リーマスが簡単な自己紹介をして、授業の舞台は職員室に移されることとなった。まだ未体験のリーマスの授業に、生徒の目は期待と不安で満ちている。ここ二年ほど、闇の魔術に対する防衛術の教師は毎年変わっているのだということを、ナマエは医務室に来た生徒から聞いていた。ナマエ自身、リーマスの授業にはとても興味がある。監督生だった彼は、よく友人に勉強を教えていた。ピーターと二人で図書室に居る姿をよく見たものだ。
「おやおやおーや」
ボガートをしまっている職員室に向かう途中、空中で逆さまになり、ゆらりゆらりと不規則に身体を動かしたいるピーブスがいた。ナマエはあまり好きではない遭遇に、げ、と顔をしかめる。
ピーブスはリーマスに気がつくと、ニヤリと笑って急に歌い出した。
「ルーニ、ルーピ、ルーピン。バーカ、マヌケ、ルーピン」
ケラケラと笑いながら辺りを回る彼は、ナマエの知る姿から寸分も違わなかった。監督生であったリーマスを彼が嫌っているのは昔からだが、それも変わっていない。幽霊だから当たり前ではあるが。悪口を高らかに歌い上げる彼を、ナマエは軽く睨んだ。ピーブスがぴたりと歌をやめ、顔が歪ませる。
「はて、お前……見たことあるなあ」
「……そりゃあ、ここの教師だから、見たことあるに決まっているでしょう」
「いーや、ちがう、もっと前だ…いつだったかな…俺はお前を知ってるぞ…」
「……!?」
ぎくり、ナマエは大きく肩をゆらした。
まさか、顔をみただけで知っていると言われることがあるなどと予想をしていなかったし、そんなことがあるはずがない。
しかしピーブスは思い出すのが面倒になったのか、またリーマスの悪口を言いながら、ドアの鍵穴にチューインガムを詰めることを再開させた。あまりに暇そうな行いに、リーマスがため息をつき、逆詰め魔法でガムをビーブスの鼻に詰め込んだ。生徒から拍手が送られる。
「ナマエ先生は、ホグワーツ出身?」
「……い、いいえ、違うわ」
ハリーの質問に咄嗟に答えたが、その嘘を貫き通せるか不安だった。しかしホグワーツに自分の記録が残っていないことがバレるのはまずい。幸いにもリーマスが職員室のドアを開き、生徒を招き入れたところで自然と会話は打ち切られた。
職員室にただ一人いたスネイプが、嫌味ったらしい声をあげた。
「ルーピン、誰も君に忠告してないかもしれないが、ネビル・ロングボトムには難しい課題を与えないように申し上げておこう」
スネイプが、口元を歪めて、クラスの中でも一際体格の小さい男の子を見遣った。彼が恥ずかしさのあまり顔を赤くする。ハリーが心底嫌そうな顔をしているのを見て、スネイプが日常的に彼によくない態度を取っているのが想像できた。
「あまりそういう発言は感心しないわね、セブルス」
「なぜ貴様がここにいる」
「見学よ。悪い?」
「……教師ごっこも大概にするんだな」
「……っ!私はちゃんとやってます!生徒を悪く言うなんて、あなたこそごっこ遊びなんじゃないの?」
「我輩は事実を忠告したまでだが?」
きっと睨み付ければ、薄ら笑いが返ってくる。スネイプを教室から追い出して、ああほんと腹が立つ、と低い声で呟けば、生徒たちがぽかんとこちらを見ていた。リーマスも困ったように笑っている。途端、自分が大人気ない振る舞いをしていたことに気が付いて頬が熱くなった。
「スネイプ先生と、あんな風に言い合う人をはじめて見ました…」
「ご、ごめん、仮にも先生なのにあんな子供みたいなとこ見せちゃって…」
「いえ、ただ意外で…」
「そ、それより!ネビル、あんな奴の言うこと気にしちゃだめよ!あなたのご両親、あの立派な魔法使いの、ロングボトム夫妻でしょう?」
「僕の両親のことを知っているんですか?」
「昔、少しお世話になったことがあるの。大丈夫、あなたなら出来るから、自信を持ってね」
