「ねえーシリウスーもうちょっとだけ!」

ね、お願い!
困ったように眉を寄せながら、ゆいなは黒髪の少年を見上げた。初冬の寒さのためか、鼻の頭がほんのりと赤い。それが余計に彼女の日の光を知らないような白い肌を引き立たせていて、なんだかとても儚い印象を与えている。
ゆいなにつられるように眉をひそめたその少年、シリウス・ブラックは、拝むように顔の前で合わされた彼女の両手を大きな手で包みこんだ。

「・・・冷たい」
「むう・・・じゃあ暖まるために、ココアとか飲もう!」
「そろそろ病院に戻らないと、母さんが心配すんだろ?」
「シリウスと一緒だから大丈夫だよー」

首を小さく傾げてにこりと暢気に微笑んだ彼女に、シリウスはひとつため息を投げた。
彼女の額にぺしっと手を当てると、そのまま柔らかな髪を乱暴に掻き乱す。ゆいなが小さく身じろぎをした。

「しょーがねえなあ」
「やったあ!」

しょうがないと呆れたように言いつつも、彼の口元は嬉しそうに綻んでいる。
ありがとうと笑ったゆいながちゃんと前を向いたのを確認すると、シリウスは車椅子のストッパーを外し、ゆっくりと押し出した。車輪が小さく軋んでくるくると回りだす。ゆっくりと小さな歩幅で、優しく丁寧なシリウスの車椅子の扱いがゆいなは好きだった。
落ち葉が敷き詰められた歩道を歩くたびに、柔らかな振動とさくさくという音が聞こえてくる。
その感触は、きっとミルフィーユの上を歩くようなものなのだろうと、 は目を閉じながら想像した。
脆くも崩れていく落ち葉の道を、ゆいなは自分の足で歩いたことがなかった。

感覚を振動とその音に集中させながら目を瞑っていると、ゆっくりと車輪の回るスピードが落ちる。
気にならない程自然に車椅子を止めたシリウスは、屈みこんでゆいなの顔を覗き込んだ。

「ほんとに寒くねえ?体調悪くなったら言えよ」
「もお、シリウスってば心配性なんだから」
「お前に無理して欲しくねえの」
「だって・・・・折角シリウスとデートしてんのに」
「・・・・・・」
「ああもう!ココア買おうよ!」
「へーいへい」

シリウスはほんの一瞬、ゆいなの柔らかな頬に唇を寄せてにやりと笑うと、すぐに背を伸ばして彼女の頭をぽんぽんと叩いた。
彼女が振り向く前に、シリウスは車椅子のストッパーをきちんとかけ、自販機に歩み寄った。背を向けた彼にどうすることもできず、ゆいなは唇を尖らせて大人しく呟いた。

「・・・・・くやしい」
「ま、所詮俺には叶わないってことだな」
「むー・・・・」

けらけらと愉快そうに笑うシリウスの声に、ゆいなは気づかれないようにそっと微笑んだ。
ココアとコーヒーを買うと、二本ともゆいなに渡して、シリウスは湖沿いのベンチを目指してまた歩き出した。
湖の周りは落ち葉が綺麗に掃除してあって、変わりにオシャレなオレンジ色の煉瓦が終わりの見えないずっと向こうまで並んでいる。
ゆいなはその煉瓦の向こうに何があるのかを知らなかった。どこに続いているのか、もしかしたらまたここに戻ってくるのかもしれない。
病院の近くにあるこの公園から一歩踏み出した先は、ゆいなの知らない何かが連なっているのだろう。
湖の上を、白い鳥が数羽、水面をこするように飛んでいった。
それを見えなくなるまで、目を凝らして見送る。白い点は、薄い青色に消えていった。

一生見れない、見ることのない、向こう側の世界に。

「ゆいな、」
「うん?」
「ちょっと待ってろ」

ベンチに座ったシリウスにコーヒーを渡し、ゆいなが自分の缶を開けようとしたとき、それをひょいと取り上げられ、ベンチの隅に置かれる。
不思議に思って顔を上げた途端に、感じる不自然な浮遊感。

「ひゃ、ちょっと、」

さっと膝裏と背中に手が回されたかと思うと、次の瞬間にはシリウスの腕に抱きかかえられて宙に浮いていた。思わず肩にしがみつくと、ふっと小さく彼が笑う。
ちょっと冷たいけど、と呟きながら、とても丁寧にベンチに彼女を下ろした。密着するほど近くに自分も腰掛けると、蓋を開けたココアの缶を手渡す。

「あ、ありがとう」
「俺が隣に座りたかったんだよ」
「・・・・・・」
「はっ、真っ赤」
「ううるさい!」

ぱし、と腕を叩くと、その手をぎゅっと掴まれる。そのまま指を絡められて、離れないように強く握り合う。
ゆいなは真っ赤になった顔を少しでも隠そうと、空いた手でココアをぐびっと喉に通した。
熱い液体が体中にめぐるかんじがして、熱さにくらくらしているのか、シリウスにくらくらしているのかわからなくなった。

「ねえ、シリウス」
「ん?」
「海って行ったことある?」
「・・・・ああ」
「この湖よりも、大きいのよね」

こてん、と彼の方に頭を寄せると、じんわりと熱が伝わってくる。
シリウスがコーヒーを飲んで、湖を見つめ、微笑んだ。

「ああ、もっともっとでっけえよ」
「そっかー」
「見たらびっくりして腰抜かすんじゃね?」
「そんな弱くないもん」

不貞腐れたようにそっぽを向けば、シリウスがからかうように笑う。
「今度行こう」とも「行きたい」とも言わないのは、お互いの優しさであり約束であった。
その代わりというように、シリウスは自分の肩に乗っている小さな頭を優しく撫でると、その額にそっと音を立ててキスを落とした。
またもや真っ赤になったゆいなの顔を楽しむかのように、頬に手を添えて自分のほうに顔を向けさせると、彼はにやりと笑みを浮かべた。

「ゆいな、かわいい」
「・・・・っ、心臓に悪いからやめて」
「ごめんごめん」
「・・・でも、」
「?」
「大好きよ、シリウス」

ふんわりと幸せそうに微笑んだゆいなの唇に、シリウスのものが優しく重ねられる。
何度も何度もそっと唇に触れながら、頬に添えられた大きな手のひらは髪に移動して、ゆっくりと柔らかに髪を撫でる。 ゆいなはその甘さに酔いしれるように目を閉じると、溶けるような気持ちとは裏腹に、繋がった手をぎゅっと強く握り返した。
いつか来るこの幸せの終わりを、少しでもこの手に留めていられるように。この愛しいぬくもりと、少しでも長い時間一緒に居られるようにと。

何秒かの優しいキスは、ほんのりココアの甘さとコーヒーの苦さが混ざり合って、何故かひどく泣きたくなった。

ねえ、かみさま

愛した人と一緒に居ることを許してくれるなら、ここから逃げ出したりしないから、どうか
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