てっきり、『転校生を紹介します』みたいなお決まりの流れがあるもんだと思っていたわたしは、バダップの隣の席で痛いくらいに視線を浴び、ただただうつむいて小刻みに震えるしかできなかった。 み、みんな、わたしを見ている……!すっごく、見ている……! 濃緑色の軍服を着た集団が、言葉さえ発しないものの、物珍しそうな、好奇の色を宿した瞳で、穴のあくほどわたしを見つめていた。転校生というのは少ないものなのだろうか?目は泳ぐわ変な汗はかくわで大変ななか、隣にいるバダップにちらちらと目をやるのだけど、彼は机に頬杖をつきなにやら小さな本を読みふけっていて、わたしのことなどまるで気にもしていないようだった。ちくしょう全部あんたのせいよバダップ……!
しばらくして始業のチャイムが鳴り、学生とは違うデザインの軍服を身に纏った男が教室に入ってきた。おそらく先生だろう。わたしを見ていた生徒たちもさっと前に向き直る。わたしは自分が何か言われるのではないかと身構えたが、与えられた言葉はたったひとつであった。
「43ページを開け」
*
チャイムが鳴る。窓からは鮮やかなオレンジの光が差し込んでいた。
「ふー…………」
机にべったりと顔をつけ、わたしは深く深くため息をついた。
「……ふ、ふふ、ふふふふふ……」
やがてため息が笑い声に変わる。
「何が王牙学園よ、ぜんぜん大したことないわ……!!」
数時間前とうって変わって、わたしの胸の内は自信で満ち溢れていた。びびりまくって損をした。軍下の王牙学園、討ち取ったり!……とまではいかないけど、授業のレベルに追い付けないとか、まったくわからない、なんてことはなかった。元々自分の中学校の授業を易しく感じていたわたしにとってはちょうどいいくらいだ。まわりの子の学力も高そうで、競争心が燃えてくる。お父さん、わたし王牙学園でもやっていけるくらい勉強してたみたい……!! 誰もいない教室でひとり、 「よっしゃアアアアアアア!」 とガッツポーズを決めたら、 「愚かなものだ」 という言葉がため息まじりに飛んできた。わたしも飛び上がった。こ、こここここの声は!
「ば、ばばばばばだ、バダップいつからいたのびっくりしたじゃないかよおおおおお」 「…………」
バダップはわたしの隣の席の自分の椅子に腰掛け脚を組ながら、感情のこもっていない瞳でこちらを見上げてきた。 「お前が今日1日の授業をまとめたノートを書き上げたあたりからだな」 そんなところからかい!とわたしの心のなかでのツッコミなど知るよしもない彼は軽やかな動きで立ち上がり、わたしに背を向けて歩き出してしまう。
「あ、ちょ、どこ行くの?待って、片付けるから!」
机の上に広げていたノートと筆記用具もろもろをカバンのなかに押し込み、慌ててバダップを追いかける。朝、この学園についてから、彼は急に反応してくれなくなって、たくさんの視線を浴びながらわたしは酷い想いをしたのだ。昇降口でも教室でもひたすらに無視され続けて、わたしは彼がわたしの監視役だなんてことも忘れ、寂しくて泣きそうになってしまった。それもそのはず、この学園にはバダップしかわたしの顔見知りがいないのだ。その状況で1から10までほったらかされるなんて、たまったもんじゃない。
「待ってってば!」
廊下をすたすたと歩く彼を走って追いかけ、登校時のようにがっしりと彼の腕を捕まえた。
「掴むな鬱陶しい」 「だ、だってこうでもしなきゃあんたまたわたし放って行っちゃうじゃない……」 「……朝は仕方なくだ」
仕方、なく……? わたしはよく意味がわからなかったので、とりあえず 「今は無視したりしない?」 とだけたずねた。すると彼は黙ったまま何も言わなかったけれど、否定しないということはおそらく、無視することはしないのだろう。現に今だってこうしてわたしの隣を歩いてくれている。
「……これからどこに行くの?わたしの家に帰るの?」 「そんなわけがあるか。学生寮だ」 「え、りょ、寮?うそ、聞いてないよそんなの!」 「言ってないからな」 「うえぇなにそれ!ひどい!」
