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たとえば休憩時間、友達と小テストの結果について話しながら「先輩、お昼なに食べたかな」って考えること。カーディガンの裾から覗く爪先のまるっこいのがたまらなく可愛いことや、「翠くん」って呼ばれた名前が泣きたいくらいに美しく響くこと。
彼女に対する俺の気持ちがもしも「好き」じゃないのなら、きっとこの先、誰と出会っても恋なんか始まらない。
間違いなく好き、なのに上手な伝え方が分からなかった。たくさんの言葉を並べて、何度もこね回して、それでもさっぱり納得がいかない。こんなの全然、俺の「好き」には届かない。

『翠くんは姉御にチョコ渡さないんスか?』

ショコラフェスの準備中、湯煎にかけたチョコレートをへらでかき混ぜて溶かしながら、鉄虎くんがそう言った。
バレンタインデー。正直に言えば、この日には毎年憂鬱な思い出しかない。
朝から事あるごとに呼び出されて、ろくに話したこともないような女子からプレゼントを渡されて。俺が「欲しい」って頼んだ訳でもないのに、愛想良くお礼を言わなきゃ最悪の場合泣かれるし。そうしてやっと帰宅する頃には、朝家を出た時よりも倍近くカバンがずっしり重たくなっているのだ。

『…ねえ、鉄虎くん』
『どうしたっスか?』
『どうして女の子たちって、バレンタインにチョコ渡すんだろう』
『…そりゃあ』

好きだから、じゃないっスかね。
そう言いながら首を傾げていた、鉄虎くんのへんな顔を思い出す。
冷蔵庫から取り出したガナッシュ――そういう名前のものだと名前先輩が教えてくれた――は、フェスで配るためのチョコレートを作ったときの余りだ。混じり気のない塊だった頃より幾分か柔らかくなったそれを、少量すくって手のひらの上で転がした。
チョコなんて溶かして固めるだけ、という身も蓋もない認識は、実際に作業をしたここ数日で大きく変化しつつあった。溶かして固める、それだけの動作の中に繊細な作業工程がいくつも存在することを知るたび、無知だった過去の自分が少し後ろめたく感じられる。

(ああ、そっか)

どうしてあんなに一生懸命だったのか、彼女たちが、チョコレートを通して自分に何を渡したかったのか。今なら少しは理解出来る。
俺が先輩に対して抱く言葉に出来ない思いみたいな、そういうものがきっとこの上には乗っかっているのだ。こんなちいさなひと粒ひと粒に、余すことなく、全部。



「……翠くん?」



硝子玉の割れるような音。
名前を呼ばれて振り返ると、そこには既に帰り支度を済ませた名前先輩の姿がある。
ふと時計の針に目を移せば、年に一度の夢ノ咲バレンタインショコラフェスは会場の後片付けまで全てとっくに終了している時間だった。彼女はどうやら、下校前にキッチンスペースへ最後の見回りに来たところらしい。

「すみません。すぐに片付けるんで」

ボウルに入っている分を全部丸めて、砂糖を振ったら箱に詰めて。そうすればあとはリボンをかけて渡すだけ。完成前に見つかってしまったのは計算外だったが、先輩なら気にせず受け取ってくれるだろう。
多少サプライズ感が薄れるのは致し方ない。それでもこの状況で下手な誤魔化し方をするよりは、きっといくらか利口なはずだ、と思った。けれど。

「…私も手伝おうか」
「え」

彼女は少しばかり考えたあと、なぜかカバンを床に置き、コートも脱いだ。

「あ、いや」

流石に先輩へ渡すためのチョコを先輩に作らせるわけにはいかない。そんな俺の制止に耳も貸さず、つかつかと歩み寄ってくる。
流れるような動作でエプロンを身につけ冷水へ手を浸すと、名前先輩はボウルの中身に向かってか細い指先を伸ばした。

(う、わぁ)

くるくる、くるくる。滑らかな動きに合わせ、次から次へ丸くなったそばからまた思いが募っていく。なんだか妙な気分だった。
彼女のその手ですくいあげられ、徐々に形を成していく俺の恋心。
なにかの拍子に肩と肩が触れて、どきり、と心臓が悲鳴を上げる。

「先輩、器用ですね」
「そう?」
「だっておれの作ったやつより綺麗ですよ」

気を紛らわすために意味のない会話をふた言三言交わしながら、二人並んでチョコレートを成形していった。

「私は翠くんの好きだけどな」

(……あー)

「なんか、翠くん、って感じがするでしょ」

――好きだ。
やっぱり、俺はこの人のことが好きだ。考え過ぎてすっかりバカになってしまった脳みそで、弾き出せた答えはたったそれだけ。
思いの丈と一緒に丸めた甘い甘いひと粒を、綻んだ唇へそっと押しつける。

「じゃあ、名前先輩が貰ってください」

俺が全部を捧げたいのは、いつだってこの人だけだ。
指先に力をこめるだけで、少しずつ飲み込まれていく愛のかたまり。ためらいがちに伸ばされた舌の感触を一瞬、直で感じる。
ゆっくりと時間をかけながら、先輩の喉が上下するのを見ていた。

「だけど、こんなんじゃ全然足りないです」

残さず全部受け取ってください。そうして思い知ってください。おれが、どれだけあなたをあいしているか。
口の端を汚した、その欠片さえ憎らしい。 
 
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