「吹雪?」



僕が1歩近寄り袖を持つと少年は不思議そうに首を傾げた。あぁ、君は純粋なんだね。僕はすっかり汚れてしまっていろんなものが見えてしまうから、もうくたくたなんだ。そっと少年の肩に頭を預ける。酷く近い所で少年の声が聞こえた。



「吹雪、具合が悪いのか?」
「うん、ちょっと疲れちゃった」
「そうか、」



ぽんぽんと頭を撫でられる。残念、僕はぽんぽんよりくしゃりが好きなんだ。そう思うと何だか目頭が熱くなってきて、より一層少年の肩にしがみついた。ついさっき仲良く(と言ってもいいのかもわからない)なったばかりなのに優しく受け入れようとしてくれる、本当にいい子なんだ。そっと肩に触れてくる体温を感じる。ぐいっと体を持ち上げられた。



「本当にしんどそうだな。」
「次の時間休むよ、先生に言っておいてくれるかな?」
「あぁ、わかった。」



覗き込んでくる瞳に酷く縋りたくなった。こう言うのを同族意識って言うのかもしれないな。そっと手が触れ合う。ん?頭を傾ぐ僕に笑いかけながらすっと腕を引いた。 


「行こう、吹雪。連れて行ってやるよ。」
「でも、授業遅れちゃうよ」
「いいんだ、授業くらい。それより真っ白な顔してる友達のほうがずっと心配だよ。」



ほくりと胸が暖かくなるのを感じた。自然と笑みが出てしまう、それでも手を払う。



「1人で大丈夫。ごめんね。」
「そうか?」
「うん、ありがとう。」



「俺が行く。」



ぐいっと出て来た声に、体が揺れる。息が詰まった。悲しさや悔しさや憤り、全てを差し置いて駆け上がってくる拒絶反応。


「いい!」
「吹雪っ!」



ほぼ反射的に返した声が荒いものになる。それに釣られたかのような声に背中を叩かれた。来ないで!嘘つき!ばか!豪炎寺くんのばか!湧き出るように零れそうになった言葉達をぐっと噛み潰す。ぎりりと歯と歯が軋み合う音がした。僕の反応を尋常じゃないと判断した少年が僕の肩を引く。



「……吹雪」
「触るな!!」



ぐわと廊下中を波紋のように広がる声で叫んだのは豪炎寺くんだった。突進に動きを止めて吃驚した少年の顔を見て、湧き上がるものはもう既に怒りしかない。反論しようと口を開きかけた僕を遮るようにガラララと無機質な音が聞こえた。



「お前ら何やってんだ。」
「……染岡くん!」



救世主と言わんばかりに飛びつく。がっしりとした手を掴んで引っ張った。



「染岡くん!しんどい!」
「は?何言ってんだ?」
「僕、しんどいんだ!」



どうかわかって、お願い!とありったけの我が儘を込めてみる。すると、どこか疑った気配を残しながらも染岡くんは「保健室ついてってやろうか?」と言ってくれた。奇跡すら感じた僕は首が千切れそうなほど頷いて、振り向く。
こちらを見つめる目が6つ。怒りを含んだ目と不思議そうな目、そして冷め切った声によく似た目、何一ついい色をしていなかった。



チャイムがなる。今日1日で2度も救われてしまった。聞こえよがしにため息をついた豪炎寺くんは何も言わずに踵を返した。少年はハッとしてから1度僕に微笑んで教室に帰る、女はそれに慌てて着いていった。なんとも呆気なく、廊下は白い無機質な世界になる。最後に残された僕はそんな世界に溶かされるように染岡くんに引き摺られて行った。
 


∴≒#*$∵



想像よりかなり参っていたらしい僕は顔を見られた途端何日寝てないの!とか朝ご飯食べてないでしょう!とか保険医に大袈裟に騒ぎ立てられ、挙げ句染岡くんの命によって残りの授業を全て保健室で過ごすことになった。



何かあったら呼んでね。そう言って保険医がカーテンに消えた途端、ぞっと襲ってくる孤独感。狭い場所は苦手だった。いっそ眠ってしまおうと、思い切り布団を被る。
あ、制服が皺にならないだろうか。
思いついてしまったら何とかせずにはいられなくてまたのそのそと起き上がった。脱いだズボンを畳んで置いて、また布団をかけ直す。しっくりこなくて寝返りを打つ。目を瞑っては開き、寝返りを打つ。あぁ、認めよう。
僕は凄く動揺しているんだ。



豪炎寺くんが僕に隠し事をしていたこと、それに深く関わっている自称豪炎寺くんのおばさんがなんと吃驚クラスメートの母親だったこと。それを知る前に知ってしまったクラスメートのいい所。そして彼は言ってくれた、友達だって。



友達。音を乗せずに呟いてみる。何だか笑ってしまいそうだ。
僕と彼が友達なら、豪炎寺くんと僕は何だったんだろう。友達?チームメート?それよりずっと深い物だと思っていたのは、僕だけ?
大体、僕が怒ったこと自体おかしかったのかもしれない。嘘吐きだなんて、何故豪炎寺くんが僕に嘘を吐いちゃいけないって言うんだ。言ってしまえば、当たり前のことじゃないか。豪炎寺くんと僕の間にそれを咎めるほどの何かがあるか?いや、無いだろう。あればいいと思っていただけだろう。それが無かっただけのことなんだ。



触るな!頭の中でぱたんと押されたように起き上がったあの一言。あれは、何だったんだ。僕は確かにあの瞬間ほっぺたが熱くなったんだよ。今だって思い出しただけで、もう腹立つなあ。駄目だ、疲れた、飽きた、眠ろう。今度はぱたんと僕が倒れた。幾分か綺麗になった頭はまだ何の答えも出せていないことに気づかない。これからどうしたらいいのかなんて考える暇も無くあっさりと僕は夢の世界へ引きずりこまれた。 




ふぶき。
今日何度か救われたチャイムの隙間から、そう呼ばれた気がする。少しだけ意識が目覚めた。
ふぶき。
やっぱり、呼ばれている。聞いたことのある声だ。
豪炎寺、くん?
ふぶき、入っていいか?
そっと頷く、伸ばした手の向こう側でカーテンが開く、眩しい日光が辛い。



「吹雪、大丈夫か?」



ぱたんと今度落ちたのは僕の手だった。



「君を起こすのは2回目だな。」



はにかみながら音を立てないように椅子を持ってくる。すとんと腰掛けた彼と僕の距離感が遠い昔に経験した物とそっくりで弱った僕には効果は抜群だ。涙が出そうになった。



「今何時?」
「もう放課後。部活出るなら起こしてやんなきゃなって思ったんだけど無理そうだな。そんなにしんどいなら、もう帰れよ。部活は休め。」
「うん、そのつもり。」
「部活の奴らには俺から言っといてやるから。」
「え?でも、サッカー部嫌いなんじゃなかった?」
「嫌いさ、でも吹雪のほうが好き」



にかっと笑う顔がいつかの敦也と被る。いつだったかケーキに乗ってるチョコプレートをどっちが食べるかで喧嘩した時だっただろうか。結局僕が折れて敦也に譲ると、敦也は少し悔しそうにそれを見つめ、何を思ったかもう1度僕にお皿を返した。そうだ、あの時もこう笑いながら言ってくれたんだ。



「こんなもんよりにいちゃんのがすき、だから泣くなよ。」



もちろん泣きそうなのは敦也のほうで僕の目は驚きに開ききって乾燥しそうなぐらいだった。僕は差し出されたそれと敦也を何度も見直して思わず笑ってしまったのだ。そのまま決心した僕は敦也の叫びを聞きながらプレートにフォークを突き刺した。パキンと無残な音を立てて崩れ去ったプレートの半分を自分の口に放り込み、もう半分をフォークで掬う。



「はい、敦也。」
「…?」
「はんぶんこしよう。」



すると打って変わったようにキラキラ輝く瞳で大きく口を開いた敦也に僕はそっと告げた。僕も敦也のほうがずっと好きだよ。って。



「吹雪って俺と居るとすぐぼうっとする。」



そう肩を叩かれてハッとした。ご、ごめん、慌てて謝りながら起き上がる。少年はふっと笑っていいよと手を上げた。



「豪炎寺の前じゃそんな風に出来ないだろ?その分信頼されてる証拠じゃん。だから許してやる。」



確かに豪炎寺くんの前じゃ世界はずっと慌ただしい。観念したように笑うと、じゃあそろそろ帰るよ塾なんだ。と肩をすくめながら少年は立ち上がった。その動作に背中をつつかれて口からそのまま零れてしまう。



「あのさ、お母さんは?」



自分の傷を抉ったなと頭のどこかで思いながらも伸びをする少年をじっと見つめて答えを待った。



「母さん?帰ったよ。」



当たり前だろう?と首を傾げる彼の前で胸を撫で下ろす訳にはいかない。行き場の無い空気を無理矢理飲み込んでなんとか笑った。



「そっか、いや別に何でもないんだよ。ただ参観日の後の親ってどうするのかなって」



明らかに白々しさを隠せない僕をやっぱり優しく笑った。そっか、と鞄を持ち上げる。じゃあな、と手を振った少年はその時何かを思い出したかのようにはたと動きを止めた。



「そう言えば、母さん駅前のファミレス寄るってさ。不思議なんだ、あの人ファミレス嫌いなんだよ。」



今日は変なことばっかりだ。とも言いたげに参った風に笑い少年はもう1度だけ手を振って消えた。



ぽふっと布団にダイブする。酷く心底最悪に疲れ切っていた。目を瞑り寝返りを打つ。ぐちゃぐちゃな頭が更にシャッフルされそうになる暫く唸って唸ってやっと起き上がった。そっとベッドを忍び出る。誰かが運んでくれたのか鞄が置いてあった。


窓越しの遠いグランドからサッカー部の声が聞こえる。僕はいつもあの中に居るんだと実感し焦がれる。ふとユニフォームだらけの中に1つ制服を見つけた。少年だ。少年はキャプテンに何かを言って、キャプテンは汚れた手袋のまま少年の背中を叩く。遠く離れたここでも少年の乾いた笑いが聞こえて来そうだった。僕も笑う。



帰り始めた少年が駅と逆の方面に向かって走り出したのを見て、僕も準備を始めた。行き先は駅前のファミレスとカーナビをセットするかのように繰り返し頭にインプットする。鞄を持ち1度深呼吸、よし、走る。



疲れ切っていた、それでも止まるわけにはいかない。寧ろ今止まってしまうと二度と走れない気がする。疲れ切っていた、それでも人間は走れるんだと僕は学んだ。
 


∴≒#*$∵



「遅かったじゃない。」



ファミレスに入ると窓際のすぐ目立つ禁煙席に彼女は座っていた。珈琲を飲んでいる。僕は肩で息をしながら向かいに座り込んだ。



「こんな、時は、もっと、奥まった席を取るべきじゃないんですか?」



息も絶え絶えに話すのが何だか悔しくて一気に言い切り、我慢出来ずに思いっきり空気を吐き出す。くすり、僕を笑いながら女はやってきた定員と僕を見比べて言った。



「何でも好きなだけ頼んでいいわよ」



破産するまで食ってやろうか、そう思ったけれどカラフルなメニューに並ぶ数々の食べ物には何も惹かれなかったし、奢られたくなかった。何よりも水分と、ドリンクバーだけを注文する。



「欲が無いのね。」
「あなたとは違うので。」



失礼しました、と定員が下がるより早く僕達は火蓋を切った。


∴≒#*$∵

なっが………!
そめそめを無理矢理ぶっ込みました。



20110920(!)とこは