「何故こんな、……っ!?」
バダップの言葉を最後まで聞くこともせず、わたしは彼にぎゅうと強く抱きついていた。うそ、うそ、夢みたい、助けに来てくれた……!
「おい、俺の話を」 「あっ!そうだ、バダップあのね、軍人さんがここに―――か、隠れなきゃ、わたし、寮が」 「……落ち着け。ちゃんとどういうことか説明しろ」 「と……とにかくここじゃだめなの。見つかったら怒られちゃう、わたし、抜け出してきたから」
わたしの必死の訴えを聞き、バダップはふうと小さくため息をついてから、 「場所を変えればいいんだな?」 と言った。わたしは静かにうなずく。
「掴まれ。寮まで飛ぶ」 「え、と、飛ぶ?」 「早くしろ」 「う、うん」
言われるがまま、バダップにしがみつく。途端、足が地面を離れ、ぐらりと身体が傾いたような感覚に襲われ、怖くなったわたしはきゅっと目を閉じ、必死になってバダップの腕を掴んだ。
「……着いたが」
バダップの低い声を聞き、わたしはそうっと目を開く。大きなベッドとパネルテレビ……、1009号室の中だった。
「しゅ、瞬間移動!?すごっ、帰れた……!!」 「何を呑気な」
がっ、と両肩を掴まれ、びっくりしたわたしは彼を見上げる。眉間にしわを寄せ、バダップはいつになく険しい表情をしていた。怒って、いる。
「い、痛いよ」 「この、馬鹿が。誰が期限内に抜け出していいと言った。軍は許可を出したか?君のことだ、どうせ無断だろう。あんな所で、男子高校生を5人も相手に。かなうとでも思ったのか?強気なだけではどうにもならないことがあると君は知るべきだ」
怒鳴るような口調で言い切ったあと、彼はわたしを自分の腕の中に引き寄せ、強く強く抱き締めた。 「何かあったら、どうするつもりだったんだ……」 まるで懇願のような、彼らしくない言葉に、わたしは自分の行動を酷く恥じた。彼に心配をかけてしまった。
「ご、ごめんなさい」 「いや、許さない。いかなる理由があってもだ」 「だ、だって我慢出来なくて」 「家に帰りたくなったのか」
わたしの目を覗き込むように見る彼はどこか寂しそうに見えて、胸がずきりと痛んだ。
「違うよ、そうじゃなくて、その」 「では何だ?はっきり言え」 「……そ、その、ずっと一緒はもう耐えられなくて、替えがほしくて」 「何の」 「し…………下着の」
そう言った瞬間、バダップはぴたりと静止し、それから 「ああ、そうか、それで」 とぼそぼそと呟き、わたしから目を逸らして、 「すまない」 と短く言った。あまりにもあからさまに照れられてしまったので、わたしもなんだか恥ずかしくなって俯く。な、なによ、いつもクールにやり過ごすくせに、そんな反応しないでよ……。 わたしが次の言葉につまりあわあわしていると、どうにかいつもの表情に戻したらしいバダップがきりりとした声で言った。
「明日からは、担任に申し出て許可証をもらえば外に出れるようになるだろう。これからは無茶はするな。いつも助けに来れるとは限らない」 「う……うん、わかった。……でも、どうして今日、わたしの所に来れたの?どこかに行ってたんじゃ……。もう任務は終わったの?」
わたしがたずねると、バダップは目を細め、 「いや」 と短く答えた。なんだ、そっかあ。じゃあまだ帰ってきてはくれないんだ。
「通信機の調整をしていたら、君の声がして、それで。本来なら勝手に戻ってはいけなかったが、君の叫び声を聞いて、無意識に」 「助けに来てくれた、の?」
聞いても、バダップはうなずいてはくれない。ただ黙ったまま、窓の方なんかを見てる。可愛い人だよなあと思い、ちいさく笑いながら、ありがとう、と言った。彼が来てくれなかったら、わたしはきっと今ごろひどいことになっていたことだろう。
「あれ、でも、通信機からわたしの声がしたって、どういうこと?」 「……君には、監視の為に小型の盗聴機を仕掛けてある。目を離しても何をしているかわかるように」 「う、うそ、プライバシーの侵害!あっ、それで前、屋上にいるのわかったの?」 「そうだ」 「ちょっ、やだやだ、取ってよそれ!わたしの行動筒抜けじゃない!恥ずかしい!」 「……まあ、いいだろう。今日で監視も終わるしな」 「やった!」
小さくガッツポーズをするわたしにバダップが手を伸ばす。でも、そこは――、 「え、待って、バダップ」 「動くな」 「いや、いやいやいや」 腕をがしっと掴むと、とても嫌そうな顔をされた。取ってやると言ってるのに邪魔をするな、とでも言いたげだ。い、いやでもバダップさんあなた、そこ、そこどこだかわかってますか!
