「あーあの・・・・・」
「・・・・」
「美しいお嬢さん、よろしければ、その、」

俺のしどろもどろな言動とは相反して、目の前の大きな瞳はまったく動くこともなく、じぃっと俺の顔を見つめてくる。やばい素顔がバレてしまう、と思うほど近くに顔を寄せられて、先ほどからずっとこの調子。
それでも俺が逃げ出すことも誤魔化すことも出来ない理由は・・・・情けないことに、マントが木に引っかかってしまっているからだった。思わぬ大きな風にハングライダーが回転してしまい、そのまま落下。この木に受け止められたところに、ちょうど彼女が居たのだ。
そうして動こうにも動けない状態に加えて、もう一つ理由が。

「(つーか、まじでテレビで見るよりかわいいんですけど!)」
「・・・・?」

不思議そうな表情で、俺の顔を覗きこんでくる少女は、テレビの向こうの人だったのだ。
ゆいな。
モデルに女優業、若くしてCM女王の称号までゲットしている、今まさに人気絶頂を迎えている高校生アイドルだった。彼女をテレビで見ない日はないし、常にどこかの雑誌やポスターでトップを飾っている。
そんな非日常的な存在が、今、俺の目の前に、居た。

「(ああくそ、意識したら緊張して・・・てそんな場合じゃ、)」
「あの、」
「!?」
「どちらさまでしょうか」

気づいてなかったのかよ!?
という突っ込みは我慢して、俺は紳士的神秘的に「さあ」と微笑みで応えた。マントが絡まって足をぶらぶらさせている姿はまるで紳士じゃないが。
こんな目立つ衣装を着た俺のことを、彼女はどうやら分からないらしい。

「へー・・・・ふーん・・・」

疑わしそうに彼女は俺の顔を、穴が開くほど見つめてくる。俺はなんだか堪らなくなって、少し身を捩った。そのとき、

ごとん!

「・・・・・」
「・・・・・・あは」
「・・・・・」
「あははは・・・・えーと、」
「あああああなた、怪盗キッドね!?」

無残にもポケットの中から転がり落ちた瑠璃色の宝石。まあ目当てのもんじゃねーからいらないんだけど。
ゆいなは、その宝石を見てやっと俺が怪盗だと気がついたらしい。
とても驚愕した顔をして後ずさる様子に、高校生ながら化粧品のCMをやっている大人っぽい面影はなかった。
ていうか、あれ、もしかして天然?

「ど、どうして、そんなとこで遊んでるの・・・」
「遊んでねーよ・・・その、あの、まあいろいろとですね」
「降りないの?」
「よろしければ、降ろして頂きたいのですが」

ゆいなははっとした表情で、俺の白いマントをまじまじと見た。どうやら状況を理解したようである。
なんだか思い悩んだように眉を顰めて黙った後、ゆいなはよいしょ、と小さな声を漏らしながら木に登り始めた。
まあ例に漏れずスカートが危険な状態だったが、今の俺は怪盗キッド。ここは紳士的に、口には出さなかった。視線も逸らさなかったが。(やっぱり紳士的じゃないとか無粋なつっこみは入れないことにする)
俺の真上まで来ると、豪快なバキッという音が鳴って、俺の体が重力に従って地面に落ちた。上を見ていたから、受身が取れずに無残な姿で着地に失敗。なんで今日のキッドはこんなにもかっこ悪いんだか。

「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます。ゆいなさん」
「・・・・・!」

すとん、と俺と違って綺麗に地面に足を着いた彼女は、途端に表情を曇らせた。
そんなサングラスも掛けずに出歩いて、正体がバレないほうがおかしいというのに、彼女は俺のように正体がバレてはまずいと思ったのだろうか。
たぶんさっきの強風で飛んでいったのだろう、道端に落ちていた帽子を拾って、彼女の頭にかぶせてやる。
伏目勝ちなその表情に、帽子のせいで影ができる。月明かりとのコントラストが美しいと思った。何かのドラマのワンシーンのように。
ぼう、とその美しさに見とれていると、大きな瞳が寂しそうに俺を見上げた。

