そろりと白い紙を裏返し、わたしは思わず息を呑んだ。赤色の数字はわたしの成績を称えるもの。

「やっ……やったあああああああ!」

当然のことながら、教室中の全員が一斉にわたしの方を見た、だけどわたしはそんなことなんて気にせず、スキップさえしかねない足取りで席についた。
きた、きたきたきた、きたー!わたしの時代が……紺野ゆいの時代がきたああああー!ああああー!と叫びたいのをなんとか堪えつつ、嬉々とした顔つきでテスト用紙を広げる。縦棒に丸がふたつ、これは紛れもないクラストップの証。何でもない小テストでこんなに喜ぶなんてみっともないけど、にやけずにはいられない。だってここは、エリート揃いの一流学校、王牙学園なのだ。転校生としてやってきて6日目、土曜日。わたしは日々のたゆまぬ努力によってようやくここまで上り詰めた。ふふふふ、王牙学園、恐るるに足らず!

……というのはペーパーテストにおいてのみで、実技、つまり戦闘訓練でのわたしの成績は散々なものであった。
形も重さも様々な武器を持たされたところで、わたしはそれを使いたくはなかった。対人戦なんかはもってのほかで、相手にかすり傷すら与えないままギブアップしてばかりだった。だって、まず根本からおかしいのだ。どうして学校の授業で、クラスメートに怪我をさせなければいけないのか、わたしは理解したくもない。王牙学園は軍人養成学校だから仕方ないことだとは思いつつも、どうしても反政府思想だけは捨てられない。立ち向かうべき敵なんてまだあらわれてもいないのに、中学生に人殺しの道具を扱わせるなんて、やっぱり間違っている。

「君のその底意地の強い所は評価すべきだとは思うんだけどねえ」

バダップの代わりにわたしの監視役になった男子生徒は、いつもぴったりとわたしの傍について、そんなことばかり言ってきた。嘲笑うような話し方がなんだかいやで、わたしは彼の大抵の言葉を聞き流していた。

「まったく、どうして提督は君なんかを気にしていらっしゃるのやら」

提督、というのはこの王牙学園の創設者で、軍のなかでもかなり上の地位にいる人らしい。わたしをバダップに監視させ、軍人にさせるべきと言い出したのもその人だそうで、わたしはいろいろと複雑な気持ちであった。勉学面では期待にそえているかもしれないけど、実技がこんなんじゃあ、見放されちゃうんじゃないかな。そうしたらわたしを軍人に、なんて考えは改めてくれるのだろうか。嬉しいような、でもなんだか申し訳ないような、変な気分だ。

「バダップのやつも突然居なくなるし、面倒なこと押し付けられたもんだ」

…………いやなら降りたらいいのに。そう思ったけれど、わたしは何も言わなかった。
闘技場では、クラスメートが二人ずつ前に出て、武器をとりあって相手を狙っている。わたしは体育座りをして順番を待ちながら、なにもかもくだらないなあと思った。みんなどうして軍人になんかなりたいんだろう?戦争に参加するということは、誰かを殺さなければいけなくなったり、誰かに命を狙われたりすることが当たり前になるということだ。自ら死に近づくなんて、わたしはそんなこと、絶対にしたくない。

「…………バダップは」

わたしが口を開くと、隣の監視役の生徒が過敏に反応した。

「バダップはどこに行ったの?」
「知るかよ、んなこと。あいつは気に入られてるし実力もあるから、なんかの任務についてんだろ。教官たちは贔屓ばっかりさ」

任務。
心がざわめいた。任務かあ。バダップは居なくなる前の晩に、わたしが探しても絶対見つからない場所に行くって言ってた。どこかは言えない、とも。もしかして、…………戦争に行ったのかなあ。
そう考えて、サーッと血の気が引くのを感じた。どうしよう、もしそうだったら?バダップが――命の危険にさらされているとしたら?彼のことだから、死んじゃうなんてヘマはしないだろうとは思うけど、それでも不安で、とても心配だった。

