雪のカーテンを掻き分ける。
どんどん勢いを増していくそれは、あっけなく視界を、世界のすべてを遮ってしまいそうで。


「風邪ひくぞ、そこのガキ」
「わ、」

突然、後ろから乱暴な力で抱きしめられたナマエは、そのままバランスを崩しそうになったが、上手に背中向きに倒されて彼の腕の中にすっぽりと収まった。
シリウス、と呼べば、すぐ耳元で小さなため息がこぼれたあと、肩に回っていた腕の力が強まった。

「…?どうしたの?」
「いや…すげえ冷てぇよお前」
「あはは」

笑い事じゃねえだろ、と彼は不機嫌そうに言うと、持っていたコートを肩にかけてやる。
そのお礼というつもりで、ナマエがそっと彼の頭に乗っていた雪を払ってやれば、やっとシリウスが笑みを浮かべた。

「綺麗ね」
「ああ…」

シリウスの指先が、ナマエの冷たい手のひらを掴む。
暖めようとしてくれたのだろうけれど、実際にはシリウスの手のほうが冷たくて、ナマエはバレないように笑った。
なんとなしに後ろを振り向けば、うっすらと積もってきた地面に、彼の足跡が点々とついている。
その先にジェームズたちの家の明かりがあることに、どうしようもないほどの愛しさと安心感が込み上げてくる。
そんなナマエの気持ちを知ってか知らずか、シリウスが握る手のひらに力を入れた。

「なんかさ…すごいよな」
「何が?」
「ジェームズとリリー。親になるんだろ」
「そうだね」
「いいよな、そういうの、さ。すごいよ」

寒い夜に透き通るような、純粋な感嘆。シリウスの綺麗な声は、冷たい空気を震わせる。
それでもその少年のような純真な言葉は、大人になった彼には不釣合いで、思わずナマエは彼の瞳を見上げた。
灰色に雪の白さが映りこんでいて、きらきらと輝いている。星を集めたような彼の瞳は、吸い込まれそうなほど、美しい。
そんな美しさの中で揺れているのは、とまどいか、不安か、きちんと見分けることは出来ないけれど、ナマエはそれに応えるため同じように手のひらに力を込める。

「俺にはさ…あたたかい家族ってのが何なのかイマイチわからない」
「……」
「だから、幸せな家庭を持つなんて、夢のまた夢だと思ってた。こんな俺には、絶対に幸せなんて作れないって」

自嘲的な笑みを浮かべた彼の横顔から、痛いほどの寂しさが伝わってくる。
彼は自分を貫くことにひどく直向きだった。そのためならなんだってしてきた。それでも孤独に怯える人間に変わりはなくて。そんな不安を払拭するために、彼が悪戯を繰り返していたことに気がついたのは、いつの頃だっただろう。
一人を望んで一人を恐れて、誰よりも輝いていた彼が、誰よりも寂しそうな目をしていた。
だからこそ、ひたむきに優しく真っ直ぐな彼の隣に居たいと望んだあの頃の願いは、今もまだ変わらない。


「そんなことないよ。少なくとも、私は、シリウスのおかげですごく幸せだよ」


すべて伝わればいいのに。感じてること、想っていること、目の前で悲しそうに揺れるその瞳に、すべて映ってくれればいいのに。
ナマエは胸が苦しくなるのを感じながら、ゆっくりと彼の腕に寄りかかった。ほんのりと伝わってくる暖かさが、余計に胸を詰まらせる。
もっともっと伝えたい。もっともっと、共に時間を過ごして、終わりまで全部をあなたにあげたい。

それでも今は、幸せだと伝えることしかできなくて。


「……ほんとに?」
「あたりまえでしょ!…だいすきだよ、シリウス」
「……!」


じっと前を見ていたシリウスが、びくりと動いてナマエを覗き込んだ。
そして、呆れたように眉を寄せて笑い、ナマエの頭に顎を置いた。

「お前と居ると、ほんと調子狂う」
「馬鹿にしてんの?」
「いや、すっげー褒めてる」

くすくす、と優しい笑い声が冷え切った空気を暖めるようにこぼれ、あたたかい手のひらがわしゃわしゃとユイナの髪を撫でる。
やめてよと頭に載せてきたナマエの右手を捕まえて、シリウスがゆっくりと下に下ろし、自然と向き合うかたちになった。
そのまま指を絡めて、もう片方の手でくしゃっとなった髪を梳いて、そのまま頬に添える。
灰色の瞳の奥で星のように小さな光がきらめいていて、ナマエは再び息がとまるかと思った。

