しん、と部屋が静まり返った。

バクは思わず手に持っていたメモリを落としそうになったが、そんな彼をよそにシスイの酔いは驚くほど簡単に醒めていった。
本当に効果はほんの少ししか持続しなかったようだ。
彼は一瞬呆けた後、自分の言ったことを思い出して顔を真っ赤にさせた。

「え?な、何言ってんだオレ!え、ちょ、あの、」
「.......」
「き、聞きました?聞きましたよね!」
「........あ、あ」

さらに顔を赤くさせるシスイを見て、バクも思い出したように頬を染めて硬直した。

向かい合って赤面する男二人。気色の悪い光景である。

「な、なんで....まさか、このお茶ですか!?」
「......すまん」

まさか、そんな爆弾が飛び出すとは思わずに。

シスイは暴走している自分の心臓を、色々と唸りながらなんとか押さえつけた。
そして深呼吸をひとつ。空になった湯のみを見つめて、もうひとつ。
冷静に回転するようになった頭の片隅で、彼の中の男としてのプライドが存在を主張した。戒めるように拳を握る。

「いや、安心しろ!だ、誰にも言わんぞ!」
「はあ...わかりました。支部長、この際だから断言します。オレはナマエさんが、好きです」
「...!」

バクは彼の方に視線を移さず、肩をびくりとさせた。
緊迫した空気が、静かな部屋に張り詰めていた。まるでその空気に手足を絡めとられたかのように、どちらもまったく動かない。
ただ、深く重たく鋭いシスイの声だけが、高山の上のような冷たくて澄んだ空気を震わせた。

「だからいつか、必ずオレが振り向かせてみせます」

言い切ったシスイはしっかりと深くお辞儀をすると、突き刺すような強い視線でバクの後姿を見据えたあと、静かにドアを閉めた。


がちゃり、とドアがきれいに閉まる音が、バクには張り詰めた空気を裂いているように感じた。


再び訪れた静寂の中で、バクは何回目か分からない盛大なため息をついて、ソファに崩れ落ちた。

なんなんだ。

今日はいったい何の日なんだ。

「(わからん....ナマエのどこがいいんだ)」

バクはソファに横になったまま、天井から降り注ぐ光を自分の腕で防いで目を瞑った。

フォーとつるんでは嫌がらせをしてくるし、時々暴力は振るうし、態度はでかい。
そのくせ仕事だけは真面目で面倒見がよくて、優しくて、こっちが驚くぐらいいつも笑顔で.....

「........」

恋愛事なんて、無縁な女だと思っていた。

親友のように、妹のように、娘のように、自分の傍にずっと昔のまま居るものだと思っていた。

リーバーといいシスイといい、自分の立ち位置が変わらずとも、周囲が変わっていくことは大いにありえたのに。


「考えなしだったな....」


そうだ。彼女は自分のものではない。
周りは彼女を一人の女としてみているし、彼女を大切に思っているのは自分だけではない。
リーバーと付き合っていないと知ったとき、安堵のため息をついた自分が色々な意味で浅はかに思えた。

切ない気持ちがこみ上げてきて、喉を詰まらせた。

ナマエが周りから愛されていることは、とても嬉しかった。
それだけの幸せを、彼女は手に入れるべきなのだ。
だが、この胸を締め付ける想いはなんなのだろうか。彼女が離れていくことを考えるだけで、先ほどのように、息を忘れてしまいそうなくらい苦しくなる。
娘を嫁に出す父親の心境か、妹をとられる兄の気持ちか、それとも、


「あの、支部長ー?」

遠慮がちなノックの後、誰かがドアの隙間から顔を覗かせた。

顔を覆ったままだったが、声ですぐに誰かは分かった。今は顔をあわせたくない、ナマエだった。
バクが返事をせず黙ったままでいると、恐る恐る彼女が入ってきた。

「西地区の研究でちょっと報告があるんですけど....寝てるんですかー?」

ソファで横になって動かないバクを見つけると、ナマエは辺りを見回してから、ソファを覗き込んだ。
バクはぴくりとも動かない。
とにかく、早く出て行って欲しかった。もしくは、怒りながら叩き起こしてくれれば、反応は容易いのに。

しかし、ナマエはしばし考えた後、くすりと困ったような微笑みを浮かべた。
部屋を見回して隅の椅子に置いてあったひざ掛けを発見すると、それをそっとバクの上にかけてやる。
それから、ソファの横にしゃがみこむと彼の腕から覗く金色の髪にそっと触れて、ふんわりと笑って小さく呟いた。

「私のために走り回ってくれて、ありがとうございました」

ああ、やはり、もう。

そっと去っていった温もりを感じながら、バクは自分の手のひらをぎゅっと握り締めた。
真っ暗な視界の中で、かけられたひざ掛けと、彼女のいたところだけが暖かい。
かちこち、と小さな時計の音だけを聞きながら、そっと目を開いた。
溢れ出した光が、地上のものとは思えないほど眩しくて、再度目を細める。

「.....ナマエ」


いったいいつまで、この穏やかなリズムで時計は時を刻むのか。
いったいいつまで、優しい温度に居続けることを許されるのか。


何もできない自分の無力さを抱きしめて、変化の流れを黙って見つめるだめの自分は、いつまで。


何かが変わり始める確信に似た予感を、バクはぐっと胸に押し込めた。
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