「一本!そこまで!」

担当教官の声が闘技場に響き、わたしは柄をぐっと握りしめていた手をゆるめた。途端に全身の緊張がほぐれてしまい、へたり込んでしまいそうになるのを必死でこらえた。……やった、……勝てた。バダップが言っていたように、相手を傷つけるのではなく、自分を守るために戦って、初勝利をおさめた。
わたしの薙刀にはじき飛ばされた相手の子の武器が、数メートル向こうの床に突き刺さっている。まだ心臓はばくばくと激しく脈打ち、乱れた息も戻ってはいない。けれど、わたしの心は歓喜していた。

「よっし……!!」

先ほどの射撃訓練の成績だってなかなかだったはずだ。軍人になれる才能がめきめきと育っている気がして否めないけど、でもどんな分野でも上位をとることはわたしにとって確かに嬉しいことだった。それに、これは机上のペーパーテストとは違う。紙に書いて紙で返ってくるものじゃないから、感じる喜びもまた格別だった。バダップに、頑張ったなと誉めてもらいたいと、こっそり思うようにもなった。軍人にはやっぱりなりたくはなかったけど、彼の傍にいられるならもうそれでもいいかもしれないなんて考えた。
ただ、気がかりがひとつだけあった。
バダップだけではなく、ミストレやエスカバ、その他七人の生徒が、彼と同じ日に王牙学園から姿を消していた。生徒はもちろん、教師・教官すら彼らの詳しい滞在場所を知らなかった。わたしは引っかかるものを感じていた。彼らは合計で十一人。この人数での任務だとしたら――思い当たることがひとつある。十一人でプレーするスポーツ、……サッカーだ。頑なにサッカーを排除しようとする軍と、その軍の士官学校の、消えた優秀成績者十一人。行き先を言えない極秘任務。しかも長期の。わたしの胸はざわついた。バダップたちは一体何をさせられているんだろう。

「庶民が調子乗るなよな」

隅で待機していると、右斜め後ろからクラスメートの男子の声。じゃあその庶民に負けている自分たちはなんなの、と言いたかったけど、わたしはこの一週間とちょっとの間ですこし大人になったらしく、彼らに見えないように小さく笑うだけでやり過ごした。前までのわたしならたぶんつっかかって行ってただろうなあ。バダップに平手打ちしたあの朝みたいに。そう考えたら、人って変わるもんだなあと思って、やっぱりまたなんだか可笑しくなってきてしまって、わたしはすこし俯いて顔を隠した。バダップに出会えてわたし、よかったなあ。




*




印の押された紙を受け取り、わたしはぺこりと頭を下げた。外出許可証、の金文字がきらめく。これで堂々と家に戻っても怒られない。わたしは小走りで寮に向かい、ルームキーと着なれた制服をひっつかんでまた飛び出した。担任が言うには、正門にある認証システムに許可証をかざせばよいとのことだったので、さっそく実行にうつしてみる。

思えば一週間前、地獄に向かうような気持ちで通ったこの門。いまやこの中がわたしの生活スペースだなんて、ちょっと信じられない。

「これ……かな?」

青いパネルに許可証を裏返して乗せると、ピピ、と音がなり、重そうな門が左右に開いていく。まだ全部開ききらないうちにわたしは外へ駆け出した。




*




目立つ軍服は近くにあったスーパーの衣料品売り場の試着室で元の中学校の制服に着替え、折り畳んでいた紙袋にしまいこんで、そのままスーパーに備え付けられていたロッカーの中に押し込んだ。これでもう町を歩いてたって、怯えられたりあからさまに避けられたりしない。踊るような足取りでわたしが向かうのはもちろん、一週間前まで通っていた自分の中学校だ。たくさん来ていた友達からのメールになんとか返信を終えると、代わりに届いたのは、学校に顔出してよ、という言葉たち。抜け出した昨日の今日で外出するのは少し気が引けたけど、そんなものはとある人のメールで一気にふっとんだ。あの、怒れる獅子との異名をもつ部長から、会いたいと言われたのだ。そんなの、行かずにはいられないじゃないか。
時刻は5時すぎ、みんないつもの教室で練習に励んでいるはず。わたしは嬉々として歩道をダッシュ。遅刻しかけてたあのときより速く、速く。王牙学園に比べたらセキュリティもなにも備わっちゃいない、開けっ放しの正門を通り、運動部の部員たちの横を駆け抜け、校舎のB棟の階段をかけのぼる。いまは使われていない4階の空き教室、それがわたしたち演劇部の活動場所だった。

「みんなっ―――」

ノックなしにガラリと扉を開けたわたしは呆然とした。ダンボールで作られた大道具と、みんなで描いた背景のお城。どれも確かに見覚えがある。そして、王子に扮した部長に抱き上げられた女の子の着ているドレスも、……その女の子の顔も。

