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これの続きです。
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毎日しつこいくらいに付きまとってくる女の子が、いつの間にか俺の『好きな女の子』になっていた。

「もう毎朝突撃してきたりとかしないでね。…そんなことしなくても、ちゃんと時間作るから」
「じゃ、じゃあ!」

翠くんと一緒にお昼ごはんがたべたいです。
そう言うと、彼女は俯いて頬を赤らめた。正直、そんなことでいいのかよ、と俺は思った。
たとえば放課後デートとか、休日のお出かけとか。俺が想像していたのはそういう約束だったんだけど。こっちが心を開いた途端急にしおらしくなった彼女がひどく申し訳なさそうな顔をするので、案外ささやかな逢瀬になってしまった。

そんなことがあって最近は、月水金の週三回、ガーデンテラスの隅っこで苗字さんの作ったお弁当を食べるのが昼休みの定番になっている。



「じゃーん」

胸をそびやかす彼女の隣で、箸でつまんだハート型のハンバーグをじっと見つめた。
意外、と言うのもなんだが、苗字さんは特別料理が上手なわけでも、堪え難いほど下手というわけでもなかった。オムレツの中にチーズが入ってたりとか、デザートのりんごがうさぎの形をしていたりとか、そういうちょっとしたところに凝ってしまうのはいかにも『女の子』って感じがするけど。どちらかといえば苗字さんのそれは彼女自身の女子力というより、俺を喜ばせたいという努力と真心から発揮されているような気がして、少し自惚れる。
自然とにやつく口元を誤魔化すように、少し焦げ付いているハンバーグをひと口食べた。

「……おいしいよ」

俺からその一言を引き出してようやく、彼女は満足げに自分の昼食に箸をつけ始めるのだ。
本日もマヨネーズオンリー大胆な味付けのポテトサラダをつつきながら、嬉しそうな横顔を覗き見る。
たいていの食べ物は塩コショウすればなんとなく味が整うらしい。その程度の知識なら料理の心得がない俺だって持ってるんだけど、いざ進言しようと思っても、結局彼女のその顔を見たらいつも口を閉じてしまうのだった。
ふと、お弁当の隅で懸命に彩りを添えている、ミニサイズのトマトが目につく。一旦は手を伸ばしかけたものの、(苗字さん、確かこれ好きだったよなぁ)そう考えてやめた。

「食べていいよ。それ翠くん用のトマトだから」
「え、」

気を回したつもりが先手を打たれてしまい、少し面食らう。

「……なんでおれが考えてたこと分かるの?」
「へっ?なんでって言われても…うーん」

彼女はしばらく考えてから、愛の力ですかね!と言って笑った。なんだそれ。
ともかくお言葉に甘えて、「翠くん用のトマト」とやらをひとつ口の中に放り込む。

「ハンバーグ、寝ぼけてちょっと焦がしちゃった」
「無理して毎回作ってこなくてもいいのに」
「無理じゃないよー。慣れないことしてる自覚はあるけど。…翠くんが食べてくれるの、嬉しいから」

苗字さんのお弁当は非常に量が多い。ごはんも、おかずも、とにかく多い。食べ盛り育ち盛りの男子高校生を慮ってのことだと分かっているが、生憎俺はこれ以上でかくなりたくない。
だけど、残すわけにはいかなかった。残したくないなぁ、と思った。彼女が作ったものは全部、どんなものでも全部この胃袋に収めないとなんだかとっても気が済まない。変な感じだ。誰かを好きになるってそのくらいの一大事なんだなぁっていうことを、俺はこの子を好きになって初めて知った。

「あっ。昨日スーパーで鉄虎くんに会ったんだよ」
「ふうん」
「お母さんの荷物持ちで来たみたいなんだけどね」

もそもそとごはんを頬張りながら、彼女が明るい声を出した。
――苗字さんは、鉄虎くんと仲が良い。
俺とこんなふうに会うようになるずっと前から、二人は連絡先を交換して、二人の間でしかあまり伝わらないようなことをよく話していた。そして、それは今も変わらない。

