ここでの目覚めは良いものではない、とナマエは思う。
まず、鳥の声がしない。空気も淀んでいるし、分厚いカーテンと薄汚れた窓のせいで、まるで地下室で目を覚ましたような気分になる。
スネイプがあえてこの場所に住んでいるのは、ただ単に彼の性格ゆえなのか、もしくは他に移りたくない理由があるのか。
と、そこまで考えて、ナマエは起き上がるために身じろぎをした。

「いつまで寝ている」

その声に、ゆっくりと目覚めようとしていた体を勢いよく起こした。
不機嫌そうに眉を寄せ、腕を組んでいるセブルス・スネイプが、ドアを開けてそこに突っ立っていた。

「か、勝手に開けないでよ!」
「ノックはした」
「きこえない!」

別にどうということはない、というスネイプの態度に、ナマエはため息をおとす。何を言っても仕方がないのは、短い時間だが彼と過ごすうちになんとなく理解した。申し訳程度に手櫛で髪を整えて、ベッドから降りる。ぎしり、と床が軋む。直せばいいのに、と思いつつ、それを口にすることはなかった。

「ミョウジ」
「うん」
「客だ」
「………え?」


ナマエが急いで身支度を整え、リビングのドアを開けると、そこに立っていた人物に、胸の奥で何かあたたかいものがじわりと広がるのがわかった。
まるで呪文のように特別な彼の名前を、ナマエはゆっくりと呟いた。

「……ダンブルドア」

銀色の美しい髭を梳いていた手が止まる。
振り向いた彼は、あまり14年前と変わらないように思えた。彼はナマエを視界に捉えると、眼鏡の奥の綺麗な青色の瞳を、きらりと輝かせた。

「君が……」

その言葉がなんと続くのか。ナマエにはそれがすぐに理解できた。
それと同時に、自分が彼に対して過度な期待を持ってしまっていたことに気がつく。
つまり、この男、ダンブルドアも自分のことを覚えていない。ただそれだけのことだ。

「ナマエ・ミョウジです」
「ナマエ………すまない、久しぶりと、言うべきなのだろうが、」
「いいんです」

ダンブルドアが自分のことを覚えていないのは、スネイプから聞いて覚悟していた。
けれど実際、自分がこの世で一番だと思っている魔法使いでさえ、記憶を取り戻してはくれないのだという事実が、少しだけ胸を刺した。
ダンブルドアは、骨ばった細い手で、ナマエの手を握った。まるで存在を確かめるような、そんな握り方だった。

「話は、セブルスから聞いた。大変だったのう」
「スネイプが、先生をここに?」
「そうじゃ」

ドアの横に立っているスネイプを見つめると、彼は居心地が悪そうに目を逸らした。
今はダンブルドアの下にいるというのは、嘘ではなかったようだ。
そんなナマエの様子に、ダンブルドアは笑いをこぼした。

「セブルスは、あまり君に信用されていないようじゃの」
「………正直にいうと、はい」
「素直でいい子じゃ。わしが、思い描いていたとおりの」

そう言って微笑んだ彼の目は、学生時代ナマエに向けられていた瞳と同じで、懐かしさでたまらなくなった。
そんなナマエの様子を察してか、ダンブルドアが彼女の手を握る力を強くした。

「覚えていないといっても、全部がなかったことになっているわけではないのじゃ」
「……?」
「君がいた、ということは皆覚えておるし、親しかったことも大切な人であったことも覚えておる。女性であるということと、自分達との関係性は、ちゃんと残っておる」
「関係性……」
「だから、わしにとって君が可愛い生徒であったことも、ちゃんと心に残っておる。君に会った時に、とても懐かしい感じがしたのじゃ、ナマエ」

じわり、視界が滲みそうになって、ナマエは慌てて唇を噛んだ。
ここで泣いたら、とても格好悪いような気がしたのだ。そうでなくても、スネイプの前で一度号泣したあげく泣き疲れて眠っているのに。
慰めるように、ダンブルドアの細い手が、ナマエの頭をやんわりと撫でる。その優しさがじわりとしみこんで、ぽつ、と涙がひとつ落ちて、慌ててそれを袖で拭う。
ダンブルドアはそれに気がつかなかったかのように、提案がある、と声をあげた。

「君の身柄を、ホグワーツで預かろうと思うんじゃが、いかがかの?」
「ホグワーツで?」
「……それは、」

今まで沈黙を守っていたスネイプが、声を上げた。
びっくりしてそちらを見ると、バツの悪そうな顔をしていた。というよりも、嫌そうな顔だ。ダンブルドアが瞳をきらりと輝かせたのを見て、ナマエは首を傾げた。

「どうして、スネイプがそんな嫌そうな顔をするの?」
「もしかして言っておらんかったかの、セブルス。それでは信用してもらえなくて当たり前じゃ」
「………別に、言うことでもないと…」
「それ以外に君の潔白を証明する証拠が、どこにあるというのじゃ。ナマエ、彼はホグワーツの教師なんじゃよ」
「………は?」

たっぷり、時間をかけて言葉を飲み込んでも、出てきたのはただの音だった。
ぽかん、とスネイプを見れば、だから嫌だったんだ、とでも言いたげな苦々しい顔をしていた。ダンブルドアだけが、にこにこと微笑んでいる。

「スネイプが……教師?」
「そうじゃ。薬草学を担当しておるし、スリザリンの担当じゃ」
「え、えええ……」

似合わない、という言葉は、スネイプの鋭い視線によって飲み込まざるを得なかった。
どうりでハリーのことをよく知っていたわけだ、と妙に納得する。それに、そういえば最初に"ホグワーツの生徒か?"とも聞かれた気がする。しかし、闇の印を腕に刻みこの家に住んでいる姿からは、どうしても教壇に立っている姿がイメージできなかった。

「ダンブルドア、この娘をホグワーツに置くのは、反対です」
「何故かな?セブルス」
「得体が知れないではないですか。誰も彼女の過去を知らない。信用する材料がない」
「そんな得体の知れない子の面倒を、何日も見ていたのは誰かね?」
「………それは」
「人を過去で判断するなど、君が言えたことではないと思うがのう」

ダンブルドアの言葉に、スネイプは言い返すことができないようだった。
その代わりに、ナマエを睨みつける。まるで、断れ、と言われているようだった。
そんなにも拒絶される理由が分からず、思わず反抗しそうになるが、そこはぐっと耐え、ダンブルドアの言葉を待った。
彼は青色の瞳をきらりと光らせて、口角をあげた。ナマエはこの表情を知っている。何かを見通したときの、校長の目だ。

「それに、ナマエは、何かから身を隠す必要があるようじゃ。それには、ホグワーツが最適だと思わんかね?」
「……どうして、」
「君が、この部屋に入った瞬間から今まで、一度も杖から手を離しておらんからじゃよ」
「……!」

ナマエは、ぱっと左手を腰から離した。確かに、ダンブルドアに握られていない左手は、ずっと杖の柄を持っていた。それに気付かれたことに、臆病者だと思われたかと少しの羞恥を感じたが、思い直してすぐに杖に手を戻す。ダンブルドアが右手を離し、紳士的に微笑んだ。


「君のことを、詳しく聞かせていただけるかね?」



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