「……あーっ、ゆい!!」

機材を抱えた男子部員がわたしの名前を呼んだ。わたしは曖昧な笑顔を返す。部長と、相手役の女の子もわたしに気付き驚いた顔をし、それから嬉しそうに笑った。

「ゆいっ!久しぶり……!」

ふわりとドレスを翻し駆け寄ってきたヒロイン役の女の子はわたしのクラスメートで、幼稚園のころからの親友で、もし学校に来たらクラブにも寄ってね絶対だよ、とメールをくれた子で。

「久しぶり……。えっと……みんな元気?」
「やだ、何言ってんのゆい、あんたこそ……びっくりしたんだからね、王牙学園に転校なんて」
「は、はは、ごめんね」
「なんだあ紺野、てーっきり軍服着て来んのかと思ったのによー」

照明を抱えた部員がからかうような口調で言った。わたしも笑顔を崩さないつもりだったけれど、いまほんとに自分が笑えているのかよくわからなかった。どうしてだろう、嬉しいはずなのに。すごくすごく嬉しいはずなのに、こんなに胸が苦しい。みんなのこと、大好きなのに、今は何故だか少し、妬ましく思う。わたしは、……わたしはもうここに来ちゃいけなかったのかもしれない。そう、漠然と思った。

「こいつなんて泣いてたのよ!ゆいに会えなくなるーって言って」
「バッカお前でたらめ言うな!」
「なによほんとじゃない!なんならこの前送られてきたメールゆいに見せようか」
「やめろォオ!このドS!ドS!」

みんなはいつもとおんなじだった。違うのはわたしだけ。もうわたしには、この人たちと同じ空気は深く吸い込むことが出来ない。ここにいると、苦しい。わたしの着るはずだったドレスを、彼女が着てるのを見るのが、とても苦しい。

「紺野」

相変わらず、部長の声はよく通る。わたしの大好きな声。でも今はもう聞きたくなかった。わたしの名前なんて呼んで欲しくなかった。わたしはもう、演劇部の紺野ゆいじゃあ、ないのだ。

「少し話せるか?出来れば二人で」

少し前のわたしなら、たまらなく嬉しくて仕方ない言葉だっただろう。わたしは重々しく頷いて、そのまま、部長の顔を見ることが出来なかった。

「ぶちょおーそのカッコのまんまでですか」
「うるせーな、今脱ぐっつの」

居たたまれない。来てしまったことを後悔した。ばか、ばか、ばか、……わたしのおおばか。こうなることは予想できてたはずなのに、そんなことないって、どこかでそう思い込んでた。

「よし、来い紺野」

素早く制服に着替えた部長がわたしに近寄ってきて、右手を差し出す。わたしは戸惑いながら彼を見上げて、その手をとった。

「部長のドキドキ告白ターイム!」

後ろではやしたてる声もお構い無しに、部長はわたしの手を引いて、B棟の階段をさらに上にのぼる。金属製の扉を部長が開けた途端なだれ込んできた外の空気と暮れかけた空の色。最後に見たときとなんら変わらない屋上。春に演劇部一同で校庭の桜を見下ろす花見大会をやった場所。いまはそれさえ、ずっと昔のことに感じた。

「……部長、」

握りしめられた手は痛いくらいで、わたしは不安になって彼を呼んだ。もしかしたら怒られるかもしれない。くじ引きではじめてヒロイン役になれてからは、遅刻ギリギリながらもちゃんとクラブに来ていたのに、突然消えるように転校なんかして。代役なんてたてられて当たり前なのに、ドレス姿の親友にショックを受けてるわたしはなんて嫌な子なんだろう、きっと部長も呆れちゃったんじゃないだろうか。そう思っていたわたしの耳に飛び込んで来たのは意外な言葉。

「いつ、帰ってくる?」

わたしは驚いて彼を見つめる。

「今度の主役はお前だろ、紺野。主役がいない劇なんてあるか?」
「いえ……あ……で、でも、ほら。代わりがいるじゃないですか。わたしじゃなくても、別に」
「お前がいいんだ。オレは、お前がいい」

目を見開く暇もなく与えられた彼の次の言葉。 「好きなんだ」 わたしは呼吸の仕方を忘れて、ただ立ち尽くす。珍しくくしゃりと自信なげな顔をする部長はやっぱりこれまでの通りかっこよくてすてきで、わたしの理想の王子さまにぴったりの人。なのに、なのにわたしの頭は今、目の前のこの人とは違う人を思い浮かべてる。なんてこった、物語に二人も王子はいらないっていうのに。


Mon amant est un ogre tendre.






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