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件名:てとらくん
本文:たすけて

明らかに私宛ではないメッセージを受信したのは、放課後を告げる鐘が鳴るのと殆ど同時刻だった。
「高峯は風邪で休みだ!」そういえば流星隊のレッスンで守沢先輩がそんなことを言っていた気がするが。なにぶん日頃から鬱だ死にたい帰りたいと口にして憚らない彼のこと、あぁまた仮病かな、と軽く考えていたのが正直なところだった。
しかし今、目の前の短い文面から読み取れるのは明らかな非常事態。エマージェンシーである。
何せ漢字に変換する余裕もないほどいっぱいいっぱいなのだ。間違いメールとはいえ、受け取ってしまった以上は責務を果たすべきかもしれない。
おあつらえ向きというか、放課後のプロデュースの予定は入っていなかった。これから空手部の道場へ出向いて鉄虎くんに相談する、という選択肢もある。

(……でも)

少しだけ考えたあと、携帯電話は制服のポケットに仕舞った。そうして、目的地に向かってまっすぐ足早に歩き出す。
――武道場のある部室棟ではなく、昇降口へ。



☆ミ



『本日臨時休業』仮病を疑っていた罪滅ぼしも兼ねてコンビニで冷えピタやらゼリーやら見舞いの品を買い込み、いざやって来た八百屋高峯にはそんな貼り紙がされていた。ご近所さんの話によれば今日は結婚記念日らしく、ご夫婦揃って朝から旅行に出掛けているのだとか。なるほどね。
無用心にも施錠がされていない裏口から失礼し、高峯くんの部屋を探す。軽く不法侵入だけれども、命に関わる事態ならこれも致し方ない。
二階に上がってすぐ、よく分からないご当地ゆるキャラのポスターが貼られた扉。疑う余地もなかった。ここだ。

「高峯く…」

生きてる?と恐る恐るドアを開け、その向こう側の光景を目の当たりにした瞬間息を潜めた。

(……寝てる)

具合が悪いのだから当たり前といえば当たり前だけれど、状況は私が考えていたよりもちょっと、かなり芳しくない。
ベッドの上で布団を被ったまま丸くなった高峯くんは、真っ赤な顔で荒い呼吸を繰り返している。
苦しげに眉間へ皺が寄せられるのを見ていたら、なんだかこっちまで切なくなってきてしまって。物音を立てないよう慎重に近づき、汗で張り付いた前髪をそっと払う。

「たかみねくん、」
「……せんぱい?」

ぎゅっと閉じられていたはずの瞼から潤んだ青い瞳が覗き、ぼんやりと私を映した。

「名前せんぱい、なんで、え、幻覚……?おれ、ついに死んだんすか……」

ぱちぱち、と何度かまばたきしながら縁起でもないことを宣う高峯くん。確かめる様に伸ばされた手を取って、頬を寄せた。あつい。

「しっかりして。幻覚じゃないし、生きてるし、もう大丈夫だから、ね」
「幻覚じゃない……」

諭すように声をかけてなお、高峯くんの視線はふわふわと宙を彷徨っている。
熱で朦朧とした頭には、そもそもどうして私がここにいるのか、なんて考えるほどの余裕もないらしい。けれど己の体温より幾分かひんやりとした私の肌に触れたためか、険しかった彼の表情がほんの少し緩んだ――その、刹那のこと。

「じゃあ、早く帰って下さい」

先程から一転して、はっきりとした口調だった。
「えっ」思いもしなかった強い拒絶の反応に面食らってしまい、それ以上の言葉が出てこない。
呆然としているあいだに身体を起こした高峯くんが、怒気のこもった目で私をまっすぐに見据える。

「おれは別に、苗字先輩に助けてほしいとか、思ってないし…けほ、うつったりしたら面倒じゃないすか。一人で大丈夫なんで帰ってください」
「で、でも」
「ッ、つか、帰って」

あんまりな物言いに、ぐっと息を詰める。
物見遊山な気持ちでここまで来たわけじゃない。けれど少しの下心もなかったかと問われれば、とてもノーとは言えなかった。(だって)
好きな男の子のピンチ。ここで『女』を出さずに、どこで出すというのか。
不謹慎なことを考えていた自覚は十二分にあった。それでも。

「けほっ。おれと違って、苗字先輩が倒れたらいろんな人が困るでしょう」

ちゃんと、心配、してたんだから。

「だから、はやく帰っ…」

よろめいた身体を両手で受け止める。
慌てて起き上がろうとした高峯くんの背中をしっかりと抑え込み、赤ん坊をあやすように軽く叩いた。

「そういうことはもっと大丈夫そうな顔で言って」

いくら体格差があるとはいえ、所詮は病人の抵抗だ。最初は抜け出そうともがいていた彼も、何度か宥めているうちにやがて腕の中で大人しくなる。

「ほんと、勘弁してください。おれいま汗でぐちゃぐちゃで、カッコわるいし、余裕ないから、なんか失礼なこととかしちゃうかもしれないし」
「はいはい。いいから、黙って甘えてて」

だんだんと泣きそうな声になっていく高峯くんを制し、買ってきた冷却シートを額へ押し付ける。そのまま少し力を込めれば、大きな身体はベッドへ逆戻りだ。
すっかり水浸しになってしまったTシャツを強引に脱がして、タオルで汗を拭いていく。最初に腕、首から胸。そしてお腹のほうへ手を滑らせると、時折彼がくすぐったそうに身を捩った。他人と会ったことで気が紛れたのか、心なしかさっきより顔色も良くなってきたように思える。

「ゼリー買ってきたけど、食べられる?食欲は?台所借りていいならお粥くらい作れるよ。それか、何か他にほしいもの…」
「……いで」
「ん?」
「せんぱい、いかないで」

更に世話を焼こうと立ち上がりかけた私の手を、高峯くんが掴んだ。頼りない力に引かれるがまま身を任せれば、ちょうどつい先程私が彼に対してそうしたように、ぎゅうっと強く抱き締められる。
縋りついている。高峯くんが、私に。
状況を認識した途端、ぞくぞくと背中を駆け上がる何かがあった。

「すいません、ちょっと、弱ってて…おれ今ほんとにだめで、バカなことしてるのは分かってるんですけど。っ、ああもう、さいあく。……だから」

帰って、って言ったのに。
押し当てられた唇、火傷しそうなほどの熱を帯びたそれを黙って受け入れる。ぎこちなかった所作は繰り返すたびに大胆さを増していき、やがて粘膜と粘膜を触れ合わせて距離感を失くす。
『名前せんぱい』最初に私のことをそう呼んだ、彼のことを思い出していた。

「……もしもおれの勘違いとかだったら、腹蹴って逃げてくださいね」
「まさか」

恋なんてはしかと同じ。どうかしているのはお互い様だ。 
 
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