「あっぶなかったー・・・」

聞きなれてしまった警部の声と大勢の足音、眩しいライトが遠ざかっていくのが分かる。
もう大丈夫だ助かった、といつもだったら浅い息を吐き出しながら思うところなのだが、オレは今それよりももっと危機的な状況に陥っていた。
むしろ、警察に見つかっていたほうが楽だったかもしれないと思えるほど。

いつだってフル稼働するこの脳を混乱させているのは、オレの口を手で塞ぎ押さえ込み、まるでオレの台詞である先程の言葉を零した、この女のことだ。

「・・・・行ったみたいね」

彼女がもう一度息を吐く。
長い睫毛がぱちぱちと上下するのも意識してしまうほどの顔の近さに、さらに汗が吹き出してくる。


今日もいつものように、順調に仕事を終えた。
宝石は目当てのものではなかったけれど、特に何の問題もなく現場を去ることが出来た。
しかし、地面に降り立って一瞬気を抜いたのが悪かったのか、一本道の両側からたくさんの人間の気配が迫ってきて。
まさか退路を警察に先回りされてるとは思っていなかったオレは、どうやってここから消えるかを必死に考えていた。
そのとき、だった。
静かに、と綺麗な声が耳元で囁かれて、ビルとビルの隙間から伸びてきた手に捕まったのは。

普段なら、何者かに背後を取られるなんてことがあれば、得意の反射神経でやりかえしたり、少々乱暴な手段をとったりも出来るのだが、
今、こうやって彼女のなすがままにされているのには理由がある。
オレの口を必死に塞ぎ、小さな体でオレを建物の隙間に引っ張り込んだこの女が
香村ゆいな、オレのクラスメイトだったから。


「(・・・て、だから余計まずい状況なんだけどな)」


普段なら、女の手からなんて簡単に抜け出せてついでに何かキザな言葉でも残して飛び立てるのだが、ゆいなだと分かった瞬間に、思考が停止して。
どうしていいのか分からなくなり、どうも出来なくなってしまったのだ。

「あ・・・ごめんなさい!苦しくなかった?」

警察から隠れるなんて日常ではないはずだから当たり前だけど、ゆいなも緊張していたみたいで、慌ててオレの口から手を離して心配そうに顔を覗きこんでくる。
顔を見られたらやばいのと、彼女との超至近距離に堪えられなかったオレは、ゆいなの腕を掴んで外へ出た。
ファンファン、とパトランプの音が遠ざかっていく。だけどオレは、目の前の彼女のことしか考えてなかった。

何か言わなければ、と思うのに、頭が上手く回らない。オレは苦し紛れに顔を隠すためシルクハットのつばを下げた。
適当に笑って感謝して走り去ればよかったのに、それができなかったのは、彼女の表情のせいだとしか考えられない。

「えっとあの・・・大丈夫?怪我とかしてるんですか?」

オレの無言をどう受け取ったのかわからないが、ゆいなは心配そうな顔をさらに歪めた。
こいつはこんな顔をする奴だったっけ、とどこかで冷静なオレはまじまじとその顔を見つめていた。
オレが学校でどんな無茶をやったところで、馬鹿にして大声で笑ったりするだけなのに。

ここまでの思考の間、オレはずっとゆいなの腕を掴んでいた。
はたと突然冷静になって、内心で自分のその行為に焦りを感じたが、優しくそっと離す。強く握りすぎてはいなかっただろうか。
そしてやっと、自分が何者なのかに気がついた。

「助けていただいて、ありがとうございました」
「え、あ、いえ!本当に大丈夫ですか?」
「あなたのような方に心配して頂いて光栄ですが、わたしはこの通り大丈夫ですよ」
「そう、ですか・・・よかった」

彼女の強張っていた表情が、ふわ、と安堵の笑顔に変わる。
月明かりに照らされたその綺麗な笑顔に、オレは心臓が止まるような錯覚に陥った。
オレは、こんな、ゆいなを知らない。

「どうして、」
「え?」
「どうして助けてくれたのですか?」

ああ、また余計なことを。この場を去るタイミングを逃してしまった。
脈がどくどくと波打つ。
こんなに心が荒れ狂っているのは、はじめて見る彼女に対する感動か、それを“キッド”が見てしまったという悔しさなのか。
とにかく、彼女がこうやって笑っている相手が、自分だけれど自分じゃないことに焦りを覚えていた。

だって、オレは、

「・・・・助けなきゃ、って思ったんです」

ゆいなは、少し俯いて目を伏せて、きゅっと小さな拳を握っていた。
心なしか、頬が赤く染まっているような気もして、オレの体温も無意識に上がる。

「あなたがここに降りてきて、びっくりして隠れたら、警察の声が聞こえて、」

彼女がふらふらと、視線を彷徨わせる。
オレはそれを捕まえたい欲望にとらわれる。目なんか合わせていいはずがないのに。

「捕まっちゃうって思ったら、そしたらなんか、助けなきゃって」

ゆいなはぱっと顔を上げると、「おかしいですよね」と言って恥ずかしそうに笑った。
返事を見つけられないで居るオレをよそに、「なんででしょうね」と、ゆいなは空の月をふいと見た。
綺麗な瞳が月の光を集めていて、宝石のようにきらきらと輝いていた。
そこで、オレたちの距離がそう遠くないことに気がついた。

見惚れてしまっていたオレと、ゆいなの視線が交わる。
あ、やばい、と思った途端、きょとんとした彼女がすぐに笑った。

「わかりましたよ」
「・・・え?」

とん、と彼女が一歩遠ざかる。
その後ろには大きな満月。オレのマントを、風がからめる。生暖かい風。オレはきっと忘れられない。


「私の好きな人と、似てるから、かな」

月光の下でお話をして

思わず抱きしめてしまったのも、全部、彼女の表情のせいだ。
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