彼方 | ナノ
 
『朝練するぞ!』という旨の連絡メールが部長から送られてきたのが土曜の夜11時。授業があるわけでもないのにわざわざ早起きして練習とはこれ如何に……とふと思い立って翌日の番組表を調べてみたところ、たまたま守沢先輩の好きな朝のヒーロー番組が特番で潰れているらしかった。自分の暇潰しにチームメイトを巻き込むのはやめてほしい。
芸能活動を主軸としている夢ノ咲学院アイドル科において、守沢千秋先輩率いるバスケ部員の面々は驚異の部活動出席率を誇っている。っていうかほとんど無理矢理連れて来られるんだけど。
サボろうものならあの人は、朝一商店街の中心で俺の名前を叫ぶことも辞さないだろう。それだけは絶対に阻止しなければならない。

ということで、今日も律儀に学校へ来てしまった。誰か少しくらい褒めてくれたっていいのに。

「――だったら――は……」

少し離れたところで窓野先輩と部長が何やら話し合っている。三年生が今後の練習メニューをポジション別に組んでいるあいだ、柔軟と基礎トレを終えた他の部員たちは揃って手持ち無沙汰だ。
バスケについて語っている二人は真剣そのもの。だけど、時々花が開いたように窓野先輩が笑うのが気になった。
どうしたらあの顔を、俺に向けさせられるんだろう。
携帯のカメラを起動させて、小さな画面に彼女を閉じ込める。ガラス一枚隔ててならこんなに真っ直ぐ見つめられるのに、現実はそうもいかなかった。

「そりゃ、カップルはいいですよね。休みの日も会えるんなら」

思っていたよりも卑屈な言い草になってしまった。けど、本当のことだ。
呪いを込めてシャッターを切る。俺が撮った写真の中の窓野先輩は、いつだってこんな横顔。

「こら、高峯くん」

向き合うつもりもなかったのに。

「練習中は携帯禁止だよ」

気付いたら目の前にいる。硬く錠をかけてしまいこんだはずの気持ちを、まるごと掬いあげて抱き締めてしまう。その中に渦巻いているものの正体になんて気付きもしないで。

「でも、ちゃんと来たんだ。部活」

その優しさはとても傲慢だ。

「……守沢先輩がうるさいんで」
「理由はどうあれ大事なのは事実だよ」

先輩なんて――

「えらい、えらい」

好きだ。



☆ミ



「休憩だー!」

号令に合わせて、何人かがその場へ座り込む。
時計は正午を少し回ったところだった。朝から動いてるのに、なんだって部長はあんなに元気なんだ。

「お疲れ。これ差し入れね」

差し出されたのは紙皿に乗ったおにぎりと唐揚げ。部員全員に忙しく配り回っているところを見ると、多分窓野先輩が作ったんだろう。
急な連絡のせいで母親の弁当もない、かといって休みの日まで外食する財布の余裕もない、みたいな部員は多い。たまたまコンビニで買ってきていた俺はさておき、みんな必要以上に有難がって手を合わせていた。

「マネージャー、これだとおにぎりの数一人分足りなくない?」
「え、うそ」

瞬間、場にいた全員が自分の皿をしっかり抱えて身構える。
彼女が朝からこの人数分を用意して練習に来たとも考え難いし、おそらく守沢先輩のメールを見たその日のうちに気を利かせてくれたんだろう。そんな先輩が多少うっかりしていたところで責める人間はいないが、何しろ飯を前にした高校生男子は獣と同じなので。

「おお、ならば俺の分をやろう!」

無言の戦いが始まろうとした最中、不似合いに明るい声を上げたのはやっぱり守沢先輩だった。

「今月は比較的財布に余裕があるのだ!よかったなみんな、有希の差し入れが食べられるぞ!」

願ってもない提案に部員のほとんどがほっとする中、窓野先輩の顔だけが僅かに暗い。
寝る間を惜しんで支度しているあいだ、彼女は何を思っていたのか。豪快におにぎりを頬張って、「美味いぞ!」と笑うあの人を、想像していたんじゃないか。

「おれ、大丈夫です」

どうしてこうも儘ならないんだろう。

「メシ買ってきたし……梅干しとか、苦手なんで。守沢先輩食べてください」

提案した途端、部長は「本当か!?」と瞳を輝かせる。返事も待たずにこちらへ突進してきて、皿ごと食べるんじゃないかという勢いで口を開けた。

「美味い!有希はきっといいお嫁さんになるな!」

本当はそれ、俺が言いたかったんだけど。
部長の言葉で窓野先輩の顔に笑顔が戻ったから、これでいいことにしよう。 
 
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