彼らの帰還と、その任務の失敗は、おそらく内密だったのだろうけれど、朝にはもう全校生徒に伝わってしまっていた。何故ならば、彼らのリーダーである少年が、たくさんの生傷をこさえて自らの席に座っていたからである。




*




彼が帰ってきたのは深夜2時頃だった。今日の分の予習をするため夜更かししていたわたしが、シャーペンを握りしめながらうとうとしはじめたとき、シュンと風のような音がして、ベッドの脇に彼が現れた。眠気はふっとんだ。バダップは頬から血を流していた。

「ど、どうしたの、その傷!」

おかえりやおつかれさまより先に、わたしは叫ぶようにそう言った。ぽたり、彼の顎から滴った血が、床に丸い染みを作る。 手当てしなきゃ、という言葉がまず最初に頭に浮かんだ。確か家からちいさい救急箱を持ってきていたはずだ。わたしは慌ててカバンを探り、救急箱を引っ張り出した。

「座って、傷見せて」

半分放心状態のようにも見えるバダップをベッドに座らせ、その顔を覗き込んだ。何か細いもので叩かれたような、裂かれたような、変わった傷だった。わたしは王牙学園にある色んな武器を思い出してぞっとした。彼はいったい、誰にこんな傷を負わされたのだろう。 「……バダップ?」 元々無口な彼だけど、異様なまでの寡黙さだった。わたしは何度も彼に呼びかけてみた。だけど、いつまでたっても彼の方から何かを言ってくれはしない。瞳には確かにわたしが映っていて、意識もあるのに、バダップは頑なに口を閉ざしたままだった。何か理由があるんだ、と思ったわたしは黙って傷の消毒にとりかかった。コットンパフで頬の傷を押さえようとした瞬間、、その手を彼に掴まれてどきりとした。目を細めた彼はやっぱり口を開かなかったけれど、何かを言いたがっていることだけはわかった。

「話すなっていう命令なの?」

そうたずねたら、彼は少し考えるように目を伏せて、それからわたしを引き寄せた。恋い焦がれていたぬくもりを与えてもらったというのに、わたしの心はざわついて、素直に嬉しいという感情だけで埋めることができなかった。バダップが、辛そうに見える。だからわたしも辛かった。そんな顔しないで、元気出して。そう言いたかったけど、彼に何があったかわからないうちは、無意識に傷つけてしまうかもしれないから、何とも言えない。彼の軍服の肘のすこし上のところが破けていた。ぬるり、液体に指が触れた。赤い色をしたそれを見たわたしは頭がくらくらした。

「バダップ、ちゃんと消毒しよう」

彼の肩に頭を乗っけながら、わたしは言った。化膿なんてしたら大変だ。よく転んで怪我をしていたわたしに、どんな小さな傷でも甘く見ちゃいけないと、お父さんはよく言っていた。 ぎゅう、とつよくつよく抱き締められて苦しいくらいだったけれど、離して、なんて言えなかった。耳のそばに感じる彼の息はとても熱く、そんな場合でないのはわかっているのに、たまらなくどきどきした。

「ねえ、」

跡が残っちゃうよ、と言いかけたわたしの唇を、彼の唇が塞ぐ。頬の傷が引っ張られて痛んだのか、彼は少し顔をしかめた。わたしは彼のその表情を見るのが忍びなくて目を閉じる。何もしてあげられないのがこんなに悔しいなんて。
わたしはなんとなく、彼と彼と共に消えた生徒たちに課された任務が失敗に終わったことを悟った。どんな任務だったかなんて知らないし、誰と戦っていたのか見当もつかないけど。自信に溢れていた以前までのバダップはここにはいなかった。

「……っん、ぅ」

生温かい感触がわたしの思考のなかに入り込んできた。ゆっくりと探るような動きに惑わされながら、おそるおそる自分の舌を近づけてみる。表面をなぞるように触れたあと、静かに絡めとられた。背筋がぞわりとした。直後、味わったことのない感覚に襲われる。
彼の服を掴み酸素の少なさを訴えると、熱を受け渡して名残惜しそうに離れていった。
わたしの目の端にたまっていた涙がつうと頬を伝い、彼の指がそれを拭った。

「……、おかえり」

わたしが呟くと、彼は何を言うでもなく、眠るみたいに目を閉じて、こつんとわたしの額と自分の額を合わせた。彼の額に刻まれていたはずの紋章がなくなっていることに気づいていたものの、わたしは結局何も言えないまま。




*




ミストレやエスカバさんも帰ってきていた。わたしは彼らに話を聞きたかったけれど、彼らはいつも生徒たちに囲まれ質問責めにあっていて、わたしは近づくことができなかった。もっとひどかったのはバダップだ。休み時間のたび、わたしの席からは彼が見えなくなった。全校生徒が1度は彼のもとに来たのではないかと思うくらいだった。それでも彼は相変わらず黙ったままで、かく言うわたしも彼の彼女だと生徒たちに認識されているので、なかなかに追い回された。
もとの学校に帰りたい、なんていう思いはすっかり隅に追いやられ、わたしはただただ彼のことが心配だった。バダップは見るからにやつれていた。悩んでいるようにも思えた。彼自身が何も話さないので本当のところはわからなかったけれど、何かが彼を縛るように苦しめているのだけは事実だった。




*




6時間目の授業中、わたしはひとつ決心をした。彼が何も言わないなら、言えないなら、そうさせた人に聞きにいこう。

別館に足を踏み入れるのはこの学園に来てはじめてだった。教官室を通り過ぎ、昼間だというのに暗い廊下をわたしは歩いた。ドアにかかった金のプレートに刻まれた名前を見て、わたしはこくりと喉を鳴らした。ヒビキ―――、途中入学のわたしだって、その人物の多大なる力のことは知っていた。握りしめたこぶしはかたかたと震える。それでもわたしは、……わたしは。

深呼吸、――そして2回のノック。
もう後戻りなんて出来ない。


J'aide un ogre et veux le protéger.







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