ばちん。
わたしの右手と彼の頬が当たって、そんな音がした。ミストレーネは呆然としていて、今何が起きたのかはっきりわかってないみたいだった。わたしはじんじん痺れている右手を戻して、彼を睨んだ。

「さいってい。ミストレーネなんて、だいっきらい」

言い終わってすぐ、わたしの目からは涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。ミストレーネはそんなわたしを見てぎょっとしたみたいだったけど、わたしは彼の反応なんてもうどうでもよかった。ぜんぶ彼がいけないのだ。自分から言い出した約束をこんな形で破るなんて。

「さよーなら」

きっぱりとそう言って、わたしは彼に背を向けて走り出した。一瞬、わたしの名前をよぶ声がしたような気がしたけど、振り返ったりはしなかった。もう知らない、ミストレーネなんか、もう知らない。




*




ミストレーネがわたしに告白してきたのは、今から1週間と少しくらい前のことだ。
放課後、夕焼けのオレンジ色の光が差し込む教室。ムードはばっちり。ミストレーネは入口の扉に寄りかかるように立って、わたしが出ていこうとするのを引き止めて、それから。 「君のことがすきなんだ」 わたしはもちろん耳を疑ったし、目を見開いたし、えええ、と声も上げた。だってそうだろう。同級生の女子の支持ナンバーワンの男の子が、何故かこんな平凡なわたしに好きだなんて言うのだ。

「よかったら付き合ってくれないかな」

またしても衝撃。絶対嘘か、または罰ゲームかなにかだと思ったけど、彼に限ってそんなはずはなかった。でも、でも。彼はいつだって可愛い女の子たちに囲まれていて、にこやかに話していて、わたしはそれを端から見ていただけで、なんら接点はなくて。

「どう、して、わたしなの?」

いたって自然な問いだったのに、彼は不思議そうに首をかしげて、 「俺が君を好きだったら、迷惑?」 だなんて、聞き返してくるもんだから、わたしはもうたまらなくて、顔が熱いのを隠すのに必死だった。

「迷惑じゃないけど……」
「けど?」
「カルスくんがわたしを好きだなんて、考えたこともなかったから」

わたしがそう言うと、彼はなんだかおかしそうに笑って、 「謙虚だね」 と呟いた。彼の言う謙虚の意味がよくわからなかったので、何が?、と聞いたら、 「君はすごく可愛いよ」 と返ってきた。彼が何故あれほどモテるのか、なんとなく理解した。きっと彼はわたし以外の女の子にだってそういうんだろう。

「カルスくんとは、付き合えないよ」
「どうして」
「だって。カルスくんのこと好きな女の子たちに妬まれちゃう」
「内緒にすればいい」
「でも」
「俺のこと嫌い?」
「……ううん」
「じゃあ好き?」
「カルスくん、その質問は」
「ずるいよね、わかってるよ。でもどうしても君がいいんだ。君が欲しい」

熱を孕んだ瞳が夕陽を反射してきらきらと輝いていて、とても綺麗だと思った。差し出された手のひらを掴むか掴まないか、数秒悩んだのち、わたしはそっと手を伸ばした。彼の手のひらは意外にもあたたかかった。

「幸せにするよ。約束する」

そう言って彼はわたしの身体を引き寄せて、誓うみたいに額にそっとキスをした。




*




ミストレーネが他の女の子と抱き合っているのを見たとき、わたしは驚くでも泣き出すでもなく、ただ、 ああやっぱりね、とそう思った。最初からなんとなく、こうなることはわかっていた。しょっちゅう取り巻きの女の子たちといる彼が、本当にわたしだけを見てくれているはずがないと、心の中で気づいていた。むかついたのはそこじゃあない。わたしに見られていたことに気づいた彼は、逃げるわたしを走って追いかけてきて、行き止まりに追いつめて。言い訳なんか聞きたくないと暴れるわたしをおさえつけるみたいにキスをしようとしてきたから、咄嗟に右手が一閃した。平手打ちなんてしたのは久しぶりだ。しかも男の子に。 わたしは王牙学園の廊下をばたばたと走りながら、袖でごしごしと目をこすった。ミストレーネのばかばかばか、幸せにするって言ったくせに。

「はあ、……しんど……」

全力疾走して疲れきったわたしはロッカーにもたれて息を整えようとした、のだけど、後ろから聞こえてきたもうひとつの荒い息づかいに気づき、びくりと身体を震わせた。

「逃げ、ないでよ」

ミストレーネがこんなに憔悴しきっているのを、わたしははじめて見た。

「君が、好きだ、俺は」
「嘘つき」
「嘘じゃない。好きだよ」

嘘じゃ、ない。
念を押すように言われ、わたしは彼から遠ざかろうとするのだけど、すぐ後ろにあるロッカーに邪魔されて、結局5センチも離れられなかった。
「ずるい」

わたしはまた泣き出していた。

「わたしもミストレーネが好き……」

あと何度あんな場面を見せられるんだろう。何度あんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。到底わからないけど、もうわたしは彼に恋をしてしまっている。結局逃げ場なんてなくて、彼が幸せにしてくれなければ、わたしは多分一生幸せにはなれないんだと思った。



幸せの定義







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テーマ「人外ファンタジー」
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