バクはポケットの中のお茶の紙袋を布の上から確認して、しっかりと頷いた。
真実のお茶。
その名のとおり、飲んだ者の心を開かせ、本心を口にさせることのできるお茶。
ひとくち飲めば効果は抜群。効能は、本部で証明済み。
チャン家の技術を駆使し、研究に研究を重ねて作り上げた自信作だ。
準備は万端である。
今回は予備を用意していないため、他の奴に飲ませる余裕はない。目立つ筒ではなく質素な紙袋に入れて懐に隠した。
彼女と二人きりになるまでは気を抜いてはならない。誰にもこのお茶の存在を知られてはならない。
いざ、彼女を探しに行こうと意気込んで自室を出たのはいいが、居ると思っていた資料庫に姿は見られなかった。
「...どこにいったんだ?」
思い通りに会えなかったことに少し嫌な予感を感じたが、バクは軽い足取りで第二資料庫を目指した。
しかし、嫌な予感ほど的中するもので。
「ここには来てませんけど...研究室じゃないんですか?」
「ナマエ?見てないっすねー。食堂ですよきっと」
「あれ、さっきご飯食べていきましたよ?図書室行ったみたいですけど...」
「ナマエちゃん?さっき談話室入って行くの見ましたよ」
「今さっきまでここに居ましたけど、フォーのところに行くって言ってましたよ」
彼女を追いかけたはずのバクが出会ったのは、奇跡と呼べるほどのたらい回しであった。
足腰の疲れを感じながらも、諦めずに支部内を巡りまわり、最終的にバクは封印の間に来ていた。
目の前では守護神のフォーが、偉そうに足を組んで座っている。
「ナマエ?」
「ああそうだ....さっきから、あと一歩のところで捕まらんのだ」
「確かにさっきまで居たけどさ....そもそも、なんで探してるんだ?」
「え、いや、その...仕事だ仕事!」
急に慌てだすバクを尻目にフォーは気の無い相槌を返し、組んでいた足をぶらぶらとさせて何か思案している。
そして突然、悪戯を思いついた子供のような、にやりとした笑みを浮かべた。
長年の付き合いで嫌な予感を覚えつつも、何か知っているような素振りだったので、藁にもすがる思いで彼女の目を見た。
彼女の大きな瞳の奥で、楽しそうな怪しい光が輝いている。それを見た途端、嫌な予感が確信に変わる。ぞぞ、と背中を寒気が。
「それってさあー...いや、なんでもない」
「は?なんだ、い、言ってみろ!」
「いやさあ...それって、もしかしてさお前....」
フォーの口元が、一層上に吊り上げられる。
「ナマエに避けられてるんじゃねぇの?」
がっくりと肩を落として、頭に反響するフォーの声をなんとか払拭しようとする。
しかし、突きつけられた事実は、脳をじわじわと侵食するだけで。その前から頭の隅を掠めていた考えであったから、余計に心を拘束されてしまう。
ナマエに、避けられている。
「(いったい、オレが何をしたというのだ....)」
心当たることがない。しかし、たらい回しにあったという、心当たる出来事ならある。
いくら広い敷地だとしても、同じ所属で働くもの同士、ましてや上司と部下という関係上で、会えないなんてことはまず起こらない。
相手の意図的なものが絡んでいるとしても、おかしくない。
しかし、そろそろ仕事に戻らなければならないのも確かであった。支部長という責任ある者が、これ以上支部内をふらふら歩き回るわけにはいかない。
バクは、団服の下で、真実のお茶の袋を握り締めた。
リーバーとの関係を聞き出すどころではなくなってしまった。
それより以前に、自分がどうしたらよいのかわからない。
喧嘩することは、今までいくらでもあった。
けれど、こうも理由もなく、急に避けられるだなんて、出会ってから一度もない。
なんだかんだでずっと、毎日を共にしてきて、いつだって彼女は笑っていた。
「....どうすればいいんだ...」
得体の知れないものが、心臓を強く締め付ける。焦りと、不安。
これは、ナマエが自分から離れていくことへの、不安だろうか。
感じたことのない、ひどい胸の痛みだった。
苦しくて、苦しくてこのまま死んでしまうのではないかと心配になるくらい。
とりあえず、温かい場所に帰りたかった。ここは、広すぎていけない。
重たくなった足を引きずるように運んで、長い長い廊下を歩く。迷路のような広大な建物が、いつもは誇らしいのに、今は憎らしくて仕方が無かった。
視線を上げたそのとき、歩く先の角から人影が現れた。蝋燭のオレンジ色の光をうけて、その影がゆらめく。
人数の多いアジア支部である。廊下を歩いていればたくさんの人に会うわけで。特に気にすることもなくその人の顔に目をやって、次の瞬間バクは硬直した。
今、一番会いたくて、会いたくない人物。
「.....ナマエ...」
口をついて出てきた言葉を自分の耳で聞いたとき、しまった、と思った。
彼女は伏せがちにしていた視線を、びっくりしたように上げて、バクの目を驚いた瞳で見つめていた。
その目は、驚愕と、それから彼女にしては珍しい、不安の色を浮かべている。
「しぶ、ちょ...」
弱々しいその声を聞いた瞬間、気がつけば、バクはその場を逃げ出していた。