゆいなを頼る女子は多い。「工藤先輩に渡してください!」まるでゆいなに告白でもするような勢いで手紙を渡している場面に出くわしたことがある。ゆいなは嫌な顔ひとつせず、とてもかわいらしい笑顔で「いいよ、任せといて」と答えるのだ。


好きな子から、他人名義のラブレターを貰う、俺の胸の痛みなんか知らないで。


「ちゃんと返事してあげなよ?」
「へーへー、わーってるよ」
「うざ。アンタなんかクラスの男子にフルボッコにされればいいのに」

ぺしん、もう一度頭を叩かれる。それが嬉しいと思う俺はやばいだろうか。ゆいなは足を組んで俺の前の机に座った。そんな短いスカートで足を組むなと言えたらどんなにいいだろうか。そんな勇気がない俺は目のやり場に困って再度本に目を落とすのだが。
手紙は特に目を通さず、宛名も見ずに机の中に投げ入れた。彼女の前で読んだら嫉妬くらいしてくれないかなとか思うけど、そんな女じゃないのもわかってる。
ゆいなは足をぶらぶらさせると、新一さあ、と憶測なくぼやく。

「目立ちたがりなのどうにかしたら?」
「…別に目立とうと思ってねーよ」
「うそだあ。新聞載って喜んでるくせに」
「バ、バーロー!んなこたねーよ!」

どーだか。と笑ったゆいなは何もかも見通してるといった顔をしていたので、至極ムカついた俺は彼女の足に蹴りを入れてやった。やり返されたけど。

「いーかげん私も運び屋飽きてきたんだよねえ」
「なら、断りゃいーだろ」
「だーかーら、頼まれたら断れないんだって」
「…そーかよ」
「だから新一、はやく蘭とくっついてよ」

にこり、ゆいなが微笑む。反面俺は顔が強張るのがわかった。俺の1番嫌いな話題だった。ゆいなの口から1番言われたくない言葉でもある。

「蘭とはそんなんじゃねーって何回も言ってんだろ」
「えー」
「えーじゃねーよ。そういうのやめろって」
「新一になら蘭をあげてもいいと思ってるのに」
「あのなあ…」

俺が欲しいのはオメーだけだバーロー!

心の中で叫ぶ。声に出すには勇気が足りない。推理を披露するときの数十倍の勇気を要するなんて、なんて情けない。
突然、ゆいなはぴたりと足を止めて、俺をじっと見つめて、それから視線を窓の外に移した。夕日を浴びる横顔はとても綺麗だ。

「じゃあさあ、」
「ん?」
「私とくっついてみる?」
「………は?」

間抜けな声が出てしまった。
突然のことに、驚いてそれ以上言葉が出ない。ゆいなは俺の言葉を待つようにしばらく黙って床を見つめた後、ぱっと顔をあげた。その眉はしかめられて、ちょっと怒っているようだった。がん、と乱暴に俺の机を蹴る。倒れそうだったから慌てて押さえると、その隙にゆいなは教室を出ようとしていた。

「おい、ゆいな、」
「うっさいばか!女子の気持ちをほったらかしにする馬鹿なんて知んないわばーか!」

ぴしゃり、教室の引き戸を大きな音を立てて閉めると、廊下を走る足音が遠ざかっていった。
呆然とフリーズしそうになる頭をたたき起こす。俺は今、何か大きなチャンスを逃したんじゃなかろうか?そう思った途端、心臓がばくばくと鳴り出した。

「……女子の気持ち」

そこではっと思い当たる。
俺は机の中に手を入れて、奥に入っていってしまっていた封筒を引き上げた。
俺の推理が正しければ、

「……っ」

裏返して、俺は顔に熱が集まるのがわかった。
封筒に書かれていたのは、紛れも無いアイツの名前。シールで止めてあるだけの封を震える手で開ければ、半分の便箋に書かれた、たった一行の文。

目にした途端、気がつけば俺は廊下を走っていた。

その姿を捕まえたら、今度は勇気を出してそう叫ぼう。
何度も心の中でその言葉を反芻して、俺はひたすら走った。
思った通り、玄関で靴を履きかえているゆいなを見つけて、暴走しそうな心臓を抑えて、俺は乾燥した喉を無理矢理震わせた。

「ゆいな!」

あとはもう俺の気持ちをこのまま吐き出せば、きっとアイツは笑ってくれるから。
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