「やっ、待って待って!」 「いちいちうるさいな君は」 「ひゃっ!」
どさりと押し倒されてベッドの上。顔にかあっと熱が集まる。下からのアングルで見るバダップはなんだか色っぽく見えて、心臓がどきどきばくばくうるさい。彼の腕を掴んでいた手をひとまとめにされ頭の上に押さえつけられたら、わたしはもうどうすることも出来ない。 「バ、バダップ」 震える声で名前を呼ぶけど、彼は聞いちゃいない。長い指がわたしの左胸に降りてきて、そっと触れる。すぐ下にある心臓が飛び出してしまいそう。 ぶち、と音がし、彼の指がわたしの胸ポケットのボタンを千切りとった。わたしは色んな感情に苛まれながら、恨めしげに彼を見上げた。
「盗聴機、それ……?」 「他に何か期待したか?」
挑戦的な笑みを返してきたバダップにわたしは何も言えなくなる。こ、こいつ、鬼畜だ! わたしは潤む目で彼をキッと睨み付け、起き上がった。何にも期待なんかしてないやい!
「……さて、そろそろ戻らなければ怪しまれるな」 「えっ、もう行っちゃうの?」 「ああ。勝手に出てきたんだ。長居は出来ない」 「そ、そっか……」
もっと話してたい、なんてわがままは言えないよね。わたしは唇をかみしめ、彼から目を逸らした。任務完了はいったいいつになるんだろう。もっとずっと時間がかかるのかなあ。
「何か言いたいことでもあるのか?」 「えっ?あ、いや……ううん、大丈夫」 「そうか、ならいい。王牙学園の生活に馴染めたか気がかりだったが」 「……あ、あっ、そうだ!あのね、わたし、小テストで100点とったよ!」 「ほう」 「あ……でも、実技が……武器使うの、まだ怖くて。クラスの子に怪我させたらどうしようって思って、わたし」
こんなこと言ったら、怒られるだろうか。でもわたしの本心だ。彼には知ってもらいたい。わかってもらいたい。わたしが悩んでいることの解決方法を教えて欲しい。
「授業で誰かを傷つけなきゃいけないなんて、おかしいよ……」
わたしの言葉を聞いたバダップは、考えるように一度目を伏せて、しばらくしてから言った。
「武器は何も、傷つける為だけにあるわけじゃない」 「……どういうこと?」 「軍人は守らなければならない。国民を、領土を、そして家族を。時には自分と、自分の誇りを。武器はその為にある。戦場にいる兵士は誰もが皆、何かの為に戦っている。武器は恐ろしくもあり、また優しくもある。……庶民出の君には少し重すぎる戟かもしれないが」
バダップが賢いわけを、強いわけを、わたしはなんとなく理解した。この人はいつだって自分に正直なのだ。賢くなりたいから賢くなった。強くなりたいから強くなった。自分の考えをひたむきに貫き、その道を邪魔するものは許さない。一見横暴そうに見えて、でも本当は誰よりも優しい。そしてわたしは、そんな彼に惹かれて、すきになったのだ。
「わたし、何を守ればいいかな」 「とりあえずは自分の身だな。それが出来るようになってから、自分が大切にしたいものを考えろ」 「……うん、わかった」
彼は何を守って戦うのだろう。気になったけれど、今は聞かないでいることにした。
「もう行くぞ」 「うん。ありがとうね、バダップ」 「何かあったら連絡して来い」 「盗聴機に語りかけたらいいの?」 「言い方が良くない」 「あはは」
明るく笑って見せたわたしの頬をバダップの指が撫でた。さっき地面で擦れた傷がぴりりと痛み、思わず顔をしかめる。
「痛いか?」 「ちょっとだけ。でもすぐ治るよ」 「……ゆい」 「うん?なに、」
キスに埋もれてしまった、すきだという言葉を確かめる前に、部屋の中はわたしひとりになってしまって、たまらなくずるいなあと思う。わたしも連れていってくれたらいいのに、とも考えたけれど、それではきっと足手まといになってしまうから、わたしはまた大人しくここで彼を待っているしか出来ない。そうだ、じゃあ、彼が帰ってきたら。次はわたしも連れていってもらえるように、強くならなくちゃ。唇はまだ彼を覚えているから、ひとりきりの夜は寂しくなんかない。
Mon amant est un ogre tendre.
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