部長は、わたしよりひとつ年上で、あだ名からわかるとおり、わたしの属する演劇部の部長をつとめている。性格は至って明快、演劇一筋の熱い男だ。シナリオを書く力も一級品で、将来は舞台俳優になるべく、練習をつんでいる。もちろん部長というだけあって、演技のうまさはピカイチだし、他の男子部員たちはカメラや音響に回りたがる子たちばかりなので、大抵の劇の主役は彼がつとめていた。わたし、紺野ゆいが彼の演技を見たのは、去年の春、新入生歓迎会のクラブ紹介のとき。あとで聞いたところ、それは部長が初めて主役をやった舞台だったらしい。吹奏楽部や美術部、もしくは帰宅部でいいやと思っていたわたしは思いがけず演劇部の迫力に圧倒され、小学校からの親友とふたり、飛び込むようにして入部した。部長はそのとき部長ではなかったわけだけれど、わたしはすでに彼の大ファンだった。まわりを巻き込むような緊迫と、期待をいい意味で裏切るユーモア溢れる笑い、どれをとっても彼はわたしの憧れでしかなくて。追い付きたくて、認めてもらいたくて、わたしは懸命にがんばった。まだうまいと言えるくらいではないものの、それで
もがむしゃらにセリフを叫んでいたあの頃とは違う。部長のように将来にまで繋げるほどの気持ちはないにしても、わたしは演劇が、演劇部がほんとうにすきだった。

「帰ってこいよ、紺野」

ずっとずっと憧れだった、背中ばかり追い続けた彼が、そんなことを言う。悩むのも迷うのも避けられない。わたしは、わたしは確かにこの人がすきだった、だいすきだった。だけど――――。

普通に考えたら、もう王牙に縛り付けられているわけじゃないんだし、帰ってくるべきなのだ。本来わたしがいるべきところはここであって、あんなおかしな学校じゃあない。あそこにいたら、いずれは軍の関係者に仕立てあげられてしまう。それじゃあわたしの夢はかなわない。遠い国で難民を治療している医者であるお父さんを手伝いに行けない。医者や看護婦になるための勉強なら、こちらの学校から医療系の学校に進学した方がいいに決まっているのだ。わたしは小さな頃からお父さんのようになりたかった。家にはほとんど帰らなくて、向こうではつらいこともあるだろうに、それでも笑顔で人々を救い続けるお父さん。わたしは軍人になんてなるべきじゃない。なってはいけない。軍人はいかなる理由にせよ人を殺める。わたしは人を救いたいのだ。これじゃあまるで正反対の道を行くことになる。だめだ、わたしは、わたしはどうしてさっき、実技授業で相手の生徒に勝てたからって、あんなに喜んだりしたんだろう。あんな力も武器も、わたしは要らない。戦争なんてするから、人は傷つくのだ。人を傷つける医者志望なんて誰が望むんだ。王牙学園は間違っている。それははじめから感じていたことなのに、わたしはいつあそこに居座ろうだなんて考えるようになったんだろう。軍の偉いさん方の期待?それがなんだ、わたしは医者になるのだ。

「部長、わたし、……帰ってきます、ここに。それまで待っていてくれますか」
「ああ、待つさ。今度の正ヒロインはお前なんだからな、紺野」
「……はい」
「あ、それとだな、」
「え?」

いつも自信満々な部長が何故かふらふらと目を泳がせる。うーんと唸りながらうしろ頭を掻くのは部長の癖だ。なんだか懐かしくも感じた。

「返事。今すぐじゃなくていいから、考えとけよ」

返事って?と聞きかけて思い出した。そうだ、わたし、部長に告白されたんだ。




*




クイーンサイズのベッドは、わたしが大の字になって寝たってまだまだ幅を残している。サイドチェストの引き出しからあの盗聴機を取り出したはいいものの、わたしは何も言えず、刻々と時間ばかりが過ぎていく。

バダップに、謝らなきゃ。やっぱり元の中学に帰ることを、ちゃんと伝えないといけない。わたしは医者になりたいのであって、軍人になりたいわけじゃない、って。

一度あちらに戻ったら、もう王牙学園には帰ってこれないだろう。そうしたらわたしとバダップは、出会う前の関係に逆戻りだ。つまり、全く触れ合うことのない、もはや生きている世界が違うと言ってもいいくらいの、他人同士に。

屋上で宣言したとき、決めたはずだったのに。いざ、バダップに伝えるとなると、緊張して、言葉が出てこない。……元の中学に帰ると言ったら、バダップはどう思うだろう。悲しんでくれる?寂しがってくれる?帰るなここにいろって、言う?言うかなあ。言わないかもしれないなあ。だってバダップはいなくなる前の夜、帰れって言ったんだもん。

―――でも、もし万が一、帰らないでほしいと言われたら、わたしはそれでも帰ることができるだろうか?

「……だめだ、」

はあ、とため息をついて、わたしは盗聴機を再び引き出しにしまいこんだ。今日は言える気がしない。それに、こんな大事なことは、ちゃんと彼に面と向かって言うべきだ。だからせめて、彼が帰ってくるまでは、ここで頑張ろう。

わたしは電気を消し、布団に潜り込んだ。早く帰ってきて欲しかったけれど、でも帰ってきて欲しくなかった。バダップが、すきだ。でも、彼が帰ってきたら―――、そのときは、ばいばいしなくちゃならない。この気持ちも、恋も、捨てなきゃならない。覚悟は早めに決めておかなきゃ。

目を閉じると部長の顔が浮かんだ。すきなんだ、って、言われたんだ、わたし。そうだ、わたしは元々あの人がすきだったんだから。バダップは別の世界のひと。軍人になるべきひと。すきになんてなっちゃいけない存在だったんだ。

いつかのバダップの優しいあたたかさを思い出した。それはこの毛布よりあたたかくはなかったけれど、わたしはあちらの方がずっと恋しかった。

バダップか、元の生活か。どっちも、なんてわがままはもちろん通用しない。究極の選択ってやつだ。選べるもんか。どっちも大切でだいすきだ。


Est-ce que je deviens un ogre ou deviens un être humain?






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