名前を呼ばれた気がした。

ナマエは重たい瞼を、気力で持ち上げた。焦点が定まらず、ゆらゆら揺れる景色に、一度きつく目を閉じる。
そのまま、また暗闇に引き込まれこうになり、なんとかもう一度開ければ、今度は幾分か正常な世界が見える。

「……いたっ、」

自分が硬い地面に寝転がっていることに気がつき、体を起こすと、頭にひどい痛みが響いた。慌てて額に手をやる。どこかで身に覚えのある痛みだった。じんわり、それが引いていくと同時に、ナマエの意識ははっきりとしていき、全てを思い出したところで、一気に頭が真っ白になる。

一面の雪景色。冷たい空気を震わせる冷徹な声、黒い影、緑の閃光。

そして、地面に転がる、愛しい人たち。


「ここ、どこ…?みんなは…」


勝手に震え出した体を抑えて、ナマエはなんとか立ち上がった。ふらり、まったく力が入らなくて、そのまま地面に吸い込まれるように足が崩れる。
どさ、と倒れてから、肺いっぱいに埃ぽい空気を吸い込む。それを繰り返し、ゆっくりとナマエの頭は落ち着きを取り戻した。

きゅっと拳を握ると、爪が食い込んでいたかった。生きているのだ。

「みんな……っ」

自分がしたことを、ナマエはなんとなく理解していた。
あの時、この残酷な時間なんてなくなってしまえばいいと願ったとき、目の前が真っ白になって、自分は死んだと思った。
そして、それと引き換えに、あの悲しい時間はなかったことになったのだと。
どうやってだとか、そんな細かいことは分からなかったけれど、漠然とあの過去がなくなったのだという理解があった。
それは憶測ではなく確信だった。

それなのに、自分は何故、こんなところで生きているのか。

大きな風が吹いた。それは夏の夜の風だった。昼間の熱気を吸い取った空気。
場所だけでなく、季節まで違っている。
じんわりと汗が滲んできて、ナマエは首に巻いていたマフラーを解いた。

「シリウス……」

コートを自分の肩にかけて、困ったように笑った彼の顔を、鮮明に思い出せる。愛しさで、きゅっと心臓が苦しくなる。もう、みんなが倒れている、あんな光景なんか見たくない。

ねえみんな、生きているんでしょう。
生きていて、お願いだから。

会いたいよ。
会って、思い切り抱きしめたい。


「こんなとこで寝てんじゃねーよ」


荒っぽい声に、ナマエは思考を引き戻された。体を持ち上げることができず、首だけでなんとか靴を視界に捉える。酔っ払いか?と嘲る笑い声と共に近づいてくる、声からして男だろう二人が、ナマエの前で立ち止まった。

「…………」
「しかもこのあちぃのに、コート着てるぜ」
「はは、頭おかしいんじゃねえの」

品のない声に、ナマエは眉をひそめた。

「おーい?邪魔だって言ってんだけど」
「……放って、おいて、」
「あ?女?」

しまった。今のは何も言わないほうがよかった。
後悔しても遅く、下卑た笑い声と共に、ナマエは胸ぐらを掴まれ、無理やり起こされた。

「おーしかも結構いい女じゃん」
「おねーちゃん、こんなとこで寝てちゃだめじゃーん」
「まあ寝たいってんなら、寝てやってもいいぜ?」

男の手がナマエの服に伸びる。振りほどこうと持ち上げた手は、あっけなく掴まれてしまった。弱々しい抵抗など意味はなく、襟元のボタンを外されて、恐怖に身が縮まる。足元の杖を呼び寄せようにも、まったく体に力が入らず魔法も使えない。男たちがいらやしく笑う。その背後には薄暗い路地裏と、ぽつぽつと灯りが見える。見覚えがあった。

「(夜の闇横丁…?)」

するり、と足を撫でられて、ナマエは声をあげた。まずい、まずい、動け、そう念じながらもどうしようもなく、ぐっと目を閉じた、その時。

閉じた瞼の向こうで弾けた明るい光と、二人分のうめき声。
うっすら目を開けた瞬間、ナマエの体は支えを失って倒れこむ。しかし、地面とぶつかることはなく、代わりに頭上から舌打ちが聞こえた。

目を開ける。自分を見下ろして顔を顰めていたのは、少し長めのうねりのある黒髪と、高い鼻、暗い瞳の30歳くらいの男。
こんなに歳をとってはいないが、ナマエにはその顔に見覚えがあった。


「ス、ネ……イ、プ…?」


男の目がはっと見開かれた。
それを最後に、ナマエの意識はぱたりと途切れた。


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