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毎年この時期にだけ見かける演歌歌手の湿っぽい歌が、ばりばり、とお煎餅を咀嚼する乾いた音にかき消されていく。けれども年末恒例のテレビ番組なんてものは単に生活音の一部としてそこで鳴っているだけに過ぎず、元より私も彼も集中して観るようなタイプではない。

「アイス食べたくなってきた」

こたつに両脚を突っ込み、流れてくる映像をぼうっと眺めながら大きく伸びをひとつ。
内側から湧き上がる欲望のままに呟けば、隣で熱心にみかんの白い部分を剥いていた翠くんが笑った。

「そうやって来年になるまで、しょっぱい物と甘い物交互に食べ続けるつもりじゃないでしょうね」
「この時間帯の食欲は魔物だから」
「太りますよ」

と言いつつ、冷凍庫から特別な日に食べる高級なカップのアイスをふたつ、出してきてくれる。翠くんのこういうところが好きだ。

「結局翠くんも食べるんじゃん」
「名前さんが食べてると、不思議となんでもうまそうに見えるんですよね」

この寒い季節に暖房の効いた部屋で食べるアイスは、溶けかけが一番美味しい。
ちょうどいい頃合いを待つあいだこたつの下でげしげし彼の長い脚を蹴っていると、お返しとばかりにひんやりした爪先がふくらはぎの裏へ押しつけられた。私が漏らした「ひえっ」という間の抜けた悲鳴に、彼が可笑しそうにくくくと喉を鳴らす。
こちらも負けじと足での応酬を何度か繰り返したものの、結局はそれすら器用に絡め取られてしまうのだから翠くんには敵わない。諦めて、ぐったりと円卓へ顎をくっつけた。

「もうやだ」
「むくれないでください。…ほら、あーん」

柔らかくなったアイスをすくったスプーンが、目の前に差し出される。イタズラに成功した子供のような彼の笑顔が憎らしくて、だけど不思議といとおしくもあって、すぐに機嫌を直してしまう。私が単純なのはいつものことだ。
ぱくりと口にすれば、甘ったるいバニラの匂いが鼻を抜けていった。清涼な冷たさをしばらく舌の上で転がして、もうひと口。間を置かずに運ばれてくるそれを見ながら、何だか餌付けされてるみたいだなあ、と考える。

「なんか、餌付けしてる気分」
「翠くんはなんなの。私のことをペットかなんかと勘違いしてるわけ?」
「普通ペットにこんなことしますかって」

そう言って、唇の端についたクリームをぺろりと舐めた。



☆ミ



私たちがくだらない戯れ合いで大晦日を浪費しているあいだにも、時計の針は回り続けていた。更けていく夜、刺激された満腹中枢が私のところへ連れてきたのは、抗いようがないほどの深い微睡みだ。
いやいや。お腹いっぱい食べたら眠る、なんて、そんな、原始的な。

「そんなところで寝たら風邪引きますよ」
「……寝てない」

うとうと舟を漕ぎ始めた姿を見兼ねて、翠くんが私の髪をくしゃくしゃと撫でた。容器に残っていたアイスを全部自分の口に入れてしまうと、スプーンを置き、こたつからはみ出た腕を面倒くさそうに引く。

「ほら、もうベッド行きましょう」
「やだ。年が明けるまで起きてる」
「またそんなこと言って。どうせ昨日も夜遅くまで仕事してたくせに」

仰る通り。
本当はすぐにでも瞼を閉じてしまいたいくらいだったのだけれど、眠気のせいで頭のネジを一本飛ばした現在の私は、なぜだか無性に彼のことを困らせてみたい気分だった。
駄々っ子のように手足をばたばたさせ、眉を八の字に歪めた翠くんの指先を振り切る。わざわざこんなことしなくても、ただ「かまって」って、「もうちょっとだけイチャイチャしたいよ」って、たったひとこと言えばいいだけの話なのに。どうにも、素直になれなくて。

「ったく。…おれは寝ますからね」

そう薄情に言い捨て、翠くんがベッドに潜り込む。くあ、と一切の遠慮なく開けられた口から欠伸が漏れるのを恨みがましく見やれば、掛けていた毛布を捲り、ぽんぽん、と彼が自分の隣を手で示した。
翠くんはずるい。翠くんがそうやって甘やかすたび、私がどんどんひとりぼっちじゃ――翠くん無しじゃいられなくなっていくのを重々理解した上で、今日もまた惜しみなく麻薬じみた愛情を注ぎ続けるのだ。

「布団に入るだけだし。絶対寝ないから」
「はいはい」

私のために空けられたスペースへ転がり込んで、ぺたり、と固い胸板に額を押しつけた。寝ないって言ってるのに、背後で翠くんがテレビの電源を落とした音が聞こえた。

「年越しなんて、別にどうだっていいです」

この世でいちばん私を正気でいられなくさせる彼の匂い。この世でいちばん私を安心させる彼の体温。この世でいちばん

「おれには今、名前さんがここにいるっていうことがいちばん大事なんで」

理屈抜きで信じられる、大好きな彼の言葉。

「……いいこと言うね」

その暖かさを、愛しさを静かに心の中で噛み締めていると、するする長い腕が伸びてきた。

「あっ、こら。おっぱい触るな」
「すみません。つい」

不躾に胸元へ添えられた手をべちりと叩き、枕みたいに頭の下敷きにする。
ふわふわと、満たされた気持ちで瞼を閉じた。
たとえば次に目を開けた時、きっと世界は何も変わっちゃいない。ただ、隣に翠くんの寝顔があるだけ。それ以外の『特別』なんて私には要らないのだ。

「おきたら一緒に初詣にいこうね」
「神頼みでもするんですか」
「来年もみどりくんが、わたしのことをすきでいてくれますよーに、って」
「あんまり賽銭の無駄遣いしないで下さい」
「うん。…おやすみ翠くん」

おやすみなさい、名前さん。
小さな、優しい声が答えた。 
 
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