シリウスに会って、本人の口から、本当のことが聞きたい。

その夜、ナマエが強く思ったのは、ただそれだけだった。
誰のどんな言葉も、信じる気にはなれなかった。新聞の記事も、ダンブルドアの言葉も、リーマスの表情も、何ひとつ信じたくはない。ナマエは、ただシリウス本人の言葉だけを信じたかった。ホグワーツを離れて探しに行くことまで考えてたけれど、行く当てのない自分を教師にしてくれたダンブルドアを裏切ることだと理解できていたし、何よりすべてを忘れている彼に、敵意を向けられることが途方もなく恐ろしかった。
結局は自分が傷付くことが一番恐ろしい。
自分に嫌気がさしながら、ナマエは一日の疲れにゆっくりと身を任せた。


「おはよう、ナマエ先生」

びくり、大袈裟に肩が飛び跳ねてしまった。振り向くと、少し困ったように笑っているリーマス。ああ、また挙動不審で困らせてしまったと罪悪感を感じる前に、彼はすぐに表情を変えてナマエの隣に座った。ちらり、思わず助けを求めるようにスネイプに視線を送ると、彼はそもそもこちらを気にも留めていないようだった。

「ハグリッドなんだけどね…まだ処罰が決まったわけではないようだけど、とりあえず教師は続けられるそうだよ」
「そうですか、よかった…」
「…ハグリッドとは、知り合い?」

ハムエッグを口に運ぶ手を止める。そこでやっと、隣に座る彼の目を見る。リーマスに何かを質問されると、頭の中が真っ白になってしまう。いちいち傷付いてしまう心を隠して、なんでもない赤の他人を演じることが、どうしても難しかった。

「…いいえ。ただ、優しい先生なので、心配で」
「そうか、ナマエ先生も優しいんだね」

にこり、リーマスが笑う。
あなたこそ、と言いたくなって口を閉じた。パンを口の中に突っ込んで、コーヒーを流し入れる。彼はなんて残酷な人なんだろうと、身勝手ながらにその優しさにため息をつく。見知らぬ他人の"ナマエ先生"にまで、こんなにも柔らかく接してくれるのだから。

「………はあ」
「……うっとおしい」

職員室で、先の会議の資料に再度目を通しながら、誰もいないことをいいことに大きなため息をついた。はずであったが、そのため息を一番聞かれたくない人に拾われてしまった。

「スネイプ…あなた、嫌味以外の言葉知らないの?」

そんな嫌味の仕返しも、ふんと鼻で笑われて終わり。ナマエは机に突っ伏して、羽ペンを投げだした。

「……ねえ、スネイプ」
「………」
「あなた、私のこと、何か思い出した?」

事情を知っている彼の前では、どうしても気持ちが緩んでしまうのか。ナマエは言葉にしてから少し後悔した。自分は何を望んでいるのか。

「…いや、何も」
「……そう」
「ただ、特に上手く付き合ってはいなかっただろうというのは予想がつく」
「はは、当たり」

馬鹿なことを、とでも言われるかと思ったが、スネイプから出てきたのは案外シンプルな答えでほっとする。何を考えてしまっているんだろう。いまの質問はまるで、

「ルーピンに、思い出して欲しいとでも?」

心の内を見透かされたような言葉に、はっと顔を上げる。驚いたことに、スネイプは真っ直ぐにこちらを見ていた。

「………いいえ」
「そうか」
「忘れたままのほうが、いいことなんだと思う」

ナマエのことを思い出すということは、つまり彼自身が一度死んだというなかったことになった過去をなんらかの形で引っ張り出すことなのかもしれない。ナマエはそれが恐ろしかった。想像もできなかった。せっかく彼が手に入れた生に、できる限り影を落としたくなかった。それならば静かに、彼の知らないところで、彼の幸せを願っていたい。

「面倒な話だな」
「……ほんと」

スネイプは軽くため息を残して職員室を後にした。誰もいなくなったところで、改めてナマエは自分を落ち着かせるように息を吐く。心と頭が一緒に行動してくれない。理性ではああ言ったが、もう一度名前を呼ぶことが許されたら、と願ってしまうのも仕方がないこと。
ああ、なんて身勝手な感情なんだろう。
この時代に来てから何度目か分からない失望感に打ちひしがれていると、

ガタン

部屋の隅から大きな物音。
途端、ナマエは息をするより早く杖を構えた。すぐにでも攻撃出来る体制を無意識のうちに取ったまま、音の元を探る。まさか、誰かに先の話を聞かれてなどいないだろうか?
音の正体は、洋箪笥だった。先生たちのローブを仕舞ってある共有のものだ。洋箪笥はガタガタと今にも何かが飛び出してきそうな揺れ方をしている。ナマエは大方の予想をつける。人ではない。暗く狭いところを好む魔法生物といえば…
ナマエは距離をとり、取手に杖を向けた。開けてみればいいのだ。思ったとおり、飛び出してきたのはまね妖怪だった。だがしかし、ナマエはそれが変身したものに、息を呑んだ。

ぐしゃぐしゃに塗りつぶされた黒い影。
それは、いつか写真の中で見た、"自分だったもの"の姿だった。

まね妖怪はいつも巨大なナメクジの姿になっていたのに。それを面白くする方法なんていくらでも知っている。けれど、いま、自分が恐ろしいと思っているものは、紛れも無い自分自身のこの現状。

「………っ、リディク」
「ちょっと待って!」

ぱん、と軽い音と火花が散って、目の前のぐしゃぐしゃの影は洋箪笥に吸い込まれ、がちゃりと鍵が下りた。

「…!ルーピン先生!?」
「いやあ、危なかった。悪かったね、このまね妖怪は明日の授業で使おうと思ってて」
「そ、そうだったんですか。知らずに、すみません」
「いや、校長に頼みに行く間放置してたわたしがいけないんだ。嫌な思いをさせたね」
「いえ……」

あの影を、見られていただろうか。
きっと写真を持っているだろうリーマスが知らないはずがない。どくどくと、心臓が早まる。お願いだから、何も言わないで欲しい。
リーマスは杖をしまって、ナマエを見たが、何も言わない。しばらく黙ったかと思うと、なぜかナマエの頭を優しく撫でた。

「……!?どう、しました?」
「ああ、ごめん…相当怯えてるように見えたから」
「……」
「…って、同僚の頭を撫でるなんて失礼だね!申し訳ない!なんだか無意識で……!」

ぱっと温もりが離れる。黙って頭を撫でるのは、リーマスの癖だった。ナマエが落ち込んでいる時、不安な時、彼はいつだって柔らかく髪が崩れない程度にふわふわと頭を撫でるのだ。いま、みたいに。

「そうだ、よかったら、明日の授業見学してくれないかな?」
「え?」
「グリフィンドール三年生の授業なんだけど、新米同士、何か意見をもらえたら嬉しい。他の先生は忙しくて見てくださらないし…あ、ナマエ先生も忙しいとは思うんだけど、」

不安なんだ、と照れ臭そうに笑うリーマスは、あの頃よりずっと大人なのに、全然変わっていないように見えた。ああ、そうだ、そうなのだ。リーマスは変わらない。
でも、変わらず優しくて聡明な彼が、たとえ殺人鬼とうたわれていようと、何故シリウスのことであんなにも冷たい表情をするんだろうか。
いったい何があったのか、今すぐに聞きたい思いを押し殺して、ナマエは彼の申し出に頷くので精一杯だった。



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