彼方 | ナノ
 
雨が降っている。

「いきなり天気崩れちゃったね」
「朝はまだ降ってなかったですからね。…あ、先輩、次この問題」

あの夜の約束以来、放課後は図書室で窓野先輩と勉強するのがすっかり日課になっていた。
彼女の中の俺は「赤点だらけでちょっと進級が危ういかもしれない後輩」という設定のため、適当なタイミングで教科書を指し示しアドバイスを貰う。順を追って丁寧に話してくれる先輩の説明は分かりやすかった。苦し紛れの嘘から始まったことではあったけど、これ、今回本当に点数上がるかもしれない。

「高峯くん傘持ってきた?」
「ないです」
「うわ悲惨」
「先輩こそ」
「私は置き傘あるから平気だもん」

静かな部屋の中に、二人の話し声と窓を叩く雨粒の音だけが響く。外を確認するまでもなく、相当な土砂降りであることは明らかだった。
天候のせいか、今日は図書室に他の人の気配がない。つまり俺と窓野先輩二人っきりだ。だから、雨が止むまで帰れないというのならそれはそれで良かった。

「次の問題解いたら、今日はそろそろ帰ろっか」

まだ一緒にいたいです。
素直に口に出せたらどれだけ楽だろう。



☆ミ



「なんかさっきより酷くなってる気が」

視界を覆い尽くさんばかりの雨模様を目の前に、昇降口で立ち尽くす。せめてもう少し穏やかなら走って帰る気にもなったかもしれないが、この様子じゃ明日着ていく制服が駄目になりそうだ。

「先輩、傘入れてください」
「ええ……やだ」
「でないと風邪引いて死にます」
「なにその脅し文句!」

けらけら笑いながら、それでもお気に入りらしい花柄の傘をこっちに差し出してくる。なんだかんだ言って、窓野先輩も他人の世話を焼くのが好きな人だ。
背丈のある俺が傘を持って、先輩が濡れないように肩を引き寄せる。見るからに女性物のそれは二人で入るには少し小さくて、身を寄せ合うと彼女の旋毛がちょうど俺の顎の下あたりに来た。

「そういえば」

ぽつり、とこぼれた呟きが、冷えたアスファルトの上に影を落とす。うるさいぐらいの雨音が、一瞬、聞こえなくなったのかと思うくらい。

「千秋くん、大変だったね」

雨、風邪。そんなキーワードでふと記憶の隅から引っ張り出されたのは、この人といるとき一番思い出したくないうちの隊長のこと。
少し前、流星隊のイベント準備中に守沢先輩が倒れたことがあった。ただでさえ何でもかんでも背負い込むたちなのに、一人で突っ走って疲労が溜まっていたところへとどめの雨。あれだけずぶ濡れになったらそりゃあ風邪も引くだろう。
あの時は彼女――現在流星隊の『プロデューサー』を引き受けてくれている転校生の先輩の協力のおかげで、守沢先輩は復活し、イベントも無事に成功させることが出来た。大事には至らなかったので窓野先輩の耳には入らない話だろうと思っていたのだが。

「心配で保健室まで様子見に行ったら、びっくりしちゃったよ」

多分彼女は知っているのだ。その時、そこで起きていたこと、全部。

「……本当に、いるんだ。女の子」

守沢先輩のすることに他意はない。それは先輩も俺も、よく分かっている。
だから「たまたま」弱っていた彼が「たまたま」その場にいた彼女に甘えてしまったのも、お礼の代わりに過度なスキンシップを図ろうとしたのも、ほとんど事故みたいなものだった。
窓野先輩にとっては、本当に不幸な事故だけど。

「『プロデューサー』ですよ。お世話にはなってるけど、別に彼女が特別ってわけじゃないですから」

だんだんと口調が弱々しくなっていったのを見かねて、ついフォローするようなことを言ってしまった。俺じゃない男のせいなんかで傷付いている先輩のことを、俺はどうにも放っておけない。

「分かってるよ。ただ」

結局こういうのは、先に好きになってしまった時点で負けているのだ。

「千秋くんの『アイドル』の世界に、私はいられないんだなーって思ったら、ちょっと寂しくなっちゃっただけ」

アイドル科の生徒は、ほとんどが卒業後も芸能界の道を歩み続ける。彼もそのつもりのはずだ。でもそうなったら最後、窓野先輩と守沢先輩の世界はきっと二度と交わらない。
隊長は自分の目指すものに向かってひたすらまっすぐになれる人だ。彼女だって、そういう守沢先輩のことを好きになったんだと思う。
だからこそ、気付いてしまったんじゃないだろうか。前だけを見据えて走り続ける彼が、決して自分の方を振り向かないこと。

「今なら、誰も見てませんよ」
「……高峯くんがいるじゃん」
「こうしてれば見えません」

少し力を入れさえすれば、呆気ないほど簡単に小さな身体は俺の腕の中。

「だから、泣くのはおれの前だけにしてください」

雨とは違う温かな滴が、彼女の頬に落ちた。 
 
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