「次!紺野ゆい!」

担当の教官が荒々しくわたしの名前を呼んだ。はきはきとした、だけど気持ちのこもっていない声ではい、と返事をし、わたしは立ち上がった。 「脳だけ女め」 という悪態が背後から聞こえたけれど無視した。実技の成績は彼の足元にも及ばなくとも、机上ならばわたしはもうクラスの誰にも負けないのだ。わたしより頭の悪い男の悪口になんて耳はかさない。わたしに口を出していいのはバダップだけ、…………って、あれ、わたしいつからこんなバダップ史上主義者みたいになっちゃったんだ?バダップだってもしかしたらわたしよりテストの点悪いかもしれないんだから。いや、でもバダップはやっぱり学校一の逸材と言われるだけあって頭もいいんだろうなあ。どちらにしろ彼が帰ってくるまでわたしのクラストップの座は安定しないのだ。ん、待てよ、よしんばバダップの方が頭がよくなかったとしても彼はわたしの正式な監視役だから、わたしは結局彼の言うことは聞かなくちゃならないんじゃ?――などと云々考えていたら、相手の女子生徒に簡単に足をすくわれてしまい、ほどなくして闘技場の天井が見えた。背中にずきずきと鈍い痛みを感じる。……あああ
ああ、もうやっぱり王牙学園なんかきらいだわたしは……!!




*




日曜日は、王牙学園の唯一の休みの日であった。わたしはベッドに顔からダイブして、思いきりため息をつく。今日で、やっと一週間。明日からは、もう自分の中学校に戻ってもいい。だけどわたしは決めていた。ここでバダップを待つと。

「はあ……」

寝巻きには相変わらず彼のTシャツを借りているのだけど、そろそろこれもどうかと思う。下着だって、毎日おんなじのを夜洗って温風機でサッと乾かしてはいている。仮にも女子として、こんなことはもう耐えられない。明日には監視もとけるんだし、家に服くらい取りに行ってもいいんじゃないの!と思ったのが夜10時すぎ。足音を消す術を身に付けていないわたしにとって、学校を抜け出すのは容易なことではなかったけれど、乙女のプライドにはかえられない。なるべく静かに、静かに部屋を出て、透明エレベーターに乗り込んだ。幸いこれはあまり音がしないつくりになっているようで、誰かに気づかれる気配はなかった。そしてこれからが問題だけど――既に作戦は練ってあった。校舎の裏にある門の横には、警備員たちが出入りする扉があって、そこを通るためには10桁のパスワードを入力しなければならないのだけど、この前移動教室の途中、たまたま出入りする警備員を見かけ、とっさに手の動きを覚えておいたのだ。そしてそのあとこっそりと手の動きから予想したパスワードを入力してみた結果、いとも簡単にロックは外れてくれた。我ながらあれ
は本当にすごいと思った。というわけで、誰にも見つからないよう慎重に、校舎の裏に回り込む。あたりに人影はない。絶好のチャンスだ。わたしは扉まで駆けていき、横のパネルを開いてパスワードを入力する。ロックが外れるピピ、という音を驚くほど大きく感じたが、無事に扉は開いてくれた。

滑るように扉の外へ抜け、深呼吸。一週間ぶりの、外界の空気。正確に言えば王牙学園の敷地内と同じものだけど、はりつめる感じはまったく違う。長年の束縛から解放されたような、なんとも言いがたいこの感じ。――と、こんなことに長々と感動している場合ではない。わたしの目的は家から服を取ってくることだ。任務が完了したら速やかに寮に戻らなければ。……なんて、わたしの思考回路はだいぶ軍隊化されてきているなあ、と思って、少しげんなりしながら、夜の町をひとり、走りだした。




*




「よいしょっ、と!」

あれもこれもと詰め込んだら予定よりだいぶ重くなってしまったかばんを片手に、家の鍵を閉める。お母さんが帰ってきた痕跡こそなかったものの、放置しっぱなしだった携帯電話には友達からのたくさんのメールや着信があって、わたしは思わず涙ぐんでしまった。いまは時間がないので、寮に帰ってから返事をすると決めて、わたしは来た道をまた小走りで戻りはじめた、……そのとき。

