「嘘がつけなくて。」 「………はい。好き、です。」 「人はそれを絶望と呼ぶの。」 「旦那さんは…?もう、好きじゃないんですか?」 「豪炎寺くんの意思は?」 「私には可能なのよ。」 「子供ね。ねぇ、知ってるかしら、子供の分際で大人に喧嘩を売るから、あなた今そんな顔してるのよ。」 loop.0005 貴女の周りの空気を僕が吸い込んで肺をぐるぐる回って2人の空気になるなんて、あぁ、なんて悲劇。 「しゅうちゃんのこと、好きなの」 くっ、と喉に何倍も薄められた炭酸飲料が引っかかる、我慢出来ずに咽せ込むとふふふと笑われた。彼女の発言は僕に告げたのか聞いたのかわからなくなる語尾の引きずり方をした。なんだろうな、嫌な匂いがする。つんと鼻を刺す香水のような甘くて、造られた匂い。女の発言からだ。まっすぐ投げて落とす豪炎寺くんとは似ても似つかないまるで紫煙のような話し方だと思った。うっかり吸ってしまうとあっと言う間に中から蝕まれる。 ふと思う。この女を怖がることは無いと。この女が告げてようと聞いてようと、両方だろうと大した差異はない。僕が何を返しても彼女の中で返す言葉はきっと既に定まっているのだろうから。 「あなたは、豪炎寺くんの親戚じゃないですよね」 だから僕は人生の教訓を生かす。少し身じろいだ彼女に、予想と理想は裏切られるものですよ、と告げた。最近お気に入りの言葉だった。彼女ははっと鼻で笑うと動揺して珈琲を喉に詰まらすことなど一切無く、とりあえずと言いたげに知らない振りをする。僕はそこを容赦無く責める。 「何を言ってるの?」 「あなたと豪炎寺くんが親戚な訳がない。僕は豪炎寺くんをよく知っているし、彼の家族もよく知っています。みんな聡明で真っ直ぐな人達です。それにさっき僕を捨てたくせに今更すぎるでしょう。」 「失礼な子ね。」 「嘘がつけなくて。」 きろりと睨む目を見つめ返す。やっぱり怖くない。サッカーに対する情熱の色を輝かしどこまでも走っていってしまいそうな、あの漆黒の瞳のほうがよっぽど怖い。 話し言葉すらふらつく彼女に出来るだけまっすぐな視線を返すよう心がける。睨むのではない、見つめ、見竦め、見据える。そんな瞳に耐えられような人は限られている。僕の予想が正しいのなら、彼女は明らかにこちら側だ。 「あなたみたいな子供嫌い。」 吹っ切れたらしい彼女が軽く舌打ちをした。気分が良くなった僕は笑い、それを見た彼女も笑った。一瞬だけ気色悪い朗らかな空気が流れる。1つを明らかに出来てもこの人には謎が多すぎる。油断は出来ない。 親戚じゃないなら、何故彼の傍に? 何故嘘をつく必要があった? 「男の子はね、優しいのよ。」 「え?」 「しゅうちゃんも、あなたもね」 「僕も、ですか?」 「ええ。私はそこに漬け込んであなたを傷つけ、彼を連れて消えるの。」 「何の話ですか?」 「もう1度聞くわね。あなた、しゅうちゃんのことが好きなんでしょう。」 「あの、………えっと。」 「大丈夫よ言わないから、私のためにだけど。で、どうなの?」 「………はい。好き、です。」 僕より先に話し出した彼女はまるで絵本を読んでいるかのようだった。寧ろ自分が書いたその物語を自ら演じているような、どこか現実離れをしている。甘い、肺が舌が甘い。揺らぐ空気が彼女の声を乗せる酸素が不味く甘ったるい。 「じゃあしゅうちゃんは渡さない。」 だから彼女の雰囲気がぴりっと変わり驚く。不意を突かれた、いや、おびき寄せられたと言った方が正しいか。明らかに敵対心を剥き出しだ彼女に僕はどうやら1杯盛られたようだ。彼女は白雪姫の振りをした魔女だったとでも言うのか。 「気持ちを聞かれて返答にそんなに時間のかかる人に彼はあげない。」 「あげないって、ちょっと、」 「親戚じゃないって見抜いたくせに。じゃあ一体何だと思ってたの?近所のおばさん?」 彼女の言葉に背中を叩かれたかのように背筋が伸びる。甘ったるい毒が回る。目眩がして腰が疼いた、嫌な予感がする。 「予想と理想は裏切られるんでしょう?まさか思いつかなった、なんて言わないでね。」 「そんな、まさか……」 「視野の狭い人ね。」 「でも、だって!」 「理解力も語彙力も乏しいのね。」 くっと噛みしめた歯の隙間から空気を吸った。思わず上半身が後ろに逃げる。そんな心の準備も間に合わないままに爆弾が落ちた。僕は必死で、冷静を装ったけれど負った傷は深かった。 「好きよ。」 「……豪炎寺くんがですか」 「えぇ。吃驚した?引いた?それとも頭真っ白?」 「………はい」 「人はそれを絶望と呼ぶの。」 「それは、違います。」 「違わないわ。」 「違います。」 「子供ね。ねぇ、知ってるかしら、子供の分際で大人に喧嘩を売るから、あなた今そんな顔してるのよ。」 鏡いる?いらないわよね。わかるわよね。と上から上から降り積もる言葉に体が少しずつ沈んでいく気がする。大人気ないな、と笑うことが出来なかった。言い返せなかった。好きだと言い切った彼女に、彼の片腕を掴むことを許された彼女に勝つ術を僕は持たない。 