「なん…で」
痛みなんかどこかへ吹っ飛んでしまった。朦朧としていた意識が、ものすごく鮮明になる。
どうして、どうして、どうして。
「なんで出てきたの!今すぐに逃げて!」
自分が思っていた以上に大きな声が出ても、ナマエは驚かなかった。驚いている余裕もなかった。
「ジェームズ!はやくリリーをつれていって!」
「…何言ってるんだよ。僕たち、騎士団じゃないか」
「……ねえ、リーマス…!」
ナマエの責めるような声も虚しく、リーマスは静かに首を横に振った。きっと、彼も逃がそうとしたに違いない。けれど、それでも彼等は杖を手にとった。戦うことを選んだ。
でも、逃げて欲しかった。
「リリー……」
「ナマエ、私ね、この子は賢くなくても、強くなくてもいいと思ってるの」
リリーが、片手でまだ大きくないお腹をさすった。ほんとうに、大切なものを守るように。
「ただ、友達を見捨てるような子にだけは、なって欲しくないのよ」
リリーが浮かべた笑顔は、優しい親友のものであり、そして同時に強い母親のものであった。
ナマエの目から、ぽろりと涙が零れた
。その理由は、考えなかった。考えたくもなかった。
黙って聞いていたヴォルデモートが、嘲るような高笑いをし、左手を高く上げた。
「殺れ」
雪に反射して、いくつもの光がお互いをかき消そうと交錯しはじめる。
その光の中心で、ナマエは泣きながら自分を掴む細い腕を振り払おうとしていた。時折逸れて自分に飛んできた魔法を、一番憎むべき相手が防いでいることが苦しかった。こんなに目と鼻の先にいるのに、自分の杖が届かないことが、吐き気がするほど悔しかった。もう生き延びる理由なんてない。共倒れでいい。だれか、自分に死の呪いを当てて欲しい。
数分も経たなかったように思えた。突然、光が、ぴたりと止んだ。
しんしんと辺りを塗りつぶしてゆく雪のカーテンの向こう側に、何人かの黒い影たちが地面に転がっているのが見えた。
そして、
「……あ、あ……」
冷たい地面に倒れている、愛しくて愛しくて仕方が無い、人たち。
振りほどこうともがいていた腕から力が抜けた、足も腰も何も機能しなくて、そのまま地面に崩れ落ちる。
呼吸の仕方を忘れた。五感の扱い方も忘れた。ただ、それでも、目の前に無情に広がる光景が消えてなくなればいいと思った。
そんな願いも虚しく、ナマエは、ぴくりとも動かずただ横たわる彼等から、目が離せなかった。
ヴォルデモートの足が、ナマエの腹を蹴った。その勢いのままに、地面に転がる。
「俺様のものになる決心がついたか?」
「………」
「お前のその力、上手く利用してやろう」
差し出された手を、ナマエは全力で振り払った。
「誰が……!誰があんたになんか……っ!死んだほうがマシ、ぐっ…!」
あらん限りの力で叫んだナマエの腹を踏みつけて、ヴォルデモートは何かを思い出したかのように笑った。
「……ああ、コイツを忘れていたな」
その杖の先を見て、ナマエは息を呑んだ。
「シリウス!」
ぴくり、彼の指先が震える。薄く開いた目が、ナマエを見つけた。生きている。ナマエは希望と、そして同時に絶望を味わった。
「シリウス、シリウス!」
「……ナマエ……に、げ…ろ」
「やだ…シリウス…っ、」
「あ…いしてる…ナマエ」
伸ばそうとしたシリウスの手に、赤い光が飛んだ。それは簡単に、彼の意識を奪ってしまった。
「やめて!」
「さて…どうしたものか」
「………わかった、あんたに、ついていく。だから彼に何もしないで」
「ハッ、そんな口約束、信じると思うか?こいつを逃がした後に、自害するつもりの女の約束を?」
「……っ」
「もっと有効な使い方があるな」
残酷な声が、歌うように囁く。
「インペリオ」
迷うことなく真っ直ぐに、光がシリウスの背中に当たった。ナマエは、何もできなかった。腹を踏みつけられて、痛みに抗いながら、ただシリウスの名を叫んだだけ。
びくりと大きく痙攣した後、むくり、起き上がった彼は、何も映していない目で、ナマエを見つめた。それを、ナマエも見つめ返す。シリウス。もう一度呼んだ名は、けれどもう届かなかった。彼の目から、愛しい星の光が消えていた。
「これで、もう選択権はなくなったな」
「……っ」
「俺様の命令に従ううちは、この男を生かしておいてやろう。背いた場合は…」
ヴォルデモートが、杖をくいと左に向けると、シリウスは転がっていた杖を拾い、そして自分の喉もとに当てた。
「……やめて」
「さあ、帰ってパーティを開こうじゃないか。ナマエの歓迎パーティを」
退けられた足に、肺に空気が戻ってくる。
シリウスとヴォルデモートが、くるりと背を向けた。ナマエは、震える体を起こして、転がっていた自分の杖を拾い上げた。
意識が朦朧としていた。
この短い時間で、あんなにしっかりそこにあった幸せが、いとも簡単に崩れてしまった。
ナマエは、ジェームズたちの家を振り返った。まだ明かりがついていて、その主が外で雪に埋れようとしているだなんて信じられなかった。目の前が、輪郭が捉えられないほどにぼやける。溢れ出る涙を拭くこともせず、ナマエは杖を強く握りしめ、地面に額を当てた。
力ってなんだ。
そんなもの、どこにある。
渦巻き出したのは、ただただ自分への嫌悪。自分の得体のしれない、あるはずもない力というもののために、友人たちは殺された。
過去をなかったことにする力。
そんなものが本当にあるなら、いまこの現実を消して欲しい。消して、なかったことにしてほしい。すべてを捧げるから、あの幸せを、返して欲しい。
消えろ、消えろ、きえろ、
「 !」
ナマエは、無我夢中で何かを叫んだ。
その瞬間、世界が真っ白になった。
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