シスイがナマエのことを好きであることに、難しい理由は必要がなかった。
先輩として好きだったのが、いつからか抱きしめたい、キスをしたい、ずっと一緒にいたいと思うようになっていた。
シスイにとっては、自然な流れだったように思う。とにかく、敬愛が恋心になるのには、何も複雑な経緯などいらなかったのだ。

だから、シスイはバクに宣戦布告したことに何も後悔をしていなかった。誰よりも彼女のことを見ていて、誰よりも大切にできる自信があった。
彼女の笑顔を、守りきれると、思っていた。


目が覚めた。
深く眠っていたはずなのに、ふと目が覚めた。シスイは肩にかかっていた毛布に気がつき、嬉しそうに目を細めた。これを掛けてくれたであろう女性のことを考えて、胸がきゅっとなる。
立ち上がると、床にごろごろと研究員が転がっていた。そこにナマエの姿はない。部屋に戻ったのだろうか、と見回すと、ヒピ、と機械の音がした。

「あーこれかあ……」

パソコンに映っているエラーの文字。データの一部がまだ送りきれていないようだった。自分を起こしたのはこの音だったらしい。見たところ回線の調子が悪かっただけだったので、もう一度送り直せば問題ないだろう。
しかし、一応上司に報告をしなければ、と思い、近くの床で転がっていたジジを揺する。しかし、うるさいいびきを立てるだけで、どれだけ強く叩いても起きない。

「ジジさーん、起きてくださーい!」
「ぐがー!」
「(この人絶対起きてるだろ……)」

諦めて顔をあげた時、奥の部屋、室長がいるであろうモニタールームの小窓から光が漏れていた。
室長なら起きているだろうと確信し、シスイはドアに近寄った。そしてドアノブを回そうとしたところで、ぴたりとその手をとめた。
開けてはいけない、嫌な予感がした。
ドアに近寄り耳をすませば、話し声が聞こえた。


「私は、支部長の、なんですか?」


シスイは自分の中の何かが崩れ落ちていくのを感じた。
さっきまで心に思い描いていた人の声だった。しかし、こんなにも弱々しい声なんて、今まで聞いたことがなかった。

「なに、って」

困惑した、バク支部長の声。
雰囲気からして、この部屋には二人きり。シスイは、今すぐこの扉を蹴破って、彼女の腕を掴んで連れ出したい衝動にかられた。

でも、それと同じくらい、ショックを受けて何もできない自分もいた。

「……何、か。考えたことが、なかったな」
「じゃあ、いま、考えてみてください」
「……ナマエ」

なんで困るんだ。そこは困るところじゃない。なんで支部長は、自分が彼女を傷つけていることに気がついていないんだ。
自分だったら、好きだと叫んで、思い切り抱きしめるのに。自分だったら。

「私は、支部長のこと、」

ナマエの、何かを決意したような声が響いた。
でもそれは、同時に全てを諦めているような声だった。おかしいじゃないか。なんで、あんなに明るい彼女が、こんなに。こんなにも追い詰められて、苦しんでいるんだろう。

「支部長のことが、」

それはきっと、彼女にもこの先が見えているから。

気がつけば、思い切りドアを開けていた。ぱっと顔を上げて目を丸くしたナマエに、シスイは微笑もうとしたが、無理だった。
代わりに、出て行くバクに「なんでもない」と告げたナマエの微笑みは、驚くほど大人びて美しいものだった。
二人きりになった空間で、痛みなんてないかのように微笑むナマエを見て、シスイは自分の心臓が刺されているような感覚に陥っていた。じわじわ、血がにじむ。どうして彼のことで、そんな顔をするんだろう。
どうして、その視線の先にいるのは、自分じゃないんだろう。


「好きなんですか?」

ああ、聞いてしまった。
きっと、この気持ちは、さっき彼女が抱いていたのと同じもの。後悔と、後にはひけないという意地。
他人事のように困った笑顔を浮かべ、そっと頷いたナマエに、シスイの中で何かが弾けた。

「シ、シスイくん!」

やっと抱きしめた彼女は、思っていたよりも細くて小さくて、ああ女なのだと思った。
憧れて憧れて、あんなに遠い存在に感じていた彼女も、ひとりの女だった。このまま無理矢理、自分のものにしてしまえるような気がして、シスイは気持ちを抑えるようにゆっくりと息を吐いた。

「ずっと、ずっと好きでした。ナマエさんのことだけ、ずっと見ていました」
「シスイくん…」
「お二人が、誰よりも長く深い付き合いなのは分かってます。でも、でも俺は、俺ならナマエさんを幸せにしてみせます!」
「……」
「幸せにしたいんです、ナマエさんのこと。だから、そんな悲しい顔をしないで、俺の横で、笑っていてください…!」
「シスイ君」

諭すような優しい声に、シスイは顔を上げた。そこには、ふんわりと頬を染めて微笑むナマエがいた。いつもの、花のような優しい微笑み。シスイが好きになった彼女だった。

「嬉しい…ありがとう、シスイ君」
「……ナマエさん、」
「でも、ごめんね、私は……」

しゅん、と苦しそうに視線を落としたナマエを、シスイはもう一度きつく抱きしめた。

「……言わないでください」
「でも、」
「全部、わかってます。でも俺がナマエさんを好きなのは、変わらない。ナマエさんが変わらないように」
「……うん」
「もう少し、いいですか」

くす、と優しく笑ったナマエは、もしかしたら泣いているのかもしれない。シスイはそんなことに気がつきながら、気がついていないフリをした。

自分たちは似たもの同士なのかもしれない。
尊敬すべき人に恋心を抱いて、だけどその人に自分の気持ちは届かなくて、相手を困らせることがわかっていて、それでも伝えずにいられない。
心地よい温度は、いつか冷めるのだ。
それならいっそ、賭けにでようか。

「ありがとう、ごめんね、シスイくん」

きゅっと、弱々しい力で抱き返してきた彼女の、その賭けに出た勇気をへし折ったのは自分だった。
こんなにも儚い彼女の、精一杯の言葉を、飲み込んでしまったのは自分。

だったら、せめて、

「幸せに、なってください、ナマエさん」

同じ痛みを、彼女には感じて欲しくない。
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