「豪炎寺くん、」
「幸せそうな顔しないでよ。」
「我が儘を言うな。」
「俺は吹雪が大切なんだ。」
「あぁ、何でも言ってくれ。」
「僕全部知ってるんだからね、」
「豪炎寺くんなんて行っちゃえ」
「いますぐ、行きます。」



loop.0007
A B C D、Xデー



雨でぼやけた世界の中でも吹雪だけははっきりと見えた。片膝を付き、片手と視線で俺を捕まえて、時間さえも止める。泣いているのか、我慢しているのか吹雪の震える唇がやけに庇護欲を煽った。



雨が酷い。既に頭からプールに飛び込んだくらい濡れていた。吹雪を移動させなければと頭の隅で誰かが叫ぶ。それが誤魔化しであることに、既に俺は気がついている。風邪を言い訳に話を有耶無耶にするのが1番だとわかっている。それでも我が儘な自分が、人参を吊された馬のようにはしゃぎだす。
吹雪に、もう1度言って欲しい、と。
繋がった手を、引いた。
 


プルルルルルル、雨が地面を叩く音すら耳の奥底に引っ込んでいたと言うのに、突如鳴り響く人工電子音が世界を割る。あぁ、俺は何て酷い裏切りをしようとしていたのか。するりと握力が抜けた手から器用に抜け出して吹雪が立ち上がった。
鼻の奥が痛いような罪悪感。雨の世界が帰って来て、また時間が動き出す。そうだ、吹雪。俺は行かないといけないんだ。



「豪炎寺くん、」
「すまない、吹雪。」



縋るような声にまた胸を刺された。鳴り止まない携帯をポケットの上から抑える。あの人はこうなることを予測していたのだろうか、前にも何度か聞かれたことがあった。
吹雪の事が好きなのか。



当たり前のように好きだった。吹雪の事を考えると心臓辺りがほくほくし、そこから流れ出る血液も温かい。その温もりをもし隣に吹雪が居てくれて与える事が出来たとしたら、こんな幸せなことは無いのだろう。
そこまで考えて高鳴る胸を今にも泣きそうな彼女に叩かれた。 


「幸せそうな顔しないでよ。」



母親を失ってもいいの?
長く垂れた髪の隙間から漏れ出る震えた音を、静かに飲み込み、首を傾げる。何が貴女をそうさせるのか全くわからない。吹雪は夕香と同じなのだ。それ以前に彼は男でもある。何故?言ってしまえば貴女と吹雪は何の関係も無いのに。それでもそっと頷き謝る。
俺だけはこの人を傷つけてはいけない。



「吹雪の事は特別だし大切に思っている。でも、その気持ちには答えられない。」 


それに俺は吹雪が思うような恋人らしい事を吹雪に対してしたいと思わない。俺とあの人がした行為を同じように吹雪に出来るかと聞かれたら地球がひっくり返っても出来ない。
吹雪は夕香と同じ唯一無二の大切な存在。ただ、それだけなんだ。



人それぞれに恋人や親友と言うポジションがあるように、俺にはきっと夕香と吹雪と言う特別枠があって、恋人枠に今座っているのはあの人。夕香が永遠に妹なのと同じように、吹雪は吹雪と言う場所に治まり続けるのだ。息をついて覚悟を決める。頭の整頓は終わった。



俯いている吹雪のいつもふわふわと言うことを聞かない髪は今はしなりと元気が無い。携帯が鳴ったり止んだりを繰り返していた。もう、これ以上ここにはいれない。



「吹雪部室に行こう。風邪を引く。」
「嫌だよ、君一人で行きなよ。」
「我が儘を言うな。」
「我が儘?今僕振られたんだよ。君と一緒に居たくないんだ。」



じくりと体が芯から冷えてきた。吹雪の言う事は最もだ。しかし普段より感情的な吹雪をこのまま放って行ってしまうといつまでも雨の中に居そうで怖かった。何度でも言う、



「俺は吹雪が大切なんだ。」
「うるさいよ!」



直接攻撃された訳でも無いのに、殴られたような痛みが身体を走る。俺って何なんだろうか。自分から腕を離したくせに、吹雪は吹雪の枠あるから、なんて。甘えきっている。吹雪はそこから降りる事も出来るのに。吹雪を振ると言うことは、そう言うことなのに。吹雪は降りる準備を始めたのだ。



「豪炎寺くん、行くんだね?」
「………」
「でも、最後で良いから聞いてくれる?言うだけ言ってみてもいいかな?」
「あぁ、何でも言ってくれ。」
「振られたのにこんな事言うなんておかしい、そんなの知ってる。でも…!……行かないで、もう会えないなんて嫌だよ」
「…吹雪、……何の、話だ?」
「僕全部知ってるんだからね、」



あぁと雨に押されるように頷く。やはり吹雪は全てを察していたのか、あの人と俺の固く握られ酷く穢れた腕を見てしまったのか。それは俺にとっては最後通告みたいなものだ。最早、汚い俺には吹雪に触れる資格すら無いように思えた。 