前から、人影が近づいてくる。それも―――軍人だ。まだずいぶん遠いけれど、わたしは反射的に、すぐ近くの公園の茂みに隠れた。やばい、わたし今王牙学園の制服着てるから、見つかったらすぐに敷地を勝手に出たことがバレてしまう。時計をたしかめたらまだ10時40分、明日の日付にならない限りわたしはまだ監視対象だ。

お願いだから気づかず通り過ぎて欲しいと思ったとき、背中になにかが強くぶつかってきて、思わず 「ひゃあ!」 と声を上げてしまった。てん、てん、と転がったのは白と黒がちりばめられた、……サッカーボール。

「お前どこ蹴ってんだよ!」
「わりーわりー、ミスっちまった」
「あ、すんませーん、誰かわかんないすけどそこの人、ボールとってもらえますー?」

数人の少年の声。昼間にサッカーをして見つかったらひどいことになるから、夜こうしてこっそり練習していたんだろう。わたしは近くで止まったサッカーボールに手を伸ばし、それを彼らに返そうと立ち上がりかけて、軍人が近づいてきていることを思い出した。だめ、今これを返したら、彼らはまた練習をはじめて、……軍人に見つかってしまう。まだ、返すわけにはいかない――。ぐ、とサッカーボールを腕のなかに抱き込んだら、こちらに歩いてきていた少年のひとりが首を傾げる。

「あの、ちょっと?そのボール返してくださいよ」
「だ、だめっ……」

わたしはぺたんと地面に座り込んだまま、彼の言葉を拒否する。なかなかボールを渡さないわたしを変に思ったのか、向こうの方にいた他の子たちもわたしの方へ向かってきて――、そして、その中のひとりが言った。

「なあ、おい、そいつ、軍服着てるぜ。王牙学園の……」

男の子たちが一斉にざわめき出す。こ、このままじゃ見つかっちゃう。お願い、静かにして……!! わたしの心の叫びなんて知るよしもない男の子たちはずんずんとわたしへの距離をつめ、ついには囲まれてしまった。そしてその中のひとりに腕を掴まれ、無理矢理立たされる。

「なんだあ、こいつ、女だぜ。ひょろっこいし、なんか弱そうだ」

わたしは愕然とした。男の子どころか、全員がわたしより背の高くがっしりとした、おそらく高校生だ。

「やっ、離して」
「離してじゃねーよ、何?俺らに罰でも与えんの?」
「俺たちサッカーしてたわけじゃねえよ、ただボール蹴ってただけでさあ」

それどころじゃないのに、それどころじゃ、ないのに!! 高校生のうちひとりがわたしの腕の中から強引にボールを奪い取って、それからわたしを強く突き飛ばした。 「あっ!」 どしゃっと砂の上に倒れ込んだ瞬間、頬に痛みが走る。 「い、痛ぁ……」 弱々しい声をもらしたわたしを見下ろし、高校生たちが笑う。

「ほらやっぱり弱いぜこいつ。何が王牙学園だか。威張りくさってムカつくんだよ」

ひとりはサッカーボールを指でくるくると回している。だめ、だめ、このままじゃ軍人に見つかって、わたしも彼らも罰されてしまう。

「サッカー、しちゃ、だめ!」

必死になって叫ぶわたしの胸ぐらを茶髪の高校生ががっちりと掴んで、乱暴に立たせた。わたしはふらつきながらもその高校生をきっと睨む。

「どうしてわからないの、あんたたちのために言ってるのに!」
「うるせえな、そういうのがうぜえんだよ!」

高校生の右手が上に上がり、わたしは咄嗟に目をつぶった。―――殴られる! やがてくるであろう痛みを想像し歯を食いしばった、……けれどいつまで経っても、左頬をぶたれる感覚はなかった。代わりに胸ぐらを掴む手が離れ、苦しかった息が楽になる。

「俺のものに許可なく触れるな」

冷たい声が公園にこだまし、わたしは恐る恐る目を開ける。ばたばたと倒れている高校生たちと、―――月の光できらきらと瞬く銀髪を揺らす、彼が見えた。

少女漫画のヒロインはきっとこんな気持ちなんだろう。


Un ogre est mon héros.






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