彼方 | ナノ
『あなたのことが、好きです』
世界一かっこ悪い告白をしたその翌日、久しぶりに学校をズル休みした。
どう足掻いても先輩を困らせることしか出来ない俺の気持ちなんて、伝えるべきじゃないと思ってたし、実際墓場まで持っていくつもりだった。だけど、一度こぼれてしまった言葉は戻らない。たとえ鼻にティッシュを詰めてようが、「守沢先輩の代わりでもいいんです」なんて最低の口説き文句だろうが、言ってしまった以上は責任を持つしかないのだ。――この状況では今一つ説得力に欠けるけど。
窓野先輩も、まさか俺があんなにはっきり口にするとは思っていなかったんだろう。
ほんの一瞬、驚いたように目を見開いて。それからゆるゆると首を振り、小さく「ごめんね」と謝った。それって何に対する謝罪ですか、と聞きたかったけれど、確かめることは出来なかった。
(…ふられた、ってことだよなあ。どう考えても)
突きつけられた事実の重さに、ベッドへ身体と気分を沈める。
あんな雰囲気に流された勢いだけの告白でも、本気だったのだ。どんな形でもいいからあの人が俺のものになればいいと、そう、本気で。
『高峯くんはすごいなあ』
彼女はこうも言った。
その言葉は、傷ついたふりをしながら先輩の優しさにつけ込むずるい方法を必死で模索する、卑怯な俺を消沈させるのに充分な鋭さを有していた。
全然、全く、すごくなんかない。おれなんか、ただ好きなだけだ。ただ、ばかみたいに先輩のことが好きなだけだ。
コンコン、と唐突なノックの音。「…入っていーよ」母さんがまた小言でも言いに来たのかと、ぶっきらぼうな返事を枕に押し付ける。
ひどく静かに扉が開いた。
「……元気?」
何よりも素直に心へ沁み渡るその声を、聞き間違うはずがない。
ほとんど反射的に勢いよくベッドから起き上がった。さっきまでずっと思い描いていた人物が、目の前に立っている。
なんでここに、とか、人の告白断っておいて元気も何もないだろう、とか、色んなことが頭をよぎるがひとつとして口から出てこない。
「元気です」
辛うじてこれだけは言えた。
持っていた盆をそっとテーブルへ下ろしながら、うそつき、と窓野先輩が笑う。
「遠征のプリント、お母さんに渡して帰ろうと思ってたんだけど。ちょうどお店忙しい時間帯だったみたいで」
「…だからって、使い走りにされることないのに」
盆の上の梅粥から湯気が立ちのぼっている。仮病を使って休むことを黙認する代わりに、ズル休み中は三食きっちり病人食を食べること。それが中学時代に両親から出された条件だった。
「前に風邪引いた時は、お見舞い来られなかったから」
来られなかったんじゃなく、来なかっただけだろうに。その方がより俺に対して残酷だと思ったからこそ、わざと『優しくしない』という優しさを彼女は選んだ。それも、今となっては痛いだけだけど。
そんな窓野先輩が、あんなことがあった次の日に俺を訪ねてきた。
「かえってください」
つまり、彼女にとって、俺とのあれこれはもう終わったことなのだ。「ごめんね」あのひと言で絡まった二人の結び目はもはや完全に解け、俺の気持ちまでもなかったことにして、ただ部活の先輩後輩という立場に戻る。
「病気とかじゃないんで、全然、平気ですから」
「恋なんてはしかと同じ、だってさ」
「ああそうですよ。一週間もすれば良くなります」
あ、ちょっと、泣きそう。
慌てて誤魔化すようにお粥をかき込んだ。先輩は、れんげの上の梅干をなぜかじっと見つめていた。
食事中ゆえに無防備な俺の頭へ、彼女の手が伸びてくる。昨日の仕返しとでも言わんばかりに子どもをあやすような指先がくしゃりと髪を撫でて、ついに涙がぽたり、お椀に落ちた。
「高峯くん、そんなに私のこと好き?」
「好きですよ。好きに決まってんでしょ。もう、ずっと、めちゃくちゃ、好きなんです、好きです、好き、」
「うん」
季節が移ろうほどの速度で、窓野先輩が俺の目蓋にキスをする。
「じゃあ、私と付き合ってよ」
彼女は決して俺を「好き」とは言わなかった。それでも、答えはイエスだ。生憎、その他の選択肢は持ち合わせていないもので。
ゆっくりと、ナイフが刺さったままの心臓が再び動き始める。どんなに強く抱き締めても、愛しいあなたは遥か彼方。