「ひとつだけ質問してもいいですか?ダンブルドア」
「なんなりと」
「………シリウスが、学生時代にした、一番ひどい悪戯は?」

スネイプの肩が、ぴくりと動いた。意地の悪い質問か、とナマエは少し罪悪感を覚えたが、先ほどの自分に対する拒絶へのやり返しのつもりでもあった。
それと同時に、自分が同級生であると、再度念押ししての質問でもあり、ダンブルドアの正体を確実にするためのものでもあった。
あれは悪戯なんて可愛いものじゃ、とスネイプの呟きが聞こえたが、ダンブルドアはそれを華麗に無視した。

「満月の日のことかの?」
「……結構です。すみません、疑ったりして」
「いや、いいのじゃよ。それにしても、そうか……君は、シリウスの…ジェームズたちの……」
「先生?」
「いや。君にはつらい時代じゃの」

そう言って微笑んだ瞳には、悲しみと疲れの色が滲み出ていた。それに言葉では答えることができず、ナマエは頷く。再度彼の手が頭に触れて、それで、と言葉を紡ぐ。

「君のことを聞かせてくれるかの?」
「ええ。でも、信じてもらえるか……」
「君の存在が消えていること自体、既に信じられないことじゃ」
「自分でも、まだよく飲み込めていなくて……スネイプ、憂いの篩はある?」

彼は無言で杖を振った。見慣れた浅い石造りの盆が、開け放たれたドアの間を滑って、机の上に落ち着いた。銀白色の空気を覗き込んで、ナマエはこめかみに杖を当てた。
このまま、この記憶を抜き取って、捨ててしまいたいと思う。
けれどそれは許されないことで、伸びたその白い糸を、ふわりと盆の中に放り投げる。
ダンブルドアを振り返れば、彼はこくりと頷いた。

「スネイプは、見ないで」
「………未だに我輩のことを疑っているのか」
「それもあるけど……あなたは、見ないほうがいい」

ちらり、暖炉の上の、伏せられた写真を見る。スネイプは、その視線をたどって、彼女の言いたいことをなんとなく察したのか、再び向けられた目は少しだけ見開かれていた。

「ほんとは、多分、誰も見ないほうがいい記憶なんだと思います。私だけが、知っているべき事実なんだと…」
「それを、君はわしに教えてよいのか?」
「………わかりません。ただ、逃げたいだけなのかも」
「逃げたい?」
「私が、一人で抱えるには、重たすぎて……先生、全ての事実を知ったら、私のことを、守ってくださいますか?」

何から、ということは、言わなかった。
ダンブルドアは、静かに頷くと、水面に顔を近づけた。
彼の瞳には今、あの雪の景色が映りこんでいるのだろうか。そう思うと、背筋がぞっと冷えて、喉が凍り付いてしまうような気がした。
盆の中に吸い込まれてゆく彼を見送って、ナマエは痛みに耐えるように、ぎゅっと目を閉じた。


「…………」

憂いの篩から戻ってきたダンブルドアは、しばらく俯いたまま、何も言わなかった。
ナマエも、スネイプも、彼の言葉を待った。盆の中でナマエの記憶が揺れる以外、何も動かなかった。

「………なんと…酷い光景じゃ…」

やっと搾り出されたダンブルドアの声は、震えていた。ナマエの腕を掴む、その指先も震えていた。その感覚に、ナマエは現実を突きつけられたような気がした。ああ、夢ではなかったのだと。

「……そうか、君は、」
「先生……」
「何を言ったらよいのか…正直、いま君が現実から目を逸らさずにいれることが、不思議じゃ」
「……っ、わたし…」

耐えられなかった。
突きつけられた現実が、人に分かってもらえた悲しみが、認めてもらえた嬉しさが、ナマエの心を刺激した。ずっと耐えていたものが、崩れ落ちるように、涙となって零れだした。とまらない、と思った。ナマエは昔のように、泣きじゃくりながら、目の前の老いぼれた、けれどしっかりとした胸に縋り付いた。
そうだ、確か、はじめて騎士団のメンバーが死んだとき。こんなふうに、ナマエは声をあげて泣いた。