寮だなんて、そんな。着替えとか何も用意してないのに、急すぎる。
「わ、わたしもそこに入るの?」 「当然だろう」 「な……なんで?家から通うからいいでしょ!」 「その度俺に送らせる気か?図々しいにも程があるな。何様だお前は」 「いやそこまで言わなくても……!わ、わかったよ、寮入るよ」
しぶしぶそう言ったものの、やっぱりなんだか気に食わない。さっきまでの自信も一転、また不安が押し寄せてきた。まあでも、監視役の彼にとっては、わたしが近くにいた方がいろいろとやりやすいのだろう。一週間の辛抱といえど、一日めから早くもくじけてしまいそうだ。せっかく、授業の方はなんとかなりそうだったのに。
中庭に出て、しばらく歩くと、マンションのような背丈の高い建物がふたつそびえるところに着いた。どうやらここが学生寮らしいのだが、寮と呼ぶにはあまりにも豪勢すぎてわたしは言葉も出なかった。正面玄関から易々となかに入っていくバダップのあとをはらはらしながら追いかける。ま、まさかこんなところで生活するの……!?家よりよっぽどいい物件なんですけど!
「1009号室」
玄関ホールの端にあったガラス張りのエレベーターのような四角い空間に入り、取り付けられた機械に向かってバダップが言った。すると透明なエレベーターが動き出し、建物の壁に沿うようにするするとのぼりはじめた。はじめての体験にびっくりしたので、咄嗟にバダップの制服の袖をぎゅっと掴んでしまった。またやってしまったと思ったわたしが彼を見上げると案の定バダップはそんなわたしを見下ろし、そして口を開いた。さっきみたいに鬱陶しいと怒られると思い、びくりと肩をすくめたら、なんだか少し柔らかい声で、 「別に構わない」 と言われた。心臓がどくんと跳ねた。
音もなく透明エレベーターは上に上にとのぼってゆき、やがて10階で一旦停止し、今度は横へまたするすると動き出した。1009号室と書かれた金のプレートが掛かったドアの前でエレベーターは止まり、正面のガラス戸がふわりと溶けるように消えた。わたしが最新技術に呆然としている間にバダップはエレベーターから降り、どこからか出したキーホルダーのようなものをプレートにかざし、1009号室のドアを開けた。
「すご……」
よろめく脚で、部屋の中に入っていってしまったバダップに続く。ブーツを脱ぎ、短い廊下を歩いてリビングらしきところに抜けると、そこは高級ホテルの一室のような場所であった。でかいクローゼット、おなじくでかいパネルテレビ(空中に映像が映し出される現代型)、いかにも高級そうなテーブルとしなやかな脚のついた椅子。そしてクイーンサイズのベッドがひとつ。
「こ、……これ寮なの?いや寮でいいの?家賃とかとられないのこれわたし大丈夫?」
あわあわするわたしを完全にスルーし、彼は部屋の奥まで歩いてゆき、制服のジャケット――つまり軍服の上に値する衣を、するりと脱いだ。……ん……?あれ、なんでここで脱ぐの?
「……ねえ、バダップ、この部屋、既に誰かの荷物が置いてあるみたいなんだけど、……もしかして相部屋なの?」 「生憎今女子寮には空きがなくてな」
嫌な予感を全身で感じる。サーッと血の気が引いていく。いやいやいや、そんなまさか、ねえ?だ、だってわたし仮にも女の子ですよ?幼稚園のときは男子と走り回ってばかりいたけど、でも今はちゃんとれっきとした女子中学生やってるんですよ?だから、ねえ、うそ、いやいやあり得ないってば。
「ち……ちなみに、いったいどこのどなたと相部屋なんでしょう、か?」
ばさり、脱いだ服をテーブルの上に落とし、しばらくわたしをじいっと見つめたあとで、彼はいつもの、感情のない口調で言う。
「…………俺では不満か?」
お父さん助けて下さい。
Cohabitation d'ogre et moi.
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