「あ、そうなんだ。仕事の関係で?」
「ああ。連絡先はぜんぶ一新した。これが私の新しい番号だ」

 病院の外は、暑かった。真っ青な空を背景に、白い病院はまるで箱のようにそびえている。ピピ、とクラピカの番号を登録したわたしの携帯が鳴る。待ちくたびれているらしいキルアの視線がわたしを急かす。わたしはクラピカ、レオリオとゴンと病院の前で別れた。キルアと帰る場所が同じなのは、部屋をシェアしているからだった。
 世界の彩度は高い。ふとあの鉄の部屋の鉛色が意識に浮かんできてぞっとする。忘れたい。忘れるべきだ。ゴンもキルアも、私に監禁されていた時のことを聞いたりしなかった。何か分かった? と私から尋ねても、やんわりとした笑みで首を振ってかわされてしまう。医師にも、混乱する可能性があるから無理に思い出さそうとしないようにと釘を刺されている。調査は断念された。事件が載った新聞は今頃、どこの家庭でもゴミに出されているだろう。そうして、風化していく。忘れていく。忘れられていく。私に、違和感だけを抱かせて。
 熱気を放っているアスファルトを歩く。暑いな、とキルアがぼやいた。
 暑いね、わたしもそう言って項垂れる。湿布をしている分、そこが蒸れてきて余計に暑く感じられた。二人でダラダラと駅までの道を歩いていると、向こうに自動販売機を見つけてわたしたちは軽く沸き上がった。

「ねぇ、ちょっとわたし、走って買ってくる!」
「はぁ? 病み上がりで、こんなくそ暑いのに走る気かよ」
「リハビリリハビリ。ちょっと荷物もってて」

 呆れているキルアに携帯と鞄を押しつけて、わたしはぐっと足に力を込めて走り出した。ひさしぶりに使った筋肉がぐうっと伸びる感覚が楽しい。夏の風が汗ばんだ髪の毛をかき分けて流れていく。道路の向こうの入道雲と自動販売機が近づいてくる。
 自動販売機の前で何を買おうか迷いながら、ポケットに手を突っ込んだ。
 わたしはサイダーで……、キルアもサイダーでいいかな。
 ポケットから出した小銭を挿入しようとしたら、汗で滑った硬貨が指先から逃げて、アスファルトに落ちた。
 100ジェニー硬貨が跳ねる音。
 わたしは、その音に吸い込まれる。

 ――……お前もあの野郎も可哀想なやつだな……

 あの男の声……、可哀想? なぜ? あの野郎……?
 続け様に手の中からこぼれ落ちた無数の硬貨が次々と騒音を響かせ、私の耳の奥を占領しているのは蝉時雨だけだった。耳の奥で蘇った記憶はいつの間にか隠れてしまった。
 唐突とに復活した記憶の断片に戸惑いながら、硬貨を拾い集める。なにやってんだよー、と遠くの方でキルアが笑った。
 焼け付くような日差しが戒めのよう……。思い出せと責められているような、気がする……。
 太陽。
 月――
 ぞっと鳥肌がたった体を反射的に抱こうとして、私の手からペットボトルが落ちた。慌ててそれを拾うとキルアが嫌な顔して「それオレによこすなよ」と先制される。仕方無く、私は落ちた方のペットボトルの蓋を捻った。もちろん捻った後、それをキルアに向けた。勢い良く吹き出した炭酸水に、キルアが「おい!」と叫ぶ。私は笑った。さっきの記憶をさっさと消してしまいたかった。すべては陽炎だ、まやかしだ。
 飲み終えたサイダーのペットボトルが二つ、宙を舞う。水滴が陽光を乱反射させた後、ペットボトルはからん、と軽やかに公園のゴミ箱に収まった。バスを待つ間、私は静かに考えていた。キルアはベンチで目を瞑っている。
 何ひとつ知らないまま、この夏を終えていいんだろうか。
 あれは、私の味わった恐怖は、地方新聞の隅に載せられたぐらいで忘却されてしまうものなんだろうか。
 ただ単に、私が知らない何かがあるなら知りたいと思っただけ。記憶を埋めたかった。ゴンとキルアは多分、教えてくれない。私が混乱するのを避けたいみたいだから。クラピカなら……。教えてくれるかな。
 携帯のアドレス帳をスクロールする。ない。……ない。私は不意を突かれた気持ちで、唖然とし、馬鹿なミスをする自分のことを呪った。あー、もー。しょうがない……。

「何考えてんの」
「いや、別に?」
「……思い出してたんだろ?」

 言葉に詰まった私にキルアは無表情に告げる、「忘れろよ、はやく」と。分かってる、と返す。夜飯、何食う、と言いながらバスに乗り込むキルアの後に続く。退院祝いだし高級牛のハンバーグ食いたい、と言うキルアに、それはキルアの好物でしょ、と呆れながら私は笑う。

鉛色と芙蓉




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