「知った上で告白したんだよ。」
「……………」
「きっと1人じゃ出来なかった。でも染岡くんと約束したんだ!…かなら」
「良かったじゃないか。」



ひくりと身体のどこが反応する。そういえば今日最後に見た吹雪は染岡と一緒じゃなかったか。むずむずと掻き毟りたくなるような苛立ちが頭を出し始める。やめろ、今の俺には最早そんな資格は無いのだ。



「信頼出来る奴が居てよかったな。」
「え?……豪炎寺くん違う…」
「染岡は良い奴だよ。」
「…!…そんなこと知ってる!」



きん、と地面と水平に声が飛んできた。さっき、何でも言ってくれって言ったよね?そう尋ねられて頷くと吹雪はピストルの音を待つ陸上選手のような顔をする。



「染岡くんはこんな僕を好きになってくれた、本当に良い人だよ。だから僕は言えたんだ。伝えなければ駄目だって染岡くんが教えてくれた。背中を押してくれた。諦めちゃ駄目だって、だから」
「じゃあ、染岡と付き合えば良い!」



いくら頭がぐちゃぐちゃだったとは言え、そう口から滑り落ちた言葉を俺は一生後悔する。吹雪の伝えたい事を、気持ちを踏みにじったのだ。醜い話じゃないか、我が儘は誰だ。何故、ここまで自分に負ける。何が俺を捕らえていると言うんだ。



酷く殴り飛ばしたい自分をパンっと切れの良い音と視界に飛ぶ水飛沫で大きく揺れた視界の中に涙ぐむ吹雪が叩いた。



「豪炎寺くんなんて行っちゃえ」
「…………っ」
「て、言えたらいいのに!」
「ふぶき、………俺、」
「思えたら、楽なのに!」
「ごめん吹雪、ごめん。」
「行かないでよ!……豪炎寺くん行かないで……っ!」
「ごめん。」
「わかってるだろ!あの人はもう誰かの奥さんなんだよ?」「それでも、ごめん。」
「……………っ!」



目を見開き、気付いたようにぎゅうと唇を噛んだ。雨に濡れる肩が小刻みに震えている。悔しそうに、息苦しそうに、目を瞑った。吹雪が、そうした。



「バカじゃ、ないの……」「……………」
「こんな土砂降りの中!気紛れで呼ばれてるって!わかってるくせにっ!!ずぶ濡れになって走っていったところでっ!笑われて!馬鹿ねってぇ!言われるだけでぇ!それでも行くのかよぉ!そんなにあの女が好きなのかよ!」



そうだ。今は土砂降りで、俺達は既にずぶ濡れで、吹雪が叫ぶ度にたくさんの水滴が飛び散り、真っ白な息が吐き出された。すぐ雨に掻き消されるそれは俺達の体温が高く気温が低いことを明らかにする。



「ふぶ「豪炎寺くんのばかぁあ!」



雷がどこかに落ちた。どこかは知らない、近くかはたまた遠くか、知らない。わからない。わからないよ、吹雪。



ズシャと吹雪が膝を地面に叩き込む音を聞いて慌てて抱き留めた。支えた肩が熱く震え、息苦しそうな呼吸を繰り返している。くそっ、と舌打ちしたところでどうにもならない。吹雪をこんな風にしてしまったのは紛れもない俺なんだ。



吹雪を抱きかかえ部室に転がり込む、ベンチに寝かせジャージとユニフォームを脱がせ部室に置いてあるタオルで体を拭くと俺のロッカーに置きっぱなしにしてあった替えのジャージを着せた。後はありったけのタオルで吹雪を包む。こつんと額で熱を計ってみたが、全くわからない。
震える手で携帯を見ると不在着信12件新着メール5件を示すディスプレイと目が合う。どうしようか迷っているうちにまた携帯が震えだした。 


「はい、もしもし」
『しゅうちゃん?』
「はい。」
『どうして電話出てくれなかったの』
「すいません」
『だめ、許さない。今すぐ来て。』
「今は、ちょっと」
『しゅうちゃん。お願い。』
「でも、」
『お願いしゅうちゃん。私しゅうちゃんがいないとだめなの、もう、だめっ……なのぉ…』



距離にして1キロメートル弱。物質的には携帯電話2つ分離れた先で嗚咽が聞こえる。息を乱し自分を求めている人がいる。俺はこの人を裏切れない。
けれど手を伸ばせば届く距離に、自分のために叫んで、倒れて悔しそうに唇を噛み締めて苦しんでくれた人がいるのだ。



目を瞑り、想いを馳せた。
ディスプレイと吹雪を見比べ
息を一つ吐いた。
耳に携帯を押し当てる。



「         」






∴≒#*$∵


この連載を始めようと思って1番最初に書いたシーンがここでした、やっと帰ってきたよ!



20111031(!)とこは