彼方 | ナノ
 
「あー、高峯くんだー」

視線がぶつかって暫く、窓野先輩はこぼれそうなくらい大きな目を見開いた後、ふにゃふにゃと笑った。彼女の着ているTシャツには幼稚園児が落書きしたみたいなよく分からないねこの模様が書いてあって、それに対して俺も笑った。

「……どーも」

アイドル科だって学生である以上、授業もあれば試験もある。ということでここ最近はテスト期間のため部活は休みだ。
念のため弁明しておくと俺がちょうど無くなったノートやらシャーペンの芯やらを買い足しに本屋へ来たのは本当にたまたまで、そこで窓野先輩と鉢合わせしたのもただただラッキーな偶然に過ぎない。――この時間まで開いている店が商店街にないのに強行して自転車で隣町まで来たのは、先輩の家がここから程近いことと全く無関係ではないけど。

「まさか本当に居るとは」
「え?」
「なんでもないです」

彼女が立っていたのは店の角、参考書の棚の前だった。
俺に聞いたって何の解決にもならないだろうに、これがいいかあっちがいいかとくるくる舌を回す先輩へ適当な相槌を返す。風呂を済ませた後なのか、少し湿った髪から甘い匂いがした。

「よし決めた!お会計してくるからちょっと待ってて」

待ってて、だなんて、はなからそのつもりだったのに。つまり少なくとも窓野先輩の中の俺は顔見知り以上の関係であるのだろう。たったそれだけの事実に、柄にもなく舞い上がってしまった。
アルバイトのレジ店員に軽く頭を下げた後、選んだ参考書を抱えた彼女がこちらへ駆けてくる。その瞬間、自分の顔がすっかり緩みきっていることを思い出し、慌てて口元を押さえた。

「お待たせ」
「そんなに待ってないっすよ」

さりげない素振りで腕を差し出せば、少し考えてから先輩は俺に荷物を手渡して小さくお礼を言った。買った本の袋と小さな鞄を自転車のカゴに放り込み、ぽんぽんと手で後ろの荷台を示す。

「おれチャリなんで、窓野先輩後ろ乗ってください」

彼女と自転車二人乗りとか、ちょっとやってみたかった。先輩は俺の彼女じゃないけど。



☆ミ



女子の身体がこんなに軽いと初めて知った。人ひとり分も増えたはずの重さを乗せて、難なく緩い坂道を登っていく。最初はおっかなびっくりだった窓野先輩もだんだん慣れてきたようだ。

「先輩、すげー勉強してるんですね」
「一応受験生だからね」

卒業後はほとんどの生徒がプロダクションに所属し芸能活動を続けるらしいアイドル科と違い、普通科の窓野先輩は夏の大会で部活を引退する。普通に勉強して、受験して、大学に入る。

「守沢先輩は『卒業まで現役だ!』とか言ってましたけど」
「ね。羨ましいな」

俺にしてみたら、そういう平凡な生き方のほうがよっぽど羨ましい。けど、窓野先輩の気持ちも少しは理解出来た。
目指すものが眩しければ眩しいほど、目を逸らしたくなるものだ。嫉ましいほど憧れて、憎らしいほど乞い焦がれて。

「千秋くんは、最後の最後まで高峯くんたちとバスケ出来るんだ」

そういうの、今なら分かる。
高峯くん「たち」。都合良く聞かなかったふりをした俺の腰に細い腕を回させると、彼女の肩がびくりと震えた。

「ちゃんと掴まってないと、落っこちちゃいますよ」

そう言えば、先輩は素直に俺の服の裾をきゅっと掴んだ。なんだか心臓まで一気に掴まれたような気がした。背中に感じる彼女の体温がぬくい。

「窓野先輩」
「んー?」
「おれ、このあいだの古典の小テスト赤点だったんですけど」
「まじかー」
「あと英語と化学も」
「……それは、ちょっと、ひどいね」

嘘だ。別に一生懸命勉強してるわけでもないけど、成績はクラスじゃ悪くない方だと思う。補習とか追試とか、そういうのって面倒臭いし。
ただ、次の約束が欲しかっただけ。

「明日の放課後、一緒に勉強する?」
「迷惑じゃないっすか」
「なんのなんの。自分の復習にもなるしね、分からないところあったら教えますよ」

思惑通りに事は運んだものの何の疑いもなくそんなことを言われてしまい、少し心が痛んだ。 
 
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