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これの彼女視点です。
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「おれ、この部屋出ようと思ってます」

そう遠くない未来の話だと思っていた。
だからいつものように向かいあってご飯を食べている最中、テレビドラマの感想でも話すみたいに翠くんがそう言った時も、「ああそっか」という感想以外は浮かばなくて。食事の手を止めてしまったのは単純に、喉を通らなかったからだ。
社会人になった私が一番最初に学んだ『諦める』こと。そんな私の横にいながら、彼が密かに夢を追い続けていたのを知っている。翠くんは何も言わなかったけど、お芝居がしたいという気持ちには随分前から気がついていた。当たり前だ、だって、一番近くにいたのだから。
選ぼうとしているのは生半可な道じゃない。だからこそ、彼は役者として大成出来るまでの生活のことを考え、今までずっとモデルの仕事を続けていたのだ。私のために。

「応援するよ」早くそう言わなくちゃ。新しい舞台へ挑戦していく彼のこれからにとって、私の存在が邪魔にしかならないのなら。翠くんが安心して私を置いていけるように、笑って、大丈夫なふりをしていなくちゃ。それが唯一してあげられることだと思った。
五年間。私が彼から貰った時間だ。この五年間、本当に本当に幸せだった。一生分の幸せにしても有り余るくらいだ、それなのに

「名前さん」

私がここで、泣くのはずるい。

「結婚、しませんか」

指輪もない、ムードもない。別れ話をしようとした矢先にもらった、一生一緒にいましょう、の約束。本当はすぐにでも飛びついてしまいたかったけど。こんな時、いつだって私の中の『大人』が邪魔をする。

「……どうして」

どうしてそんなこと言うの。私がなんにも選べないって知っていて、どうして全部を委ねてしまおうとするの。

「今言わないと、名前さんが、おれを諦めちゃうと思ったんで」

ひどいひと。

翠くんが私の震える手に顔を寄せて、左の薬指に歯を立てた。

「嫌って言っても聞きませんよ」

世界が光に飲まれる。抱き寄せられた腕の強さで、目の前の彼が私の知っている「翠くん」よりもずっとずっと大人であったことを悟らされた。
この大きなからだで、こころで、彼は私のすべてを自分のものにしてしまうつもりなのだ。

「だから早く誓ってください」

その一瞬、私は舌の上で転がしていた全ての言い訳を放棄して目を閉じた。
降り注ぐキスの熱。指先から伝わるのは執着。それだけでいい。
私だって、本当はあなたしかいらない。 
 
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