「世界が終わる前には、迎に行くさ」

はあ、それ、いったいいつだよ。
呆れた私の文句なんて困ったような笑顔で流して、あの人はどこかへ旅立ってしまった。
見慣れない黒いコートを着てた。オレンジと赤の間の色をした髪を新しいかっこいいバンダナで上げていて、つんつん跳ねた髪の毛は、それでもやっぱり先のほうでくたっとなってた。
胸に光っていた十字架がどんな意味を持つのかを私が知ったのは、彼がいなくなって2ヶ月くらい経ってから。

(戦争かあ…)

彼は戦争に行ったのだ。
戦争が起こればブックマンとしてすぐさまとんでいく彼らは、幾度となく戦争を記録している。
だけど今回は、戦う側として入り込んだみたい。
馬鹿だねえ、エクソシストなんて、神のために戦ってたくさん死ぬんだって教会の神父様が言ってたよ。馬鹿だね。神様なんて信じてないくせにさ。だったら世界が終わるとか簡単に言わないよ、ねえ。私もだけどさあ。
神様がいたらさ、こんなふうに世界をめちゃめちゃになんて、しないよね。

遠くで爆撃の音がした。
悲鳴。怒号。ずしん、どしゅ、どーん。
私は聖堂の真ん中で、一人椅子に座ってた。
割れたステンドグラスは、おかしくなった神父様のせいだ。聖母の首から上が失くなってる。
どどどどど、ずばん、ぐしゃ。
なんかよく解らないグロい機械みたいなやつは、エクソシストじゃないと倒せないんだって。でもその人たちは殆ど壊滅したって。あ、じゃああいつ、約束守らないつもりか。こんちくしょう。

私は元は美しい絵を作り上げていた硝子を踏み潰しながら、鼻唄で聖歌を歌った。
陽気に歌うと意外と間抜けなかんじがする。おかしいものね。
ぴかっ、窓の外でオレンジ色の光があがって、教会を震わす振動。私は気にせず、硝子を粉にする作業に没頭した。

あーあ
世界 おわっちゃう よ


「ゆいな」


半分無くなっていた大きな扉の向こうから、ひどく懐かしい声がした。

「迎えに来たさ」

にへら。背後は黒い煙が濛々と立ち上がっているというのに、なんと気の抜けた笑顔なのだろうか。下ろした彼の、くたくたの髪みたい。
彼はバンダナを付けてなかった。黒いコートも来ていない。初めて会った時と同じ、ちょっと汚らしい旅人の格好。
私は足元の硝子に最後の一撃を食らわすと、そのまま走って彼の首にしがみついた。

「遅い」
「ちゃんと、世界が終わる前、だろ」
「…ばーか」
「おう」
「世界、もう終わっちゃうよ」
「知ってる」

私の背中に大きな手が添えられる。ぎゅ、と甘える子供のように密着すれば、彼のくたくたふわふわの髪が頬に当たってくすぐったかった。煙臭い。

「最初から、こうなることわかってたの?」
「んーさあなあ」
「ねえ、もうちょっとしっかり抱きしめてよ」
「いいの?」
「なんで」
「オレ、力すげえ強くなったんさ」

久しぶりに私は笑った。お腹の底からおかしかった。耳元でくすくすと笑う私に、ちょっと不機嫌になった彼が、こんにゃろ、と言いながら私を抱きしめる。あ、ほんとだ、ちょっと苦しいかも。
私がそれを伝えようと彼の肩から顔を上げると、目の前に真剣な顔。私はそっと目を閉じた。
酸素を吸い込むようなくちづけをしながら、薄く目を開ければ、彼の明るい髪の向こうで、同じような色を発して燃え上がる家が見えた。

優しい余韻を残してくちびるが離れる。
私は彼の名前を呼ぼうとして、気付く。今の彼の名前を知らない。なんと呼んだらいいのかがわからない。
動揺が顔に出ていたのか、彼が優しく笑って私の名を呼んだ。

「オレ、もうエクソシストじゃない」
「…うん」
「ブックマンでもない」
「うん」
「ただの、ゆいなの、恋人だよ」

ずっとこの時を待っていたのかもしれない。
神様は、彼をただの人間に戻すために、世界をおしまいにするのかもしれない。
彼が存在を取り戻すために、私たちは今まで離ればなれだったのだ。


「だからさ、オレの、ほんとの名前、呼んで」


もう、ゆいなしかほんとのオレを知らないんさ。

きゅ、と切なく抱きしめられて、私は呼吸を忘れそうになる。ふわふわの髪の毛をかき集めるように頭を抱き抱える。

「……不謹慎だけど」
「ん」
「私、今世界で一番幸せだと思う」
「いんや、オレが一番さ。ゆいなは二番」
「ふふっ…なによそれ」
「へへ、」

私は彼の頬を両手で包んで、その目を真っ直ぐ見つめた。綺麗な瞳。たくさんの死を見て来たはずなのに、遂のついまで濁ることはなかった。
そこにはもう、私以外映ってない。これからも、きっと、ずっと。

「ゆいな」

囁く唇に、押しつけるように唇を重ねた。
ああ、いとしい。遠くから聞こえる不気味な笑い声も、叫び声も、どんな破壊音も、ぜんぶいとおしい。
神様、ありがとう、一応信仰しとおいてよかったってことね。

じゃ、まあ、ばいばい。
私たちは私たちで幸せになるわ。みんな、今まで、お世話になりました。


「愛してる。愛してる。地球上の何よりも愛してるわ、」


「    」


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(さよなら、世界。)
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