ぶうん、幕が張られたような世界の中で鍵の回る音と人の気配がした。次第に研ぎ澄まされる神経とは反対に身体はうつ伏せのまま、ずしんと重たい。鉛に近い瞼を力ずくで持ち上げてみる。一体誰が帰って来たんだろう?ソファに頭を擦り付けながら唸った。


お母さん、お父さん、それとも敦也?


違うや。だって3人はずっと前にいくつ鍵を回してもいくら扉をくぐっても逢えない場所に逝ってしまったではないか。僕がこうやって居眠りをしながら彼等の帰りを待っていたのはもう大分前の話だ。起動中のコンピュータみたいに脳がことりと回る。1ミリの疑いも無く可能性を挙げた自分を、瞼の浮く顔の奥で笑った。そうだ、僕は多分、想像よりずっと歳を取ってるはずだ。


 じゃあ叔母さんと叔父さんかな?中学を卒業するまでお世話になった。とても優しかった、お母さん似の妹と旦那さん。子供が居なくて、僕を真摯に育てようとしてくれた。でもあの家の真ん中はどうしても居心地が悪くて、僕はいつも手をぶらぶらさせたり膝を擦り付けたりしていたと思う。こんな風に中心地で眠った事は1度も無かった。雷門の皆に出会ってから僕の手造りっぽい態度は改善されたし、世界一になった報告も敦也の次にした。けれどそれでも僕は上京を譲らなかった。


 そうだ、そうだ、忘れていた。僕は高校生になったんだ。同時に始めた1人暮らしも遊びに来てくれるイナズマジャパンの皆や同級生達のおかげで全然寂しくなかった。僕は素直に惹かれた場所の空気を吸い、地面を踏んで幸せに生きている。なんて、少し大袈裟かな。僕は確かに1人だけで、でも1人ぼっちじゃないんだ。皆が側に居てくれる。それが如何に素晴らしいことか。敦也が言う、「良かったな兄貴」って。足音がする近づいてくる。敦也が笑うから僕も笑った。ぐしり、ソファに頬を擦り付けて、思い出す。
敦也は夢だ。


 僕はもう高校生なんかじゃない。卒業した、大学生になった卒業した。それから就職して、それから、僕はどうしたっけ?寧ろ僕は今本当に眠っているのかな。鍵は本当に開いたのかな?どうしてこんなにも曖昧なんだろう。僕は確かに生きてきたのに。


 身体が重い。このままソファに沈んでしまいたい。あぁ、わかったよ。疲れたんだ、くったくたに。1人が辛くてずっと目を閉じてきた。それが眠る、夢を見るきっかけになってしまっていたのか。現実逃避。明るい外の世界でないといくら瞼の裏を見つめてもただ暗いだけだと言うのに。鍵の回る音も人の気配も敦也も、みんなみんな僕の、夢なんだね。願望切望熱望希望で実体の無い物で浮遊感がどっと僕を襲う。身体は焦れったく鉛のようで逃げられないのに皮膚の内側はびりびりと刺激されては暴れて吐きそうだ。眠たい。


眠たいよ、それから寒い。耳がずっと糸を弾いたような警報を聞いていて、喉が詰まって息が苦しい、ぞわぞわとお腹の辺りから登ってくる押し付けるような気持ち悪さ。でもそれ以上に、眠たい。凄く凄く、眠たい。考えることも途切れ途切れで、こっくりこっくり船を漕いでいるようなこれも、夢か。なら覚めるのが待ち遠しい。でも起きた僕は1人だと思うと少しだけ寂しい、かな。


「士郎」


寂しい、寂しいよ。


「士郎、士郎」


寂しい、寂しかった。


「………吹雪」


くしゃり、押し当てられた温もりにぎゅんっと意識を引っ張られて掬われた。むりやり糸を解かれたようで透き通った頭が痛む。その痛み和らげるように温もりはそこに在って、撫でてくれる。柔らかくて暖かくて少しごつごつした、いつも包み込んでくれる、掌だ。