「上下真っ黒のジャージ着てて。ヤンキーの中学生みたいで、最初全然誰だか分かんなかった」
「そうなんだ」

ちょっとだけ、お腹のあたりがちくちくする。
最初に苗字さんのことを鬱陶しがって、変な意地を張って、何の努力もしてこなかったのは俺だ。だから彼女と鉄虎くんの間に俺の知らないようなことがあっても、それは別に二人が悪いわけじゃない。

「ちょうどニンジン選んでたところでね。今度きんぴらごぼう作るんだよーって言ったら、鉄虎くんすっごい変な顔して」

ただ。

「でも私、きんぴらは結構自信あるんだよ。だから次の水曜日は、鉄虎くんも一緒にお弁当食べてもらおうかなぁと、」
「…ちょっと、黙って」

こんなふうに一緒に過ごす時間を作るようになってから、以前ほど俺に絡んでこなくなった苗字さん。俺に対して、どこか距離を置いて接するようになった苗字さん。
そんな彼女が楽しそうに鉄虎くんの話をするのがなんだかすごくもやもやして、むかついて。

とうとう苛立ちに任せ、その口を塞いでしまった。



「…みどりくん」

ただ乱暴にくっつけただけの唇を離す。苗字さんが俺を呼んだ。
目を見開いて、呆然とこっちを見つめてくる。やがてわなわなと唇が震え出し、瞳に水分の膜が張り、ついに涙になってぽたりと落ちた。

「ひどいよ、みどりくん」

目の前の光景を、受け入れることが出来なかった。
――苗字さんが泣いている。多分、俺のせいで。
予想外の反応にぎょっとする一方、俺には今の彼女の気持ちがまったく分からなくて、もどかしくて、理不尽に苛立ちばかりが募っていった。
出来る限り優しくしてあげたいと心では思うのに、実際は全然上手くいかない。せめてこれ以上ひどいことをしてしまわないようにと、彼女の肩を掴んだまま、黙ってその泣き顔を見つめる。

「っ、みどりくんは、わたしのこと、好きじゃないくせに…意地悪でキス、するとか……そういうのは、ちょっと、ひどいよ」

何度もしゃくりあげながら、ようやく絞りだされたその言葉に目を剥いた。
(好きじゃないくせに、って、なんだよ)俺の気持ちを信じてないのか、とか、好きでもない女の子にキスするような男だと思われてるのか、とか、じりじりと焦燥が胸を焦がす。
だけど、同時に気づいてしまった。
俺にはまだ、彼女に伝えていないことがある。そう考えれば毎日のお弁当も、最近苗字さんが妙に俺に対して気を遣っていたわけも、全部が全部情けないくらい腑に落ちた。臆病な俺には人一倍、誰かを好きになることの怖さが分かるから。
(なんだよ)なんでそれくらい分かんないんだよ。
こっちがわざわざ言わなくたって、「愛の力」ってやつで察してくれよ。

――本当に、俺は馬鹿だなぁ。



「苗字名前さん、好きです。付き合ってください」



最近からこうすればよかった。
いつか彼女が俺の心に魔法をかけたのと同じように、俺も一回限り、とっておきの魔法をひとつ持っている。
ぱちぱち、とまばたきをして、苗字さんの涙が引っ込んだ。そして、その顔が次第に赤く染まっていく。

「……うそぉ、」
「嘘じゃねえし」

分からないなら、分かるまで続ける。圧倒的に恋愛経験がない、なんならまだ始まってすらいなかった俺と彼女は、そうやって少しずつを積み重ねていくしかないのだ。

「好きだよ。苗字さんがどう思ってたか知らないけど、こっちはもうとっくにそのつもりだったんだよ」

本当に、ばかみたいだけど。
あまりにもダサくて、みっともなくて、つい膝の上のお弁当箱へ視線を落とした。だけどこの子には全部見ててほしいと思った。どれだけダサくても、みっともなくても、この子が笑う理由になるならそれでいいと思った。

「あのさ。…今日、迎え、行くから」

よかったら一緒に帰りませんか。
まだまだ前途多難、はじまったばかりの俺ときみが、踏み出すならまずはこんな一歩。 
 
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