textbook | ナノ
 
「好きです」

名前先輩に告白した。
どうしてあんなことを言ってしまったのか、正直自分でもよく分からない。
その日はたまたまいつものうるさい集団がいなくて、先輩と二人で振り付けの確認をする時間がやけにゆっくりと流れていた。隣に並んで実感するのは、この人が俺とは違う小さくて弱い生き物だということ。なのに、彼女はその身にかかる悲しみやしがらみを全部を一人で背負おうとする。平気な顔で、笑ってみせる。
それが嫌だったのかもしれない。

「先輩のこと、そういう目で見てます」

だから、言った。
ラジカセの隣で丸まった背中。音楽が止まった。ゆっくりと先輩が立ち上がり、こちらを振り向く。

後悔した。確かに彼女の顔からいつもの微笑みは消えていたけど、代わりにそこにあったのは羞恥心や謝罪ではなく、明確な拒絶の表情だった。
曲がりなりにも「アイドル」であることの自覚が足りないと、呆れられただろうか。もしか後ろ向きな俺の言葉が、知らないあいだに彼女を追い詰めていたこともあったかもしれない。
勢い余って伝えてはみたものの、俺は至って普通の男子高校生だ。愚かしすぎるほど普通な、ただの男だ。口に出したからといってそれで欲しいものが手に入るなんて自惚れてはいない。
それでもこんなに胸が痛むのは、自分が名前先輩を本当に好きだったからだということに気付いた。気付いた瞬間に失恋、なんて、哀れな話ではあるが。

「今日は、もう帰るね」

スカートの裾をぎゅっと握って、僅かに唇を戦慄かせて、今にも消え入りそうな声でそれだけ絞り出した。先輩が練習室を出ていく。駆けだした拍子にブレザーのポケットから生徒手帳がこぼれたが、それを呼び止める隙さえ与えては貰えなかった。
ただ呆然と立ち尽くすばかり。
その日からずっと、心の風邪が治らない。



☆ミ



「好きです」

翠くんに告白された。
一瞬何を言われたのか分からなかった。
私も好きだよ、仲間として。そう言おうと思ったのに許してもらえなかった。そんな言葉ではぐらかしてはいけない気にさせるぐらい、彼は見たこともない「男のひとの顔」をしていた。
流星隊の中でも一際繊細で優しい翠くんは、自分の弱いところをすぐ口にする反面、誰かのためにならとことん一生懸命になれる子だ。本当は目立つのなんて嫌なくせに、毎日のレッスンには欠かさず来る――それは多分ユニットのみんなのためで。ステージを重ねるごとにどんどん輝きを増していく彼を見ながら、私はずっと誇らしい気持ちでいた。
彼は「アイドル」の階段を駆け上がっていく。私をここに置き去りにして。それが私の本望だと思っていた。
思って、いたのに。

「好きです」

そう言われて舞い上がってしまった自分がいた。すごく、いやな女だと思った。
「アイドル」として、彼らは今とても大きなものと戦っている。そして私は、そんな彼らを助ける「プロデューサー」なのだ。それ以上でも以下でもない。
逃げ出してしまった手前顔を合わせるのもなんだか気まずくて、今日のユニット練習は守沢先輩にメニューだけ伝えてお任せしてしまった。やるべき仕事もきちんと出来ない自分にうんざりする。
せめて衣装作りだけでも、と裁縫に精を出してみたものの、自分が手にしたそれの色が鮮やかなグリーンであったことに気付いて、ついに溜め息が出た。
境遇を呪うのはお門違いだ。そもそもアイドルとプロデューサーという間柄でなければ、私なんて彼の視界に入ってすらいない。
それでも私はいつかどこかでアイドルの「高峯翠」に出会い、恋に似た感情を覚えたりするのかもしれなかったけれど。
昨日の告白がぐるぐると頭の中を回っている。いったいどうするのが正解だったんだろう。その場ではっきりと拒否すれば彼の心を傷付けたかもしれないけれど、だからと言って「私もよ」だなんて伝えたらそれこそ彼の将来に傷が付く。
――付けてしまえばよかったかもしれない。

「みどりくん」

どうせいつか手の届かないところへ行ってしまうのなら、傷くらい。
いつまでも出来上がらない衣装の胸元にそっと唇を寄せる。滑らかな布地には微かに彼の匂いが残っていた。採寸中に結構長いこと合わせてもらっていたので、その時に移ったのかもしれない。
日陰の芝生みたいに清閑で、だけど不思議と落ち着く匂い。
甘やかさないで、突き放さないで。

「名前先輩」

何度も頭の中で反芻した声が、すぐそこで私の名前を呼んだ。



「なんでこんなところで一人で泣いてるんですか。今、なに考えてたんですか」

慌てて姿勢を正した私に詰め寄る翠くんの手には昨日落とした生徒手帳が握られていて、きっと彼はこれを届けに来てくれたんだろうと思った。
一部始終を見ていたはずなのにわざと私の口からそれを言わせようとする、翠くんは意地悪だ。まっすぐな目で覗き込まれて、だけどそんな翠くんも私に負けないくらい今にも泣き出しそうな顔をしていて

「おれの気持ち、先輩が本当に迷惑だって言うんならもうしつこくしません。でも、そうじゃないなら」
「…のこと」

ああ、溢れてしまう。

「みどりくんのこと、考えてた……」

教室は無人。外から死角になる廊下側の壁に押し付けられて、眼前には目が眩むほど大好きな男の子。

「おれ、先輩のこと好きだって言いましたよね」

そういう風に、取っていいんですよね。
そんなことを言われてしまったら、まぶしくって見ていられない。けれど視線を逸らしたくても頭の両側には彼の手があるし、瞼を閉じたらキスされてしまいそうでそれも出来ない。

「だ、だめだよ。翠くんはアイドルで、私はそのプロデューサーで」
「だからだめなの?先輩の気持ちは?おれの気持ちはどうなるんですか」

なけなしの言い訳を正論で打ち返され、為す術がなくなる。
ここで流されてしまうのは簡単だ。まともに考える頭なんてもう残されていないのに、それでも私はでもでもだってを手放すことが出来ない。

「こんなの……っ、ずるいよ」

一番多感な年頃に、たまたま私がそばにいた。それだけなのだ。近くにいたから、好きになってくれただけ。
そのことに気付かないままこの関係に新しい名前をつけてしまったら、彼はいつかきっと後悔する。だけど。

「先輩」

翠くんが私の手首を掴んだまま、そっと自分の左胸に持っていく。制服越しにでも感じられる彼の心臓の音が速い。
――私と、同じだ。

「名前先輩、おれのこと好きですか」

この先、この日のことをどれだけ悔やむ日が来たとしても。
彼への気持ちを知らずに100年生きるくらいなら、そんな時間はいらないと思った。



「…………すき」 
 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -