「さっきはありがとう。」
「え?俺サッカー部全員嫌いよ?」
「そう、初めまして吹雪くん。」
「でも、授業遅れちゃうよ」
「お前ら何やってんだ。」
「僕、しんどいんだ!」
「嫌いさ、でも吹雪のほうが好き」
「あなたとは違うので。」




loop.0003
表切り、居合い切り、裏切り





カツカツカツはい、ここ解いてー!誰にしようかな?……じゃあ、吹雪!吹雪??吹雪ー!ふーぶきっ!



とんとんと肩を叩かれて初めて流れていただけのBGMが僕に捧げられていたものだと気がついた。



「あっはい!」
「おーい、しっかりしろよ。今日は参観日なんだからな。」
「すいませんでした。」
「んー、先生今日は優しいから許しちゃう。あっ、いつも優しいな!」



だはっとクラスから笑いが沸き起こる、なんだか急にたくさんの人混みでもみくちゃにされているような気分になった。肩がぶつかり、鞄を引っ張られて、髪はぐしゃぐしゃ、気持ちは疲れきってくたくただ。救いである終業のチャイムが鳴ると共に、僕は廊下に飛び出した。



「吹雪、」



煮詰まった空気の教室から抜けて廊下で風に当たっていると、とんとんと肩を叩かれた。覚えのある力加減と記憶とジャストフィットするその位置にあぁーと頷く。



「さっきはありがとう。」
「いいえ、それより吹雪大丈夫か?」
「何が?」
「何が、ってお前なぁ。さっきすごくぼーっとしてただろ?俺さ、最初何で吹雪が反応しないのかわっかんなくて、耳聞こえてないのかもってヒヤヒヤしたんだかんな。」
「え?そんなに酷かった?」
「酷かったって言うか、あんなに凛々しく座っといて話聞いてないとは思わなかった。」
「え?凛々しかった!?」



ぽかんと口を開く少年にそのまま笑われる。暫くするとお腹を抱えてヒイヒイ言い出した。今度は僕がぽかんとする番だ、クラスどころか学年でも常にトップクラス(それでも鬼道くんには勝てなくて目の仇にしていると、前に噂で聞いた)のこの人がこんな笑い方をするとは思わなかった。



「吹雪って、モテるしサッカー部だしいっつも授業だらけてるから、そんなに好きじゃなかったんだけど、面白い奴だな!」
「え?…僕のこと嫌ってたの?」
「え?俺サッカー部全員嫌いよ?」



はっきり、と言うか、露骨、と言うか何だかすっごく呆気にとられたよ、僕。
こんなにもずばりとサッカー部ってだけで人を嫌うなんて、理想と予想は裏切られるって嘘じゃないんだ。いいな、こんな子と友達になりたい。 


「それで、吹雪。何があったんだ?」



1度肩をすくめてから横に並ぶ。学校独特の喧騒を流すように風が吹いた。僕が何かを言う素振りすら見せていないのに、黙って横で外を見つめて待っていてくれる。きっと話し出せば、こちらを向いて真摯に頷いて相槌を打って時々、そうだなって笑ってくれるような人なんだろう。どこか雰囲気が半田くんに似てる、気がする。何があった、か。いろいろありすぎたよ。



∴≒#*$∵



「しゅうちゃん。後ろに隠してる子誰?」



氷柱のように落ちてきた言葉に僕も豪炎寺くんも体を強ばらせた。ぎりりと血が止まる位握られた手首にはまだ跡が残っている。



「友達です。」
「オトモダチ?」



彼女の興味が僕に向いた途端、周りの空気が確かに変わった。まるでラスボスと対峙した時のようで、聞き慣れない特別なBGMまで聞こえてきそうだ。恐い。確かに、恐い。僕達は2人でしかも男なのに、冷ややかな女の声に確実に縛られている。その恐怖を感じているのは僕だけじゃないらしく、豪炎寺くんはとにかく僕を隠そうとする。それが、気持ち悪い。



「お友達なら紹介して欲しいな。」



来た、と、確かに豪炎寺くんは思ったと思う。明らかに揺れた背中にそっと額を押し付けた。ふわりと、僕を掴む腕に触れる。せっかちに刻む心臓を感じる。僕が少しすり寄るとそれは少しずつ通常のペースに戻っていった。吹雪、と呟く声が背中から聞こえる。うん、いける。



「吹雪士郎です。」



一歩踏み出す。止めようとした豪炎寺くんの手を払って、彼を抜かす。振り向いて明らかに揺れる瞳に笑いかけた。大丈夫だよ、なんて、本当は僕が言って頂たいのに。



「初めまして、吹雪士郎と言います。雷門中サッカー部で豪炎寺くんと一緒にフォワードをやっています。」



あぁ、ここはどこだろうか。本当に稲妻町かな?全然安心しないや。でも、僕はいるんだ。ここが本当の稲妻町だろうと、豪炎寺くん達の世界だろうと、僕がいるのに僕無しで先に行くなんて、許さないよ。



「そう、初めまして吹雪くん。」



そうは言ってもにっこりと闇に溶ける笑顔に負けないようにするのが必死だった。この女は誰か、誰だっていい。負けない。



「私はしゅうちゃんの彼女。」
「…………………え?」



何かの鈍器で頭を殴られたような衝撃が僕を襲う。思考回路を無理矢理せき止められたらしく回らなくなった頭が痛い。



「いい加減にしてください。」



やっと豪炎寺くんが動き出した。一瞬ふらついた体を後から飛び出して支えてくれる。彼女?そんな訳ない。けれど、女の声は疑いようが無いくらい鋭くて自信に満ち溢れている。ああ、僕を殴ったのはこの声か。肩を掴む手が痛いよ、豪炎寺くん。



「最近ハマってるメロドラマで吹雪を茶化さないでください。」



頭上を超えて飛び出て行く声についに頭が不能になった。一体何なんだって言うんだ。はっきりと意志を持って踏み出したはずの足が後退りを始めた。逃げたい、帰りたい、意味わかんない。何で僕は豪炎寺くんを振り切って前に飛び出したりしたんだろう。確かに、悔しかったのに、勝てる自信があったのに、ちゃんと言ってやりたかったのに。結局、豪炎寺くんに支えられてやっと立っている。その間も会話は飛び交い、僕を置いて話が進む。女は鼻で笑った。
僕は初めて息を忘れた。



「出る杭は打たれるってね。」



やっぱりあの子は裏切るって前に教えてあげたでしょ?しゅうちゃんたら部活ばっかりなんだからちょっとはテレビとか見て勉強しとかないと、一生結婚出来ないわよ。後ろ手に手を振りながら女が去って行く。じゃあね、吹雪くん。なんてのも聞こえたけれど、もうそんなものに返す気力はなかった。



「吹雪、すまない。」



彼女親戚のおばさんでいっつもああなんだ。何考えてるのかわからなくって。巻き込んでごめんな。あの人と関わると頭くらくらするだろ?お詫びに肉まん奢るよ、それから送る。なぁ、大丈夫か?



耳が豪炎寺くんだけを拾う。優しくて染み渡る声。少しずつ頭が働きだす、そこに呼びかけてくる声に僕は立ち上がった。豪炎寺くんを信じる。それが無理矢理抑え込んだものだとしても、今僕にはこうすることしか出来ない。



「僕、アイスがいいな」



そう笑うと、明らかに息を吐いた豪炎寺くんがくしゃり、うん、僕はこれだけがあれば、大丈夫だ。うん。約束通りアイスを奢ってもらって送ってもらって、僕は騒ぐ胸に静かに蓋をして、また明日ね。って扉を閉めた。



∴≒#*$∵ 



「やっぱりぼうっとしてる。」


呆れきった顔が眼前でひらひら振られている手の隙間から見えた。あ、ごめん。と平謝りをする。少年に焦点を合わせようと一度瞼を力いっぱい閉じ、開く。ぼやけた視界の角で、隣のクラスから人が出てきた。その2人を見た途端、僕の体はあの夜のように凍りつく。



「…………え?」
「ん?どうした、吹雪。」



小首を傾げた少年が、僕の視線を真っ直ぐ辿って振り向く。はっと息を呑む気配がした。



「母さん!?」



みちりと首の筋が軋むくらいの勢いで少年を見る。母さん、だって?何を言っているんだろうか、少年は勉強のしすぎで目が悪くなってしまったのか、そうだ、きっとそうに決まっている。だって、だって彼女は、豪炎寺くんの



「あら、2日ぶりね吹雪くん。」



豪炎寺くんのおばさんだったじゃないか?確かに、2日前までは。否、今もおばさんなのかもしれない。彼女の後ろに着いて出てきた顔面蒼白な人間と確かに僕は目が合っているのだ。アツヤのことを踏まえて言うけれど、僕に霊感はない。つまり、いま彼女の後ろに居るのは幽霊でもなんでもない、本物の豪炎寺くんだ。



「母さん、何でここに?」
「参観日に親がいちゃいけない?」
「…………吹雪、」
「豪炎寺くん、どういう事?」



4人の声が順に交錯する。気持ち悪いことこの上ない中、僕は縋るような気持ちで豪炎寺くん見ていた。豪炎寺も僕をじっと見つめ返してくれる。



「大したことじゃないのよ、」


ずぱんと僕と豪炎寺くんの視線を切るようにして肩をすくめながら女が入り込んでくる。あぁ、何で気づかなかったんだ。その両手を広げて肩を上げる動作、そっくりじゃないかこの子と。



「あなたのクラスがわからなかったから、適当に入ったクラスにこの子がいて、案内してもらったの。」 


あぁ、そう言うこと。
頭のどこかで靄が晴れていく。あまりに急激なものだからつんと鼻奥が痛い。1歩、少年に近づく。これで完璧な2対2と言うわけだ。きろりと睨む豪炎寺くんを鼻で笑ってやった。



この2人は僕と少年にそれぞれ嘘を吐いている。そこに触れずにチョークの粉より役に立たない演技力で話を繋げようと躍起になっているけれど、どうやら2人とも騙しきるのは難しいと判断して、僕より少年を取ったらしい。何でこの2人がとか、それ以前に何で嘘をつく必要があったのか、とか不可解なことはたくさんあるけれど、今僕が注目すべき点はそこじゃない。
豪炎寺くんが僕を裏切ってたってことだ。