ひょっとしろ運命 | ナノ
 
「おはようございますー」
「おはよう。ごめんね小町さん、遅くまで残ってもらっちゃってさ」
「いえ。ぜんぜん、大丈夫ですよ。私も稼がないといけないですし…むしろ助かります」

店長に聞いていたとおりきっちり一時間遅れて出勤してきた伊藤さんに挨拶し、残った仕事を片付ける。といってもここ一帯は学生とお年寄りが多いので、朝と夕方が少し混雑するくらいでこの時間はさして忙しくなかった。

「ああ、ところでさ」

深夜は他のシフトと比べて時給がちょっとだけ良い。最近はゼミの発表で使う資料を揃えたり壊れたノートパソコンを修理に出したりと何かと立て込んでいたので、少しでも働いた分だけお金になるなら有り難かった。
そりゃあ私だっていくら干からびても生物学上は女であるので、一人で歩く夜道に若干の不安がないわけではないけど……これも生きるためだもの。そうそう甘えたことばかり言ってはいられないのだ。

「入り口のところで待ってた背の高い男の子って、小町さんの彼氏?」
「はぇっ」

あまりにも身に覚えがなさすぎて、間の抜けた声が出てしまった。
背の高い男の子、と聞いて、正直な話思い浮かべた人物が一人だけいる。先週ひょんなことから連絡先を交換して以来、寂しいひとり暮らしの私を気遣ってかしばしばラインを送ってくれる心優しい歳下の八百屋さん。夢ノ咲の一年生で、バスケ部で、可愛いキャラクターもののスタンプをたくさん持ってる高峯翠くん。(しかし、まあ)
ありえないでしょ、と首を横に振った。
お知り合いになって一週間。まだたったの一週間だ。そのあいだ彼がお客さんとしてうちのコンビニにやって来ることも、私が彼の八百屋に買い物に出かけることもなかった。そうしなければ私たちは、お互いわざわざ会いに行ったりするほどの間柄ではない。彼氏だなんてそんな、恐れ多いにもほどがある。

(あんまりこの辺溜まり場にされると、困っちゃうんだけどなぁ)

時々、お店の前にたむろしてお酒を飲んだりしている大学生の集団を見かけたことがあった。今回も十中八九そういうオチだろう。
偏見だ、自意識過剰だとは重々理解しつつも、柄の悪い男の子たちの前を通って家に帰るのはやっぱり少し気が重い。はぁと小さくため息をつきながら、タイムカードを押した。



☆ミ



次のシフトまで二日あいだが空くので、忘れずに制服を鞄へ詰めて店を出る。あれからなんだかんだ店長と話し込んでしまったせいで、すっかり遅くなってしまった。
(さすがにもう帰ったかな)恐るおそる、ドア越しに店の外を覗き込んだ。

「…えっ、」

結論から言えば、伊藤さんの話していた「背の高い男の子」はまだそこにいた。
――たったひとりで、俯きがちにスマートフォンをいじっている、茶色っぽいふわふわ頭。

「たっ、か、みね、くん、!」

自動ドアのガラスを突き破りそうな勢いで飛び出して、戸惑いながら名前を呼ぶ。すると彼がぱっと顔を上げ、へら、とゆるく口元を綻ばせた。

「お疲れさまです」

ぱーん、と頭のどこかが弾ける。肩が凝ったなあとか足が痛いなあとか、ほんのさっきまで考えていたのがまるで嘘みたいにどこかへ飛んでいって、その笑顔にときめくよりもまず抱えきれない「なんで」や「どうして」が足りない脳味噌からたくさん溢れ落ちた。
そんな私の心中を知ってか知らずか、高峯くんは言葉を続ける。

「たまたま買い物に来る用事があったんで。ついでに」

ちょっと、待ってみました。
なるほど、ついでに。そっか、そっか。そりゃそうだよね。……。

「ご、ごめんなさい!そうと分かってたら、もうちょっと、早くに出てきたんですけど」
「いや!…全然、全然、大丈夫です。おれが勝手に待ってただけだし」

退勤から30分も経っているのにラインの既読すら付けない失礼な私を慮って、ついでとは言え、彼はわざわざこうして待っていてくれたのだ。申し訳なさすぎて言葉もない。
慌てて頭を下げるこちらの勢いに引き摺られたのか、なぜか高峯くんまでちょっとテンパっている。顔の前で何度も両手をぶんぶん振っているのがなんだかおかしかった。笑っている場合ではない、と、そう思えば思うほど。

「ふふっ、ふ、ふふふ」
「…はは、ははは」

視線が重なった拍子に、ついに声が出てしまった。それにつられて高峯くんも笑った。ほっぺがちょっと赤くなって、目尻がふにゃふにゃっと垂れ下がるのが可愛かった。

「家まで送ります」

――まいったな。
実際、まったく予想だにしない申し出、というわけではなかった。このまま「じゃあさようなら」みたいな雰囲気でもなかったし、なんとなく、彼は誰にでも分け隔てなく気を遣ってくれる親切なイケメンなんだろうとも思っていた。思ってはいたけれども。
かっこいい男の子にこんなふうに優しくされたら、誰だって舞い上がってしまう。もしかして私のこと……なんて身の程知らずな期待とまではいかなくともこっちは勝手にどきどきしてしまうのだから、恋愛経験に乏しい自分が少し恨めしい。

「あ、ありがとうごじゃいます」

本当はもっと歳上らしく、何でもないような顔をしていたかったのに。現実はお礼もまともに言えないこの有様だ。ごじゃいますってなに。残念すぎる。
スタイルがいいとシンプルな服装でも似合うんだなあ。高峯くんの頭のてっぺんからつま先までをまじまじと眺めながら、自分の、完全にバイトのためだけにコーディネートされた動きやすさ重視の格好を思い出して死にたくなった。

「小町さんの大学って、学食が美味しいって評判のとこなんですね」
「そ、そうみたいですね。近所の中学生とか主婦の人たちとか、たまに食べに来てます」
「へえ」

並んで歩くのに気後れしてしまい、会話しながらさりげなく距離を取る。けれどそのたびに彼が歩調を合わせてくれるので、結局私は高峯くんの隣に収まったままだ。

「小町さんは、何が好きですか?」
「私は……一館、あ、外部の人は使えない方なんですけど、そこのオムライスが好きで。お昼に結構よく食べます」
「なるほど」
「二館はハヤシライスがおすすめです!」

素直に答えたあと、学生しか食べられないメニューの話をこの場でするのもなんだなと思いそうつけ足す。けれども正直なところ、縮まらない0.5メートルにずっとそわそわしているせいで自分が今何を話しているのかはあんまりよく分からなかった。
たどたどしく話す私を急かすでもなく相槌を打っていた高峯くんは、少しだけ考える様な顔をして、それからにへらと笑う。

「それは、食べに行かないとですね」

別に私と一緒に、って意味じゃないのに。
よく笑うひとだなぁ。こっちは家に帰るまで、心臓がもちそうにない。 
 
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