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窓の縁に寄り掛かって粛々とレースを編んでいた彼の青い眼が、不機嫌そうにすう、と細められる。いつの間にそんな時間が経っていたのか、外の世界はすでに夕暮れ時と言って差し支えないほど日が落ちかけていた。
視界の悪さなどまるで感じさせない繊細さで動き続ける指先から目線を外し、明かりをつけるために腰を上げた。その拍子に身体が椅子の脚を掠めて、がたりと音を立てる。
咎められるだろうか、と一瞬肩を竦めたが、彼はこちらを冷ややかに一瞥しただけで再び作業に戻った。これまで、私が少し息を吸っただけでヒステリックに喚き散らしていた頃のことを思えば、随分と丸くなったものだ。



手芸部の部室は、どこまでも脆く頑なな斎宮宗の砂の城だった。いつもどこかぴんと張り詰めた雰囲気を感じさせる宗の、縫い物に興じる柔らかい横顔。それを初めて目にした時、私は確かに、この世でいっとう美しい宝物を見つけたと思ったのだ。
最初こそ「作業の妨げになる」だの「君に芸術が理解出来るとは思えない」だのと喧しく非難の言葉を口にしていた彼も毎日毎日懲りずにやって来る私に匙を投げたのか、最近はほとんど空気のような扱いを受けている。それに乗じて。

『好きだよ。宗のこと、ずっと前から』

目の前の男に自分の秘めた恋心を伝えたことは、まだ記憶に新しい。
聞き流してくれるのならそれはそれでよかった。けれど、宗は答えた。「そうか」。たったそれだけ。「また来てもいい」私は尋ねた。彼はもう何も言わなかった。



ぱちんとスイッチを押すと、教室内が人工的な白っぽい明かりで満たされる。その明かりの下で、ありのままよりも完璧に作られたものを好むはずの宗の姿が、やけにぼんやりと浮かび上がった。

「なにを作ってるの」
「マドモアゼルの新しいドレスに決まっているだろう。美しい者には、美しい物を。世界は常にそういう理によって成り立っているのだからね」

美しい者には美しい物を。事あるごとにそう繰り返す彼にとっては、私なんてせいぜい切れかけの蛍光灯がお似合いなのだろう。
遠目からも十分見事だったその作品は、間近で見ると更に繊細な迫力を孕んでいた。彼の悲しみを縦糸に、優しみを横糸に織られた布、指先の動きに合わせて揺蕩う淡いブルー。

「きれいな色。私、好きだな」
「ふん。至極当然なのだよ、だって…」

時折そうするように気まぐれに私へ向けて言葉を返した宗は、一瞬何かを言いかけて、またすぐ口を噤む。そして間もなく、その眉間に深い深い皺が刻まれた。
――私が彼に対して絶え間なく心を注ぐのと同じだけ、愛されたいと思っていた訳じゃない。ただ、知っておいてほしかったのだ。

「…少しおしゃべりが過ぎたようだ。君はいつまでここに居座るつもりなんだね?もう遅いのだから、早く帰りたまえ」

誰よりもぬくもりを欲しがっていながら、遠ざけて拒絶することをそれを大切にすることと履き違えている。憐れで愚かな宗。彼が必要とすれば、いつでもこの手を取れるのだと思い出してもらえるように。
私は、何も持たずにその時を待っている。

「分かった。今日はもう帰るよ」

御機嫌ようマドモアゼル。言いながら、彼の腕の中で寵愛を受ける小さなレディの瞳を覗き込んだ。

「…あ、」

顔を上げようとして髪を引かれた。慣用的な表現ではなく、まったく文字通りの意味で。
宗が丹誠を込めて縫い上げた彼女のドレス。見ればそのブルーによく映える黄金色の釦に、長らく伸ばしたままにしていた私の髪が数本絡まっている。
強く引いたら釦が取れてしまうかも。最悪の場合、ただでさえ所々ガタのきているマドモアゼルの体に傷を付けてしまうかもしれない。
とはいえいつまでもこの体勢のままいるわけにもいかず、慌てて最良の選択を模索する。
目に入ったのは、彼の裁縫箱の中にある糸切り用の小さな鋏。

「ちょっと、借りるね」

頭を動かさないよう気をつけながらそれを手に取る。しゃきん。躊躇いなく刃を押し当てて力を込めれば、鋭利な音と共に細い髪の毛がマドモアゼルのお腹の辺りに落ちた。
後は落ち着いて、丁寧に絡まった髪をほどけばいい。

「宗?」

そう思ったのに、動けなかった。
呆然と見開かれ、それでいてまっすぐに私の心を掴んで放さない二つのサファイア。彼の目をさざ波のような涙の膜が覆い、そしてぽたりとひと粒。――雫が、こぼれたので。

「…どうして、君は」

たったひと粒だった。けれど、そのひと粒が堤防を打ち壊してしまったら、溢れてくるそれを止める術はもうない。

「僕はそんなふうに、君に自分を犠牲にして欲しかったわけじゃない。僕は君に何ひとつ与えていない。…僕のために、君が磨り減って良い理由はどこにもない!」

眉を寄せて、唇を戦慄かせて。
頭を振りながら、宗が乱暴な手付きで釦から私の髪を引き剥がす。「君の髪が」、「僕のための美しい君の髪が」掌へのせたそれに頬を寄せ、何度も何度も繰り返した。
息を飲むほどに愛おしいその光景を、私はただ黙って見つめていることしかできない。

「いつもそうだ!僕を好きだと言ったくせにっ……君が僕の思い通りになったことなんて、これまでに一度だってなかった!」

彼の内で燃える激情が心の臓を焦がす。それは今まで、私が一方的に宗に対してぶつけ続けていたのと同種のものに相違なかった。
自分がいない方が私は幸せになれる。彼が言っているのは、要するにそういうことだ。その上で、僕は君に優しくありたいのだと。君のことを考えて選んだ、君に一番似合う色で服を仕立てたいのだと、そう。

「名前」

相反する衝動。矛盾だらけな、子供の駄々の延長線上。けれど私の二本の腕は疑うべくもなく、この震える背中へ回すために在る。
今は張りつめた細い糸の上に立って、あなたへの愛に踊らされていたかった。

「ただ…僕は、君を、」 
 
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