目を開けると、知らない天井だった。
埃で少し黒ずんだ天井。それをぱちぱちと何度か瞬きをして確認した後、ナマエはゆっくりと呼吸をした。同じように少し埃っぽい空気。それが先ほどの夜の闇横丁でのことを思い出させて、はっと体が硬くなった。
自分が寝ているのは、スプリングが少しいかれたベッド。途端、いやな想像が頭を駆け巡る。恐怖で身が凍りそうになったとき、予告もなく部屋のドアが開かれた。
「……起きたのか」
びくり、ナマエは起き上がりシーツを手繰り寄せた。
そこに立っていたのは、長い黒髪に、土気色の肌、高い鼻、そしてきゅっと顰められた眉。
意識を失う前に見た男だった。
何も言わないでいるナマエを無視して、男は部屋に入ってくると、古びたサイドテーブルに置いてあった器を指差した。
「飲め」
「………え?」
「いいから、飲め」
「いや、あの、」
「何があったか知らんが、憔悴しすぎだ。三日も目を覚さないとは」
「三日……?」
そんなにも寝ていたのかと驚きがあったが、それよりもまず状況が理解できていなかった。シーツで体を隠したまま、壁に背を預けて縮まっているナマエを見て、男は笑いを零した。
「ハッ、襲われるとでも?」
「………っ」
「生憎、貴様みたいな小娘には何も感じんのでな」
「なっ、」
「いいから飲め」
差し出された器を、怪訝そうに見つめる。
この戦争の時代で、素性も分からない者の施しを受けるなんて、自殺行為だ。
「油断大敵!」それが口癖の、仲間のことを思い出す。彼が言うには、こういう場合は、ほぼ百パーセント毒だと思っていい。
特にこの男の外見、もとい夜の闇横丁に居たことから、信用できる要素なんてなにもなかった。
けれど、ナマエはその器に手を伸ばした。
彼が、あの男たちから自分を助けてくれたことは明白だったし、何より、
「(似てる……)」
知り合いに似ているということが、ナマエの防備を甘くした。
状況が何一つ把握できていない時に、それが誰であろうと、知った顔があるということに安心を覚えたのだ。
それが、たとえ自分の彼の宿敵だとしても。
「……っ、にっが!」
「我輩が調合したのだ。文句を言うな」
「………」
なんとか流し込んで、ナマエは改めてその男を見た。
何度見ても、顔つきといい雰囲気といい、記憶にある男にとても似ていた。
しかし、年齢だけが、ちがう。
「……あの、」
「なんだ」
「助けてくれて、ありがとう」
「別に助けたわけではない。我輩の行く道を塞いで邪魔だっただけだ」
「でも、三日間寝かせてくれてたんでしょ?」
男は顔を顰めた。
首を傾げるナマエを睨んで、一歩、距離を詰めた。
「気になることがあっただけだ」
「気になること?」
「貴様、何故、」
暗い目が、ナマエの思考を探ろうとするように瞳の中を覗き込む。ナマエは反射的に、閉心術を心の中で唱えた。
「我輩の名前を、知っている……?」
“スネイプ”
確かに、ナマエはその名前を、呼んだ。
「……え?」
「ホグワーツの生徒か?卒業生か?」
「…うそ、」
「少なくともスリザリンではなかろう?我輩の記憶にはない顔だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
ナマエは思わず立ち上がった。
まだ足がふらりとしたが、目覚める前よりずっといい。
そのまま、背の高い彼をぐっと見上げた。
「もしかして、あなた……セブルス・スネイプ?」
「そうだ」
「………うそ、でしょ」
「は?」
「卒業してちょっとしか経ってないのに、そんなに老けたの!?」
「……よく分からんが、貴様、失礼だな」
どう見ても30代の男は、盛大に不機嫌な顔をした。
ナマエの知っているセブルス・スネイプは、同じような顔であったが、もっと若かった。しかし、何もおかしいことはないという彼の表情に、ナマエは嫌な予感で心臓が激しく動くのがわかった。
何故って、見れば見るほど本当に同じ顔なのだ。
混乱したナマエは、ぽすんとベッドに座り込んだ。
なんとか落ち着かせようと視線を下ろし、頭の中を整理しようとする。
その時目に入ってきた、床に乱雑に置かれた新聞に、ナマエは震える手を伸ばした。
嫌な予感がしていた。
でもそれは、もうすでに確信のようになっていた。
どれだけ理解し難いことが起きたとしても、起こるべくして起こったと思える。
新聞を広げて、左上の数字を目で追う。
「14年………」
ぽつり、呟いて、ナマエの手から新聞が落ちた。
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