「で、いい女紹介するってのは?」
 待ち合わせは六本木。すぐ手が届きそうな東京タワーが煌々と存在を主張する午前1時に、野郎を前にして俺はそう言った。
「あ、そうだっけ?」
 へらっと薄く笑った奴を俺はひたすらにぶん殴りたくなったが、大人の余裕という建前のもとぐっと堪えた。それは鋼の精神で何とか成功し、目の前で未だ「いやーマジごめんなー忘れててさー」と重みもへったくれもない謝罪をぺらぺらと述べる奴に対して「仕方ねえな」と余裕まで見せている。「お前今日休み?」「ああ、お前もだろ」「そう。じゃ、行こうぜー」「ああ」「いいとこ見つけてさー」「へえ」……大人だ、俺は今、誰よりもそうに違いない。ちくしょう、大人って何だ。毎日イヌみたいにへこへこして、振りたくもない尻尾振って、媚び売って、なけなしみたいな金稼いで……そんな中での今回の話だった。顔にこそ出さないが俺は楽しみにしてたんだ、何で野郎と二人きりで飲みに行く羽目になっているんだ。今度は自分をぶん殴りたくなった。
「しっかしさー俺らもまあ、大変だよなー」
 やっぱり重みもへったくれもない口調で奴はからからと笑う。頭の中身と同じ軽さだ。命の重さはちゃんと21グラムあるんだろうか。人間皆平等って言うには言うが、正直、東京なんかで生きているとそれは嘘なんじゃないかと思えてくる。少なくとも俺の現状は、今隣を通り過ぎた似合わないホワイトカラーのスーツを着た成金オヤジと平等じゃない。歌舞伎町で立て看板片手に、鼻の下が伸びそうな野郎を見つけることばかりが上手くなっていく。
「お前、いつまでボーイなんかやってんの?」
「なんかって言うなよー。お前だって客引きじゃんか」
 オヤジに触発されて口を突いた言葉に奴は拗ねた口調で、しかしやっぱりまた笑う。よく笑えるよ、俺は笑えない。全く笑える話じゃないが、傍から見たらある意味笑える話なんだろうか。「御宅の息子さん、大学で上京したんですって?」「ええ、中退しまして今は歌舞伎町でポン引きですわ。おほほほほ」……嫌な会話だ。うちの婆あがそこまで知っているとは思わないが、中退は事実なので痛いことに変わりはない。そもそも俺は客引きでポン引きじゃない、うちの店は優良店だ。お姉ちゃん達は皆綺麗でそれなりに優しいんだ。たまに屋台でラーメンとビールだって奢ってくれるんだ。見えない何かと脳内で闘いながら、ふと、足を止めた隣に目を遣った。
「……何て顔してんだよ」
 思ったより掠れた声は、果たして届いたかどうかわからない。ただ、奴はやたらと穏やかに、眩しいものでも見るように目を細めて東京タワーを眺めていた。
「おい、ヤマダ……」
 ……ヤマダだったっけ?
「あのさー、名前間違ってんだけど」
「あ、ああ……ごめん、何だっけ」
「いいよ、いっつも間違えてんだもんさー」
 そうか、いつも間違えていたのか……あんまり興味なかったのかな。悪いことをした。
「……俺さー、実はまた店クビになっちゃって」
「は、また?女?」
「あはは、まあ、そう」
 こいつはへらへらしていていけすかない奴だし、調子はいいし、適当で、それなのにそこそこ容姿がいい故にか女に困ったことはなかった。少なくとも、俺と知り合ってからの限りでは。ただ、毎回手を出す女が自分のお店のお姉ちゃんだったり先輩の女だったり……とにかく問題がすぐ持ち上がる。懲りないとでも言うべきか、ある意味で“女に困らない”は嘘だ。奴は東京タワーを目に映したまま、また笑って言った。
「俺もう六本木じゃ雇ってもらえねえかもー」
 からからと声をあげた奴の気が知れない。笑い事か、違うだろうが。
「わかんねえ、何でそんな上機嫌なんだよ」
 どんな仕事だろうがどんな毎日だろうが、ライフラインの確立は重要だ。世の中金が全てじゃないが、少なくとも東京では金がものを言う率はずば抜けて高いに違いない。金があればある程度は幸せも愛も買える。真夜中をネオンと人混みと喧騒で虚飾した街は、ある意味では高価で、またある意味では驚くほど安価だ。
「俺さー、」
「何だよ、取り敢えず話すときは相手の目を見て話せよ。お前の母ちゃん、どんな教育してんだ」
「あはは、母ちゃん?同じこと言ってたなー。出ベソでさー」
「……で、何」
 大人である俺はこいつの母ちゃんの届かなかった教育を憐れみながら、それでも聞いてやる姿勢は崩さなかった。何となく、聞いてやりたいような気分だったのかもしれない。
「ここ、好きなんだわ」
 ようやくこっちを見た顔は確かにまだ笑ったままで、けれど、その目は何かを秘めているようで……この街で、こんな暮らしをしていて、一体何を決意出来るんだよお前。どうかしてるよお前。間違いなくそう思ったのに。
「……そうかよ」
 口から滑ったのはそんな言葉で自分に驚いた。
「まあ、俺は俺でがんばるからさー。お前はお前でイヌらしくがんばってよ」
「イヌって言うな」
「違うの?思ったことない?」
「ねえよ」
「いや、あるね。お前は歌舞伎町のイヌ、お姉ちゃんに尻尾振ってラーメン奢ってもらったりビール奢ってもらったり諸々お世話してもらったり」
「うるせえよ、お前じゃねえんだよ」
 梅雨から初夏に掛けての生温い風が緩く通り抜ける六本木のネオンに塗れて、そんな話で二人で笑った。きっと歌舞伎町は相変わらず、数倍のネオンで煌めいているに違いない。嘘も真も全て隠して、ついでにほんの少しの笑えるような決意と穏やかさも隠して「やるか」と言えば「お盛んだなー」と返ってきて「お前じゃねえっての」とまた返して。
「で、お前の母ちゃん出ベソってマジ?」
「ははっ、嘘に決まってる」
 東京の夜、俺達は笑うんだ。──そうだ、こいつの名前をいい加減に覚えてやろう。本当に笑える。




_20120612

歌舞伎町のイヌ、六本木のトラブルメイカー



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