指先に少しだけ力が入って、シリウスの唇がゆっくりと動く。


「……ナマエ」
「うん」

あたたかい、と思った。

この人といるだけで、こんなにもあたたかい。


「ナマエ、俺と、けっ――」


ゆっくりと確かに言葉を紡ごうとしていたその時。
どこん、と鈍い音がして、シリウスの側頭部で雪が盛大に弾けた。
唖然としているナマエの目の前で、勢いで俯いたシリウスの肩がわなわなと震える。
そして雪球が飛んできたほうへ大声で叫んだ。そこには、マフラーを巻いたジェームズとリリーが。

「…ってぇな、ふざけんなよジェームズ!」
「いつまで二人でいちゃいちゃしてるんだい!風邪ひくから家に入りなさい!」
「途端に父親っぽくしてんじゃねー!」

二人の間で始まった雪合戦に呆然としていると、リリーが息を白くさせながらナマエの隣に立つ。

「ごめんね、ナマエ」
「リリー!こんな寒いとこ出て大丈夫なの?」
「むしろ暑いくらいよ。ジェームズが無理やり着せるんだもの」

呆れたように肩をすくめたリリーは、たしかにセーターを何枚か着た上にもこもこのジャンパーを着ているようで、体格が分からないほどに膨張していた。

「あのね、二人にお願いがあるの」
「なに?」

かしこまったように呟いたリリーの言葉に、首を傾げる。
彼女はゆっくりと優しく、お腹に手を置いた。

「もしこの子が男の子だったら、その時は…二人に名付け親になってほしいの」
「わたしと、シリウス?」
「うん。女の子だったら、リーマスとピーターに頼んでるの」

ふわり、と優しくリリーが笑う。
名付け親。それになるということの意味が、ナマエの胸をまた幸せでいっぱいに満たした。
生まれてくる赤ちゃんの、もう一人の親になれる。それも、シリウスと一緒に。

「…っもちろん!」
「ふふ、そう言ってくれると思ったわ」
「あたりまえじゃない!」

そっとリリーの体を抱きしめる。やっぱりもこもこで、たくさん着込んでいるのが分かった。
そして、それだけジェームズが彼女のことを大切にしているということも。
二人して抱き合っていると、向かい合ったリリーの背中に雪球が直撃し、直後に「あああ!」という叫び声が聞こえた。

「ごごご、ごめんねリリー!大丈夫?」
「大丈夫よ。あなたがたくさん着せてくれたおかげでね」
「よかった!ほら、着といて正解だっただろ?」

シリウスとの投げあいはどこへやら、ジェームズはすぐにリリーに駆け寄ると、そっと背中に腕を回して顔を覗きこんだ。
寒いから中に入ろう、と微笑んで歩き出す二人の背中を見送って、シリウスがため息をつきながらナマエの隣に並んだ。

「ほんっと、ジェームズったら幸せそうなんだから、ね?」
「…ナマエ」

ぽつり、と雪のように静かに言葉が落ちる。
顔を向ければ、シリウスが前を向いたまま微笑んでいた。


「俺も、お前といれて、すげえ幸せだよ」


泣きたくなった。
たくさんのことを言葉にしたかったけれど、上手く出てこなくて、ナマエは大きく頷くとシリウスの腕に抱きついた。
嬉しくて、嬉しくて、苦しくて、ただひたすら泣きたくなる。
そんな雰囲気を察したのか、シリウスが笑った。

「泣くなよ、泣き虫」
「…泣いてないよ、ばーか」
「あいしてる」
「……うん」


私も。

すべての気持ちを込めてそう返せば、シリウスのしっかりとした腕が肩にまわる。
そして二人して、ゆっくりと家に向かって雪を踏みしめようとした、その時だった。


「見つけたぞ。ナマエ・ミョウジ」


雪を運んでくる風よりも、ずっとずっと冷たい風が、吹いた。


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