「ホグワーツに来なさい、ナマエ」
「………先生」
「君のこれからについて、話し合わなければならない。もちろん…君の力についても」
「でも、ホグワーツに迷惑が、」

あんな光景は、二度と見たくなかった。
また誰かを盾にされるくらいなら、ナマエは一人で生きてゆく覚悟があった。
ホグワーツに行って、人間関係を築いて、万が一のことを考えるのが怖かった。
しかし、ダンブルドアは首を横に振る。

「君は、自分が何をどうやってしたのかわかっているかね?路上で寝ていたとセブルスからは聞いておるが」
「……いえ…あの記憶の続きが、この時代です。まったく、何をしたのかわからなくて」
「そうか…やはり、君は誰よりも自分自身のことを知らなければならんじゃろう。わしにも分からぬことばかりじゃが、ただひとつ言えることは、君のその力は君一人で抱え込んでいいものではない」

その意味が、わかるかね?
彼のその言葉に、ナマエは静かに頷いた。まだ納得できたわけではないが、今なら、ヴォルデモートが何故自分を欲したのか、その理由が理解できた。
彼はきっと、自分に対して都合の悪い過去を、全てなかったことにしたいのだ。
今ならば、そう、ハリー・ポッターが生まれたという過去。
愛する友人の子供を、自分が救えた命を、また自分の手で葬ることを想像をして、ぞぞ、と言い様のない恐怖に包まれた。それを打ち消すように、ダンブルドアが優しい声音で続ける。

「時に、ナマエは、得意な魔法はあるかね?」
「得意な…?ええと、治療の魔法は、比較的得意ですけど、」
「なんと!それは好都合じゃ」

ダンブルドアが嬉しそうに笑う。何が好都合なのか分からないまま、後ろのスネイプを見ると、心底嫌そうな顔をしていた。

「マダムポンフリーが、怪我人が多すぎて手が足りないとぼやいておってのう…君に、保険医になってもらえたら嬉しいのじゃが」
「え?」
「……!ダンブルドア、それは、」
「もちろん、補佐としてじゃがのう……生徒と歳も近いし、生徒達の悩みなんかも聞いてやれるじゃろう?」
「必要ないかと…」
「セブルス、君に教師を選ぶ資格はない」

びしゃり、そう言われてスネイプは続けようとした言葉を飲み込んだ。
反応をうかがうように首を傾げるダンブルドアに、ナマエはなんと言葉を返してよいのかわからなかった。
自分が身を隠し、今後について考えるにはホグワーツ以外によい場所はないということは分かってはいる。だけど、スネイプの言うとおりだ。こんなに得体の知れない自分が、生徒たちに関わってもいいのだろうか。
世界のことも自分のことすらわからないのに。でも、やりたいことだけは、見つかっていた。何もわからなくても、ただひとつの真実だけが。

「私は……」
「どうかね?」
「教師だなんて、自信はないです…けど、」
「けど?」
「ハリーのそばにいたい」

ジェームズとリリーの残した子を、自分が唯一残せた子を、生き残ってくれた男の子を、自分の手で守りたかった。

「近くにいて、彼の成長を、見守りたい」

それが、自分の最愛の友人達に出来る、唯一のことだと思えた。
たとえ彼等が自分のことを覚えていなくても、愛してくれて愛していたことに、何一つ変わりはないのだから。

そうか、とダンブルドアは微笑んで、ナマエの手をとった。
その際に、ちらりと神妙な顔をしているスネイプに彼の視線が投げかけられたことには気がつかず、ナマエもその手を握り返した。

「君に出来ることが、君にしか出来ないことが、ホグワーツにはたくさんある」
「……私にしか、出来ないこと?」
「君にしか救えない人たちが、おるのじゃ」

ダンブルドアは、ゆったりと、少し悲しそうに微笑んだ。
その微笑みが、これから起こり得る悲しみを想ってのものだということは、その時のナマエには想像も出来ないことであった。


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