「わたしのこと、知ってるんだ」
「それは・・・あなたは国民的なアイドルですからね」
「あなたも、一緒でしょ?」

彼女が本当に言いたいことが分からなかった。
俺がどう答えていいのか考えあぐねていると、ひやっと背筋に嫌な感じが走る。いつのまにか、シルクハットを取られていた。取り替えそうとするこの手をするりとすり抜けたゆいなは、自分の帽子を投げ捨てて、その白いシルクハットを目深にかぶった。

「ちょ、ちょっと」
「でも、この衣装を取ったらもう、あなたは怪盗キッドじゃないのよね?」
「・・・?」
「それが、すごく、羨ましい」

シルクハットの広いつばの下から聞こえる、か細く弱々しい声。
そこで俺はふと今まで疑問に思わなかったことにたどり着いた。そもそも、彼女はなんでこんな時間に一人で、マネージャーも護衛も付けずに、たいした変装もせずに、出歩いているのだろうかと。
よく見れば、財布だって持ってなさそうだった。身ひとつで、こんな夜遅くに、彼女は、

「有名人であることが、辛いのですか?」
「・・・・・!」
「寂しい?」
「・・・・・・・っ」
「わたしでよければ、お話を」

ゆいなが息を呑んだのがわかった。ひっと小さな声がして、それからは小刻みに肩が震えていた。泣いていたのだ。そのとき初めて、この子がテレビの向こうのスターではなく、俺と同年代のリアルな少女なのだと痛烈に感じた。薄くて今にも壊れてしまいそうな肩にそっと手を置くと、彼女の震える唇が開く気配がした。

「自由に外を歩ける、普通の女の子になりたい、の」

吐き出すようにそれだけ言うと、ゆいなの肩にぐっと力が入った。それからごしごしと手で目をこすって、ゆっくりと俺を見上げると、「ごめんなさい、こんなこと、」と儚げな笑顔を浮かべた。
強い女なのだと思った。
俺には怪盗じゃない日常という逃げ場があるけれど、彼女には日常のすべてが偽りで塗り固められているのだ。俺は目立つことが好きだけれど、それはそういう場だけだからであって、彼女は常に誰かの視線から逃げなければならない。先ほどまで、アイドルだなんだのと興奮していた自分がとてつもなく愚かに思えた。

「あの、」

ゆいなが俺の頭にシルクハットを戻そうとする手を、衝動的に握り締めた。
細くて小さい手だった。驚くほど弱々しくて儚げな体温。
そして、また、考えるより先に口が開いていた。

「俺、黒羽快斗ってんだ」

彼女がぽかん、とした。
それもそのはずだろう、俺も自分が馬鹿だと思った。
マスコミと密接に関係している人物に、こんなことを口走るなんて。誰が聞いても俺を馬鹿だと貶すに違いない。
だけど、俺のそんな後悔は、次の一瞬で消え去った。

「・・・・そんなこと言っていいの?」
「だめ・・・・だった気がする」
「だめなの?」
「え・・・まずいかも」

俺がしどろもどろに答えると、ゆいなはぷはっと息を吐き出すように笑い出した。
どんなメディアでも見たことがない、幼くて純粋で、だけどどんな写真よりも可愛い笑顔だった。
これがきっと、本当のゆいなゆいななのだろう。
カメラの前に立つのでもなく、ファンに手を振るでもない、ただ一人の人間としてのゆいなゆいな。

マジシャンとして、人の目は最高のエッセンスだと思ってきた。だけど今、他人の目にこれほどまでに苦しめられている女の子に、生まれて初めて出会った。見ず知らずの俺の前で、弱音を吐くほど苦しんでいる彼女を、俺は、

「俺じゃ・・・君の日常にはなれないかな?」

また突然口をついて出た言葉。
よく考えると告白じみているけれど、俺は真剣に純粋に、彼女の普通の一部になってあげたいと思っていたんだ。
ゆいなは驚いて笑顔を消すと、俺の目をじっと見つめた後ゆっくりと下を向いて、はにかんだように微笑んだ。
その目じりには涙がきらきらと光っていて、ひどく胸が締め付けられた感覚は、たぶん一生忘れない。


「ありがとう、黒羽くん」


泣きながら嬉しそうに笑う彼女は、確かに俺の目の前に居た。

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メトロノーム


(怪盗とアイドル。非日常の象徴たちが、今ゆっくりと日常を作り出す)
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