目の前の男は、顔をしかめた。
予想外に呼ばれた名前に、驚くよりも不信感を抱いたようであった。その表情をみて、瞬時にナマエの心が凍りつく。ああ、そうか、そうだった。

「どうしてわたしの名前を?」
「………」

だって、それは、10年近くも一緒にいた友達だから。どれだけ歳をとっていたとしても分かる。リーマス・ルーピン。誰よりも優しい、大切な友達。生きていてくれたことが本当に嬉しくて安堵しているはずなのに、それだけでいいと思えるはずなのに、うまく呼吸が、できない。

「えっと…どこかで会ったことが、ある、かな?」
「……吸魂鬼は、」

声が、指先が震えた。
話し方を忘れてしまいそうだった。
とにかくここを離れなければならないと思った。このまま会話を続けられるはずがない。自分の表情も、抱いてる感情すら把握できないのに。

「とりあえず、列車の中にはいないようだよ。それにしても、さっきの動き…君が後ろの吸魂鬼を?君は、生徒、だよね?名前は?」

顔を覗き込もうと、少し屈んだリーマスから咄嗟に距離をとる。
無理だ、目をみたら泣いてしまう。でも少しの希望を捨てられず、掠れる声で自分の名前を伝える。

「…ナマエ……」
「ナマエ…?」

もしかしたら、

「………ごめん、思い出せなくて…どこかで会ったことがあったかな?」

ああ、そうだ。そうなんだ。
視界が揺らいだ。泣き叫んでしがみついてしまいそうだった。

私だよ、ナマエだよ。名前を聞いても思い出せない?リーマス、ほんとうに、まったく、覚えていないの?

「あ、いた!」

振り向くと、フレッドとジョージが駆け寄ってくるところだった。助かった、とナマエはリーマスに背を向けてすぐに彼らに近付く。

「君に言われたとおりにチョコ配ったけど…君は大丈夫?顔色悪いよ、君も」

そう言って手渡されたチョコを、無言で口の中に入れた。甘い。そういえばリーマスもチョコが好きだった、と考えそうになって頭を振った。もう彼の方は見れない。

「あの、君、」
「先生、ハリーがまだ目を覚まさなくて…!」

振り向けないと思ったのに、飛び込んできた言葉に思わず顔を向けた。豊かな栗色の髪の女の子が、蒼白な顔をして駆け寄ってくる。
リーマスははっとすると、ちらりとナマエを見たあとすぐに戻っていった。「ハリーが!?」立ち尽くすナマエの隣を、ウィーズリーの双子も駆け抜けていく。
目の前でドアが閉まり、ナマエは床に座り込んだ。ハリーのことが心配だ。それなのに、立ち上がることができなかった。

「リーマス……」

生きていてくれて、こうして会えたことが嬉しいのに、どうしてこんなに苦しいのだろうか。
あの優しい声で、笑顔で、名前を呼んでくれることはもうないのだろうか。

がたん、と一度大きく揺れて、列車が動き出した。この調子ならあと30分くらいでホグワーツに着くだろう。
戻ってきた双子から無事だったことは伝え聞いたが、結局、ハリーの様子を見に行くことは叶わなかった。


「……だから反対したのだ」

汽車を降り、大広間に向かう生徒たちから離れてダンブルドアのところに挨拶に向かおうというところで、いつの間にか隣に並んでいたスネイプがぼそりと呟いた。リーマスと鉢合わせることを恐れてハリーのところに行くことも叶わず、地面に視線を落とし歩くナマエをちらりと見下ろしため息をつく。

「………知ってたの?」
「ルーピンが汽車に乗っていることはな。…貴様がそこまで落ち込むほどの仲だとは思ってなかったが」
「そっか、そうだよね」

親友だった、と答えたナマエの声は小さく、スネイプは面倒くさそうに顔をしかめた。ナマエには分かっている、スネイプは彼等のことが嫌いだ。だからそんな彼に今の心情をぶつけたところで、元から慰めてくれるような人間ではないのは言うまでもないので、額に手を当てて心を落ち着かせようと細く息を吐いた。どうしようもなく動揺してしまったけれど、動揺されたリーマスも不安に思っているだろう。覚悟を決めたはずなのに、なんて情けない。

「……ごめん、これから生徒の前で挨拶だってしなきゃいけないのに、こんな顔してちゃだめだね」
「分かっているなら顔を上げろ。生徒が見ている」
「うん…それより、吸魂鬼のこときいた?」
「ああ……厄介なことになったようだ」
「なんであいつらがアズカバンを離れてるのよ…今って平和なんじゃなかったの?」
「ふん…貴様は新聞を読むところから始めたほうがよさそうだな」

スネイプのあからさまに馬鹿にした笑い方に、むっと眉を寄せる。今日までバタバタしていて、そんな時間などなかったのは彼も分かっているだろうに。

「いいわ。ダンブルドアに説明してもらうから。ていうかなんでスネイプは着いてくるの?」
「我輩も呼ばれているだけだ、気にするな」
「気にするわ。さっきから生徒がチラチラ不審そうに見てる」
「貴様をだろう」
「実は、あなたじゃないの?」

にやり笑ってみせると、常に刻まれている眉間の皺がさらに深く刻まれる。しかし実際、校長室へ続く階段の警備を突破するためにスネイプの知る合言葉が必要であったため、ナマエはそれ以上彼に嫌味が言えなくなってしまうのである。一人でなくて正解だっただろう、と言いたげな視線を無視して、窓辺に佇む後ろ姿に声をかける。ダンブルドアは振り向いて、ゆったりと目を細めた。

「ナマエ、君にいくつか伝えておく真実がある。つらいことかも知れんが…ホグワーツにいる限り、いや、この時代にいる限り避けられぬ話じゃ」

ずしん、とナマエの心臓に重りが落ちる。
リーマスと出会った話を聞いてもらいたいところだったのだが、ダンブルドアの瞳はいたって真剣で、知らないふりを許されないような気迫があった。ナマエは唇を軽く噛んで、頷いた。まだこれ以上つらい思いをしなければならないなんて、考えただけで本当は足元がぐらぐらする。

しかし、ダンブルドアは淡々と話し始めた。

シリウス・ブラックという男の話を。



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