その後、どのタイミングで意識を手放してしまったのか、ゆいなは覚えていなかった。
「ゆいな……!よかった、気がついて…!」
目が覚めた時には、病院のベッドの上で、蘭が泣きながら抱きついてきていた。
毛利とコナンも安堵のため息をもらしていて、時計を見るともう夜も更けてきた頃だった。そこに白鳥の姿はなかったが、青蘭が警察の手に渡ったということを聞いて安心した。
どうやら青蘭は、中国人のふりをしたロシア人で、ラスプーチンの末裔だったそうだ。本来ならラスプーチンのものになるはずだったと考えた彼女は、エッグをはじめロマノフ王朝の財宝を狙っていたらしい。そして、執拗に右目を狙うのは、惨殺された彼を想ってのことだった。
エッグもあの地下室も無事で、今はもう火も消えているらしい。
コナンもたいして怪我もなく、ゆいな自身も軽くめまいを起こしていた程度で、特に異常はなく、一応今晩は病院に泊まることになったが、明日には家に帰れるとのことだった。
「……なんか、暗い顔だね、新一」
蘭が飲み物を買いに出た後の部屋には、上半身だけを起き上がらせているゆいなと、ベッドのふちに座るコナンだけが残されていた。
ゆいなの言葉に、コナンは何も答えない。
「何かあった?」
「………」
覗き込んだ彼の顔は、悲しみのような怒りのような、最後に見た白鳥の表情と同じようなものを浮かべていた。
意を決したように、コナンは顔をあげて、ゆいなを見上げる。
「なんだかんだ言って…俺がオメーを危険に巻き込んだ。ごめんな」
「……なに言ってるの?私が勝手に、」
「俺の傍を離れるな、って言ったけど…でも俺の傍だからこそ、危険だった」
火事のことを言っているのだと分かった。
確かに、小さいコナンはすぐに炎に飲まれてしまっていたかもしれないし、それをゆいなが庇ったのは事実だった。
けれど、それは何ひとつ彼のせいじゃない。そもそも、危険を分かっていて、ゆいなは彼等を追いかけたのだから。
「………新一」
珍しく自信を無くしている彼の頭を、ゆいなはふんわりと撫でた。
コナンが顔を上げる。その目は、江戸川コナンのようで工藤新一でもあって、なんだかとても不思議な感じがした。
「私は、新一なら私のこと、絶対守ってくれるって思ってるよ」
「……ゆいな」
「ずっと昔からそうだったじゃない。私が困った時は、いつも必ず新一が助けてくれた」
「でも俺は…今はなんの力もない、子供なんだ…」
彼の口から、自分は子供だ、なんて言葉が出てくることがおかしくて、ゆいなは思わずふきだした。
何がおかしいんだ、とでも言うように眉を顰めるコナンを、ゆいなはひょいと持ち上げて抱きしめる。
「……!お、い!ゆいな!」
「うん、それがわかっていればよろしい!だからあんまり無茶しないで」
「だけど、」
「私だって、新一に怪我して欲しくないの。危ないこともして欲しくない。新一が私のことを想ってくれてるのと同じくらい、私も新一のことを想ってるんだって、忘れないでね!」
にこ、と笑ってみせれば、少し頬を赤くしたコナンがうなだれるように黙り込んだ。
その頭をぽんぽん、と叩くと、「子供扱いすんじゃねえ」といつもの調子で冷たい言葉が飛んでくる。
やっぱり彼はこうでなくては、と満足をして、ゆいなはいっそう嬉しそうに笑った。
「………同じくらいなわけねーだろーが」
「え、何かいった?」
「なにも」
コナンが呟いたのと、蘭が病室のドアを開けたのはほぼ同時で、その言葉はゆいなの耳には届かなかった。
「……本当に泊まっていかなくて大丈夫?」
「大丈夫だって!みんな疲れてるんだから、ゆっくり休んで」
「そう…?何かあったら連絡して?」
「うん、ありがとう」
病室に残る、と言い張った蘭をなんとか説得して、ゆいなは一人で一晩過ごすことになった。ベッドの周りを整理して、最後に蘭がドアを閉めようとして、ふと思い立ったように立ち止まった。
「……ゆいな」
「ん?」
「船の中で、私が言ったこと、覚えてる?」
「……え?」
「コナン君が、新一に、見えるの」
振り向いた蘭は、泣きそうな顔をしていた。そこではたと気がつく。彼女が、あれからずっと、この疑念に苦しめられていたことを。
大切な人が傍にいないことの恐怖を、ゆいなは知っているというのに。どうしてもっと早く気がついてあげられなかったのだろう。
蘭、と名前を呼べば、彼女は戻ってきて、ベッドの淵に腰掛けた。
「推理してるとこも、地下で私を助けてくれたときも、私のことを呼ぶ声も、全部新一に思えるの……」
「………」
「おかしい、よね……でも、私、」
「蘭」
ゆいなは、彼女の手をきゅっと握り締めた。少しだけ震えている指先に、心が締め付けられる。
もう、限界なのかもしれない。
コナンは、蘭が危険に巻き込まれないためにも、自分のことは隠しておきたいと言った。
確かに、今彼が置かれている状況はあまり安全なものとは言えないし、蘭がそれを知れば、必然的に事件に巻き込まれていくことだろう。
それでも、ゆいなには一人不安に蝕まれている、蘭の気持ちが痛いほどよくわかる。
知らない恐怖よりも、知ったことの恐怖のほうが、よっぽどいい。
「……私には、分からないけど、」
しかし、だからといって、ゆいなの口から伝えていいことではない。
きゅっと唇を噛んで、大きく息を吐いた。
「もし…蘭がそう思うなら……確かめてみたら?」
そうしたら、きっと全部、すっきりするよ。
間違っているのかもしれない。
本当は、そんなことあるはずがないと、笑い飛ばすのが一番よかったのかもしれない。
けれど、蘭のつらそうな顔を目の前にして、そんなことが出来るはずもなかった。
ゆいなには、それ以外に蘭を安心させてあげられる方法が思いつかなかった。こんな風に思い悩む蘭を見て、新一がどう答えを出すのか、ゆいなにはそれを待つしか他に方法がない。
本当ならば、この秘密を守ったまま、蘭を安心させてあげられる方法があれば、それが一番よいのだけれど。
蘭は、こくりと頷いて、ありがとう、と笑った。
いつもの笑顔、とはいえないけれど、どんなときでも忘れることのないこの笑顔が、ゆいなは昔からだいすきだった。
この笑顔と彼女の安全を、両方を守る方法は、ないのだろうか。
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