「(まったく眠れなかった…)」
大広間へ朝食を取りに向かいながら、ナマエは大きくため息をついた。
シリウスのことリーマスのこと、色々なことが頭の中を駆け巡って気がついたら朝になっていた。気を紛らわそうと、医務室の近くに用意してもらった自室を魔法で改装していたのだが、今思えば薬でも飲んで寝てしまったほうが正解だった。今日から早速校医の仕事がはじまるのだ。マダムポンフリーの完璧主義はよく知っている。足手まといにならないよう、しっかりと役に立たなくては。自分のことばかり考えていてはいけないと、ナマエは気合を入れるように自分の頬を叩いた。なんといったって、教師として働くのだから。
「……後ろを歩くなら声をかけてよ」
じとり、振り返りつつ少し呆れた目線を向ければ、ツカツカと歩いていたスネイプがふんと鼻を鳴らした。
「別に、話すことなどないだろう。寧ろ話しかけるな」
「新米教師にアドバイスなどは?」
「足手まといになるなよ」
心のうちを見透かされたようで、ナマエは言葉を詰まらせた。
これ以上彼に話を振っても無駄だと理解し、ナマエは黙って大広間のドアを開ける。昨日のように活気に溢れた空気に、すっと心が和やかになるのがわかった。思わず顔を綻ばせるナマエを尻目に、スネイプは少しでもこの空気を吸いたくないと言わんばかりに、足早に教職員テーブルに向かっていった。
それぞれの寮のテーブルの位置は、自分の頃と変わっていなかった。スリザリンのテーブルで、昨夜コンパートメントに逃げ込んできた男の子を中心に、何か盛り上がりを見せている。楽しそうだな、とぼんやり思いつつ見つめていると、金髪の男の子がこちらに気がつき、ぱっと目が合う。昨夜は気がつかなかったが、どこか誰かに似ている気がする。誰だったか、と思案しているうちに、彼はさっと視線を逸らし、バツが悪そうに盛り上がっていた話題を切り上げて食事に取り掛かった。
「先生、さすが!視線だけでマルフォイを黙らせるなんて」
ひゅう、と口笛。グリフィンドールのテーブルで、ウィーズリーの双子が拍手をしていた。
「マルフォイ?」
「ドラコ・マルフォイ。たぶん、昨日先生に助けられたもんだから、バツが悪いんだろ」
「お漏らししかかってたもんな」
ああ、と納得する。昨夜のことでなく、彼の名前に。
見覚えのある金髪と、切れ長の目元がよく似ている。ルシウス・マルフォイ。紛れもない死喰い人だ。もしかしたら、あの“なかったことになった”夜、友人たちに死の魔法を当てた一人かもしれない、という思いが一瞬胸の内を掠めて、ナマエは慌てて振り払った。
「吸魂鬼は本当に恐ろしいのよ。甘くみちゃだめ」
「ウン…ナマエ先生が居てくれなかったら、俺たちじゃどうにもならなかったよな」
「でも、多分一番気にしてるのはハリーだぜ」
ちらり、フレッドの視線の先に、昨夜も一緒にいた女の子と、双子と同じ赤髪の男の子と楽しげに話しているハリーの姿があった。
「気絶したのはハリーだけだから」
「……そう」
理由はすぐに思い当たった。吸魂鬼は恐怖そのもの。恐怖の経験が強いものほど、その恐怖に引き込まれてしまう。ハリーは両親を亡くしている過去がある。あの時自分も感じた寒気が、ぞぞ、と背中を駆け上がる。
ハリーがこちらに気付いて、目を丸くした。先生、と立ち上がる。彼と話していた友人たちも何事かと食事をやめた。
「おはよう、ハリー。調子はどう?」
「あ、あの…元気です。先生は?」
「実は眠れなくて…緊張しちゃって。あ、やっとちゃんと自己紹介できるね」
ナマエよ、よろしくね。
差し出した手に一瞬戸惑いつつ、ハリーは笑顔を見せて握り返してくれた。それから彼の友人たち、ロンとハーマイオニーも元気に挨拶をしてくれた。「あの、先生、」ハリーはたまらないといった感じで話をしようとするが、すぐにグリフィンドールの生徒たちが何事かと集まって来た。一段と若い教師は、子供たちにとっては好奇心の的だろう。多方面から質問責めに会い、ナマエはひとまず教職員テーブルに避難する。
「ごめんね、ハリー。私も色々と話したいんだけど、」
「…はい」
「時間はたくさんあるし、いつでも遊びに来て、ね?」
はい、と笑ったハリーに、ほっと幸せな気持ちになる。勝手に彼に自分の存在理由を見出している自分が、本当に身勝手であることは理解している。それでも、それしか、
「……あまりポッターに構わないほうがいいと思うがね」
「あら、スネイプ。話すことなんて特にないんじゃなかった?」
「ふん……まさか、自分の素性でも明かすつもりでもなかろうに」
「…もちろん」
ただ、見守り続けるつもりよ。
自分が誰なのかなど、ハリーには関係がない。この世界から抹消されている自分が、今更彼の両親と親友だという話をして、何になるというのか。ただ、彼が健やかに育ってくれればそれでいい。それだけで、自分がここにいる理由に。
「……見守る、か」
食事を口元に運ぶ合間に、息を吐くくらいの音量で呟かれたスネイプの言葉。その視線の先を追って、ナマエは口を開いて、やめた。
あなたも本当はそうなんじゃないの?
そんな野暮なことは、彼の横顔を見てしまったら喉を上がってくる前に消えてしまった。
×