ハリー・ポッターは、生まれて初めての自由というものを堪能していた。

叔母に魔法を使ってしまい、規則を破ったことによる恐怖で逃げ出した先に待ち受けていたのは、罰ではなくダイアゴン横丁での自由。自分をここに連れてきた大臣との約束で、横丁から出ることは許されていなかったが、それでもハリーには十分だった。


「ハリー、宿題ももう終わりそうだね」

いつものようにアイスクリーム・パーラーで宿題をやっていると、店主のフローリアンが、サンデーを机に置きながら朗らかに言った。それに礼を言い、ハリーは頷く。
宿題の終わりは、同時に休暇の終わりも意味していた。
こんなに伸び伸びと休暇を過ごしたのは初めてだったので嬉しい反面、それでも段々とさみしくなってくる。通り過ぎる人混みに目をやる時間が増えたことも自覚していた。

サンデーを口に運びながら、ハリーはまた無意識のうちに行き交う人を眺めていた。友人たちの姿が突然現れないものかと。
その時、ばちっと音がして、通りの向こうに誰かが姿現しをした。それ自体は珍しいことではない。しかし現れた人物が珍しかった。

「(………冬服だ…)」

ぽかん、とハリーはその場にそぐわない格好をした女性を見つめた。
しばらく呆然と立ち尽くしていたその女性は、あたりをきょろきょろと見回して、それから突然思い出したように、ぱたぱたと手で顔を扇ぎ、たまらなさそうに腕を捲った。それでも暑いらしく、またぱたぱたと扇ぎ出す。とても綺麗な女性なのに、その煩わしそうな表情がなんだがちぐはぐでおかしくて、ハリーは思わず噴き出してしまった。

「(しまった、)」

慌てて口を抑えたけれど、どうやら人混みの騒がしさに掻き消えて、女性には聞こえていなかったようだ。彼女は向かって三本目の路地に消えていった。
その先がマダム・マルキンの洋装店であることに気付いて、ああなるほどと納得をして、ハリーはまた宿題に挑むことにした。

何故だか、少しだけ淋しさが和らいでいた。



漏れ鍋で夕食をとっていると、また同じ女性に会った。今度はちゃんと身軽な格好をしている。少し離れたテーブルで、何やら魔法使い達と話をしている。男達はとても楽しそうに笑顔を浮かべているのに、彼女だけまるで死刑宣告を受けたような暗い顔をしていた。しかし、近くでみると、やはり美人だった。何故か少しどきっとして、ハリーは手元のオレンジジュースを一気に飲み干した。コップを置いて顔をあげると、彼女と目が合った。
思わず、額の傷を前髪で覆う。反射的な行動だった。だがしかし、彼女はハリーの目をじっと見つめていて、額にはちらりとも視線がいかなかった。
何故だかとても、泣きそうな目を、していた。
そして、小さく何かを呟いたようだったが、生憎とハリーの耳には届かない。

「おーい、ハリー!」

声がかかる。そこで初めて、彼女が話をしていた魔法使い達がここの常連で、ハリーともそれなりに親しくしていた者たちであることに気がついた。

「ナマエちゃん、この子がハリー・ポッター。例のあの人を倒し、生き残った男の子さ」

今更な紹介だな、と思った。
もううんざりするほど言われ続けた言葉。ハリーは諦めたように額から手をどけた。しかし、彼女の目が好奇心に駆られることはなかった。涙を必死に耐えるような顔で、彼女は立ち上がると、ハリーの髪をくしゃりと撫で、両手で頬を覆った。小柄だけれど、ハリーより少しだけ背が高い。ハリーが視線をあげるのと、彼女が涙をこぼすのは同時だった。


「生き残ってくれて、ありがとう」


それは、初めて言われた感謝の言葉だった。



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