リーマスは、杖先の灯りを頼りに歩きながら、ため息をついた。思いつく限りはこれで調べ尽くしたが、シリウスの姿はどこにもない。今頃、スネイプがダンブルドアに報告に行っているだろう。もしかしたら、スネイプは自分を内密者だとでも疑っているかもしれない、とリーマスはぼんやりと考えていた。保身のために、シリウス・ブラックが違法の動物もどきだということを言えないでいる自分は、結果的には彼を庇うことに繋がっているかもしれないのだから、あながち否定することもできない。
「(……自分が弱くて嫌になる)」
社会から理不尽な扱いを受けることが多いリーマスにとって、信頼は何よりも代えがたいものだ。だから、その信頼を裏切って狼の姿で校内を徘徊していたということを、校長に伝える勇気はなかった。それに、彼らが動物もどきになってくれたことは、リーマスの人生の中で奇跡にも近い幸福なことだった。自分のために危険をおかしてくれる友人ができたことが、たまらなく嬉しかった。その想い出を汚すように、ましてや大切な友人の息子を殺すために、その力を使われているとは考えたくもなかった。
"………本当に、そう思います?"
先程のナマエの言葉が頭に浮かぶ。本当にハリーを狙っているのか。確かに彼女の話は筋道立っていたが、あれはまるでシリウスが無実だと思っているような発言だった。シリウスを凶悪な殺人鬼だと思っていれば、その殺人目的を疑うようなことはしない。
あの子は、何かを知っているのだらうか。
もうずっと前から、リーマスは彼女に違和感を感じていた。何かを隠しながら、必死に痛みに耐えている様子が、自分と似ていると思った。人に言えない苦しみがあるのだろうと想像がついたからこそ、昔友人たちがしてくれたように、積極的に話しかけるようにしていた。
ただ、そういった理性的な感情とは別に、彼女が悲しそうな顔をしていると、同じようにとても辛くなる。不安そうにしていれば、力になってやりたいと。笑ってくれれば、愛しささえ感じる。
そんな自分の感情を、うまく飲み込めずにいた。
だって、これではまるで、
「おーい、リーマス!どうだ、見つかったか?」
ハグリッドがカンテラを持って、隣にファングを携えて立っていた。リーマスが首を横に振ると、彼の眉間の皺が深まる。
「おれは今から森に入ろうと思うんだが、一緒に来ちゃくれないか?」
「ああ、すぐに行くよ」
夜の森は危険だ。しかし、身を潜めるには適しているとも言える。もし、犬の姿になっていたら。見分けがつくのは、自分しかいない。必ず彼を見つけなければ、見つけて、吸魂鬼に引き渡して、それで、
「大丈夫か、リーマス?」
「…え?あ、ああ…」
また、ナマエの顔が浮かんだ。なんとなく、シリウスが死んだら、彼女が悲しむだろうと思った。理由などないのに、そう思っている自分が不思議ではあるが、彼に死んでほしくないと思っている自分の無意識の責任転嫁だろうか。まだ此の期に及んで、彼の生を望むことなんてないはずなのに。彼は相当の罰を受けなければならない。これからも、ずっと。
「ハリーは無事だろうか…」
「ダンブルドアがいる。心配ないよ」
「いんや、ああ見えてハリーは無茶をするからなあ。今はただの殺人鬼だと思ってるけど…もし…もし…」
「………両親を裏切った男だと知ったら?」
「ああ……飛び出して、仇を討とうとでも考えるんじゃあないかって、おれは心配で…」
たしかにハリーには勇敢なところがあるが、まだ未熟で正しい判断ができないときもあるだろう。まして年頃の力を付けてきた男の子が、大人しく守られていることを良しとするかが、リーマスもハグリッドも心配であった。少なくとも、ジェームズならば、勝手に飛び出してしまいかねない。
「とにかく、わたしたちはアイツを見つけるのが先だ」
「ああ。リーマス、あまり灯りを大きくするんじゃねえぞ。みんなが怖がる」
「わかってるよ」
リーマスは杖先で足元を照らし、目を開いた。湿った地面に、足跡がある。大きさは、自分の足よりもかなり小さい。
「ハグリッド、校内を捜索してるとき、ナマエ先生を見かけた?」
「え?いんや、そういえば見てねえな…」
「……急ごう」
草むらも、人間が掻き分けたかのように不自然に分かれていた。彼女は実力のある魔法使いであることは確かだが、夜更けの森に一人で入るなど。ましてや殺人鬼が潜んでいるかもしれないのに。
「……なんか森の中に落ち着きがねえな」
ハグリッドがカンテラで前方を、リーマスが足元を照らしながら歩く。地面が湿っていてよかった、と思う。くっきりと残った彼女の足跡を辿ることができる。
「…!リーマス、前見てみろ!なんか光ってる」
「………っ」
あの光は、魔法使いが作り出す浮遊照明の色だ。そして、足跡はその光のほうに続いている。ハグリッドの制止を振り切り、リーマスは駆け出す。嫌な予感がした。
「ナマエ!」
開けた場所に出れば、地面に仰向けに横たわっているナマエがいた。手から離れた杖の真上に、柔らかい光の玉が浮いていた。
「ナマエ!ナマエ、しっかりして…!」
リーマスはローブが泥だらけになるのも構わず、ナマエの横にしゃがみ、彼女の頭をかかえると、呼吸を確認する。息はしている。意識がないだけのようだ。
「何があった!?」
「ナマエが…!」
「シリウスか!?」
見たところ外傷はないが、彼女の手から杖が離れていることが恐ろしかった。もし、魔法をかけられたのだと、したら。
このまま目が覚めない可能性は、十分にある。
「ハグリッド!すぐにダンブルドアに診てもらわないと、ナマエが、」
「落ち着くんだ、リーマス。おれが運ぶ」
ハグリッドが大きな手で彼女を抱くが、彼女はくたりと力を失ったまま目を開ける気配はない。その様子にぞっとして、リーマスは自身の爪が食い込むのにも気付かず、強く拳を握った。
「おれは先に行く。お前さんは、ファングとシリウスを捜索したほうがいい」
「いや、でも、」
「いいから」
リーマスは頷くしかなかったが、彼女のことが心配でそれどころではないのが正直なところだった。リーマスはナマエの杖を拾い、浮かんでいる光の玉を消す。彼女が捜索用に出していた光が、そのまま残っていたのだろうか。何があったのか痕跡を探そうと自身の杖で辺りを照らすと、何か四角い紙切れが落ちていた。それを拾い上げて、リーマスは言葉を失う。
写真だ。
とても見覚えのある写真。
「なんでこれが…こんなところに……」
慌てて裏面を見ると、見覚えのある筆跡に、見覚えのあるメッセージ。忘れるはずがない。彼女が卒業するときに、一人ひとりに宛てて書いてくれたメッセージ。
ありがとう。これからもよろしく。
卒業式の日を覚えている。泣きながら笑ってホグワーツにさよならをした日のことを。親友たちと一緒に、城をバックに写真を撮った。ジェームズ、シリウス、ピーター、リリー、そしてあの子。
リーマスは震える手で再度写真の面を見る。胸の中がざわざわとして、呼吸が浅くなる。本当は、わかっていたんじゃないのか。その可能性を考えることが怖くて、避けていたんじゃないのか。わからない。だって、何ひとつ思い出せない。思い出そうとしても、どうしようもなく悲しくて苦しいだけ。
満面の笑みを浮かべる自分たちの横で、真っ黒く塗りつぶされた影が、こちらに向かって大きく手を振っていた。
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