薄らと目を開けた僕の頭から辿るように流れたそれは体温を引き摺りながら僕の頬を抱き込んだ。親指で瞼を数回撫でられて、優しい温度で接着剤が溶けたように瞼が軽くなる。開けた世界は酷く明るい。


「士郎、風邪を引くぞ」


あぁ、酷く明るい。
じわり、溶けた接着剤が塩分を巻き込んで盛り上がった。少し驚く彼の掌を掴んで上半身だけで起き上がる。視界や平行感覚が朧気な頭がだらしなく覚醒していく様を豪炎寺くんは笑って見ていた。優しい親指が零れた涙を拭ってくれる。


「おかえりなさい」


掬われた涙は彼の手を伝って見えなくなった。僕はそれに何の未練も湧かなかった。たまらず出した掠れ声に豪炎寺くんがまた笑う。


「ただいま」
「おかえり、おかえりなさい。おかえり…なさっ」


待っていたんだ。君を待っていた。待つことが苦手になった僕がわざわざこんな時間まで。待たされる事に辟易とした筈なのに、おかしいな。でも何だか今日は君を見ないと眠れない気がして。そうだ、そうやって僕は眠りについた。人を誰かを待つ目的を、はっきりと持つ事がずっと怖かった。でも君は帰ってきてくれるでしょう?って。
待っててよかった。


 冬の冷たさを外側に残すコートの内側は出来立てのデザートのようにほくほくしていた、僕に羽織らせたそれごとぎゅっと抱き締めてくれる。どうやら僕はパラレルワールドで夢を見ていた。生きている僕の裏側でずっと待ってしまう僕がいた。彼は僕の代わりに暗い世界で夢を見ていた。彼は、ずっと待ってた、僕がもう1度誰かを待つ事を。僕が今日見た夢は彼がずっと見ていた夢で、それは僕の夢だ。


僕、おかえりなさい。そしてごめんなさい。ずっと待たせたねだからおかえり。おいでなさい。


おかえりなさい。と何度もぐずる僕を包む優しい君が、同じ数だけ、ただいま。と返してくれる。遠くで音が聞こえたのは現だった。鍵が開けた音だった。先に何も無い扉が開いて生温い風だけが吹いて、涙で濡れた顔が少し冷える。じわり縁から溶け出した扉が完璧に消える頃には僕はすっかり泣き止んで、お疲れの豪炎寺くんの為に何か夜食を作ってあげよう。そこからはきっとずっと温かかい。


おかえりなさい




∴≒#*$∵

なっがいあとがき。
読まなくても大丈夫です´`


士郎ちゃんはいってきます。とかただいま。とか例え返してくれる人が居なくてもきっと言ってたんじゃないかな。でもおかえりなさいは、帰ってきてくれる人が居ないと言えなくて。おかえりなさいって士郎ちゃんにとって特別じゃないか。と思っていたのです。豪炎寺くんとは同棲してて、いってらっしゃいもおかえりなさいも言っててそれに慣れてきた頃、ほんと久しぶりに眠りながら待ってたら、ずっと隠れてた自分がこんにちはしちゃった、そんなお話です。
士郎ちゃんはとにかく待てない子じゃないかと、姿が見えてないと不安。それが大切な人であればあるほど。もう1人の士郎ちゃんは、士郎ちゃんの待ちたいや、待ってしまう気持ちだけを独立させた士郎ちゃんなので、ただ待ってた感覚しか持ってないんです。士郎ちゃんは今日それを取り戻しましたイメージで。
多分士郎ちゃんは敦也と士郎でFWとDF。みたいに、いろんな役割を分担させてると思います。そうしないとあんな生きられなかったと勝手に思ってます。ボロボロな士郎ちゃんが好きです、趣味悪いですね…ごめんなさい
豪炎寺くんと同棲して少しずつ、吹雪士郎に最後は豪炎寺士郎になって欲しいな!おわり!



20120308(!)とこは