ネビルは恥ずかしそうに顔を綻ばせた。リーマスが嬉しそうに笑って同意をしたとき、部屋の隅のタンスが大きな音を立てて壁から数センチ飛び上がった。同じように何人かの生徒たちも床から飛び上がる。ネビルが途端に不安そうな顔をした。
「大丈夫、心配することはない。中にボガートが入っているだけだ」
生徒たちにさらに不安が広がるのを見て、ナマエは一歩後ろに下がり、反対側の壁に並んでいた椅子に腰掛ける。ここからは、リーマスの授業だ。それに今は、ましてリーマスの前で、ボガートとは対面したくない。
助手として指名されたネビルは、とてもよくやった。ネビルが作り出したハゲタカのついた帽子を被った緑色のドレスを着たスネイプは傑作だった。しばらく思い出し笑いをしてしまうだろう。それから次々と生徒たちが対峙し、ボガートはどんどんと混乱していくようだった。ロンが対峙したあとの脚のもげた蜘蛛が、ナマエの一番近くにいたハリーの足元に転がった。ハリーが杖を構えたとき、何になるのだろうと想像し、ナマエは慌てて立ち上がった。もし想像通りだとしたら、まずい。
そう考えたのはナマエだけではなかったようだ。リーマスがさっとハリーの前に飛び出し、ボガートの気を逸らそうとしたが、先に一歩前に出ていたナマエに気を取られたボガートが一瞬、あの塗りつぶされた黒い人型を形取る。しまった、とそれを消そうと杖を構えたところで、今度は瞬時に銀色の球体に姿を変えた。
クラスの全員がわけがわからないだろうが、ナマエには分かる。リーマスの怖いもの、月だ。
「ネビル!とどめだ!」
ネビルが意を決した表情で前に出て、またもや女装スネイプが現れたところで、彼の大きな笑い声に負け、ボガートは細い筋となって消えた。生徒たちから拍手があがる。みんながやりきったという達成感で高揚しているようだった。リーマスも満足そうに笑う。
最後に宿題が出て、授業は終わりを迎えた。生徒たちが全員嬉しそうに職員室から出て行ったのを見送ると、リーマスは細く息を吐いて、くたりと椅子に腰掛けた。
「いい授業でした、ルーピン先生」
「そうかな?……ありがとう」
「生徒たち、みんな自信がついた顔をしてた。レベルも彼らにちょうどよかったですし、実践型はやっぱり身につきやすいですね。特にネビルが誇らしげでこっちまで嬉しくなっちゃった」
「いや、でも……ハリーには不信感を与えてしまったかもしれない」
リーマスは悩ましげに口元に手を当てた。ナマエにはその言葉の意味がすぐに思い当たった。杖を構えていた彼の前に出て遮ってしまったことだ。
「私も出過ぎたことをしてしまってごめんなさい。でも、もしここにヴォルデモートの姿が出てしまったら……」
「ああ、授業どころじゃないパニックだっただろうね……」
「ハリーもわかってくれてると思うけど……」
リーマスはじっとナマエを見ている。どきり、として、どうしました、と答える声が少し冷たくなってしまい後悔する。
「……いや、ごめん。なんでもないよ。今日は本当にありがとう」
「こちらこそ。ルーピン先生とみんなの頑張る姿を見て、私も頑張ろうって思えました」
リーマスは柔らかく笑った。昔と全然変わらない笑顔に、ナマエもつられて笑顔をこぼす。
「よかった」
「え?」
「ナマエ先生、いつも辛そうな様子だったから、気になっていたんだ。何か僕に出来ることがあれば、いつでも力になるよ」
「………ありがとう、ございます」
「それじゃあ、すぐに次の授業があるから、僕はこれで」
リーマスは一瞬ナマエの頭に手を伸ばして、困ったように笑いながらその手を下ろした。ナマエは何も言えず、ただその手に触れられないことに、どうしようもない寂しさを覚えている自分を消してしまいたいと強く願っていた。
悲しいなんて、認めてしまいたくなかったのに。
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