「男の子は優しいの、強いからかしらね。でも女は弱いの、必要な物を守るのが精一杯。だからあなた相手でも容赦はしないわ。」 「旦那さんは…?もう、好きじゃないんですか?」 「つくづく生意気なのね。」 「好きじゃ、ないんですね」 カチャンッ、女がコーヒーカップを叩きつけた音に俯いていた顔を上げた。驚く、あくまでも見下すように話し続けた女がここにきて初めて、目を見開いたのだ。 「好きじゃない訳ないじゃない…!」 それは、悲痛な叫びだったと思う。 実際は掠れた震える声で、弱々しく呟かれたものだったけれど、僕にはざくざくと豪炎寺くんへの告白より太くて鋭い何かが刺さったのだ。 ならどうして、と聞くほど野暮じゃない。寂しい、ただそれだけか。いま目の前で肩を震わし憎々しく僕を睨む彼女は本当に、こんな僕を叩き潰さなきゃならないほど弱いのだ。だからこそ、彼女にはもう恐怖を感じない。 寂しさや絶望、そんな世界で見る彼の輝きの強さと安心感、僕は全て彼女よりも知っている。振り向いてもらえない辛さと、それでも募る息苦しさすら焦がれる自分が全く理解出来なくて、あぁ、辛いんだ。優しい彼は手を差し出さずには居られなかったんだろう。 狡い、僕だってそうだったのに。 どこか自棄に笑う、僕が通り過ぎた所でいつまでも立ち往生している彼女に最早挑戦的な態度を取る気にはならなかった。ただ、笑うしかない。どうしてこうなってしまったのか。僕と彼女の違いは何だったのか。性別とか歳とかじゃなくて、どうして豪炎寺くんには彼女だったのか。 僕には背中を押しといて、彼女には手を引き留まらせるなんて、彼らしくない。 やっぱり彼女は間違っている。そして多分、彼も。 「あなたような一般的な世界でならきっと私はちぐはぐで立っているのがやっとの案山子みたいに見えるかもね。あなたの世界だけじゃないわ。誰から見ても、私から見ても、もうぐちゃぐちゃなの。」 「僕だってそうでした。」 「大人なのね。」 「あの、さっきは生意気言ってすいませんでした。」 ぺこりと頭を下げる。申し訳無い気はあまりしなかったが無礼だったのは確かだろう。ふふっと笑われて顔を上げる。 「やっぱり子供なのね。悔しい?」 「はい。」 「私達ライバルだね。」 「そうでしょうか、」 ライバルだろうか。僕に勝ち目はあるだろうか。豪炎寺くんは彼女の手を引いたのに。 「夫が1番好きよ。でも私にはしゅうちゃんが必要なの。いつか1番が変わるんじゃないかって気すらしているくらい。夫がは今まで私の生活にあまり関与して来なかったけどそれでも私は生きてきたわ。でも、今はどうかしら、しゅうちゃん無しでは生きていける気がしないの。」 「もし、豪炎寺くんが1番になったら、どうするつもりなんですか?」 じわりと浮かび上がる焦燥感、腰が痛い程疼きだした。珈琲を一口飲んでちらりと彼女は笑う。魔女のように。。 「ライバルだから教えてあげるけど、私言ったよね。あなたを傷つけて彼を連れて消えるって。」 「豪炎寺くんが着いていくわけがないです。」 「それは君の理想。」 「あなたの話も理想だ。」 「何故?」 「だってめちゃくちゃじゃないか!」 「これもさっき言ったけれど、あなた視野が狭いのね。」 こくりと珈琲を飲み干す。カチャンと置かれたカップがそろそろタイムアップを告げていた。どきどきと逸る鼓動が気持ち悪い。僕は必死に見てるのに、一体彼女は何を見て生きていると言うのか。 「あなたにはめちゃくちゃに見ても私には綺麗に整備された道なの。」 「豪炎寺くんの意思は?」 「尊重するわよ。」 「嘘だ、不可能だ。」 「不可能に思えるのは君が子供だからだわ。」 「大人には可能なんですか」 「私には可能なのよ。」 さぁ、もう帰りましょう。 伝票を持ち立ち上がった彼女の後ろに着いていく。初めて見た時よりずっと大きく見えた。ドリンクバーは自分で払った。 「吹雪くん。」 ファミレスの前で呼び止められる。あどけなく笑うこの女が弱いだって?まさか、笑わせないでよ。 「これは歳関係なく女の勘ってやつだけど、」 ここに入る前とは打って変わるような高く弾む声色に自分が上手く利用されたことを知る。僕達の空気とは正反対の爽やかな風が長年伸ばされ丁寧巻かれた髪を揺らした。彼女が今まで一番大きく笑う。 「Xデーも近いと思う。そんな気がするの。だから、今のうちにたくさん目に焼け付けとくといいわ。」 じゃあね。踵を返して歩きだした細くてくびれのある体を見つめる。豪炎寺くんのほうが大きいんだろうな。そんな小さいはずの体がどんどん離れて米粒みたいになっても、僕にとっては莫大に見える。まだあの紫煙に包まれたままだ。甘ったるい。 ∴≒#*$∵ ファミレス戦争編でした。ふぶちゃんの完敗wwところでこの連載1話1話が長すぎませんかww それよか記念すべき5話!笑 私5話以上話進めた事がなくて…! 感動半面受験ェ 20111001(!)とこは → |